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父と徹底的に対立、社長解任か?VW、ベンツとの提携か?─梁瀬次郎(ヤナセ社長)その7─昭和時代の私の履歴書

昭和の偉人たちが何を考え、失敗にどう対処し、
それをいかに乗り越え、どんな成功を収めたのか、

日本経済新聞に掲載されている、
自伝コラム「私の履歴書」から
探ってみたいと思います。



私の履歴書─昭和の経営者群像〈8〉



梁瀬次郎のお話の続きです。


続く苦難を何とか乗り越えた梁瀬ですが、
井上治一という経験豊かな相談相手がいたことで助けられます。

井上は梁瀬に訪米をすすめたのでした。


梁瀬はためらいます。
学生時代は英語の時間は軍事教練にあてられ、
ほとんどまともな英語の勉強をしていませんでした。

英会話もできません。


井上はこういいました。

「人間は言葉も必要ですが、もっと大切なのは心と心の触れ合いです。
 これを言葉抜きでやってらっしゃい。」



梁瀬はようやく渡米の決心をします。

父に渡米の旨を告げると、一瞬、沈黙しました。
しかし、ひとこと

「気をつけて行ってこい」

それだけでした。

母は初めてのアメリカ行きに不安だったのか、
あれこれと気をつかってくれました。

東京出発は十一月の末、
「あたたかくしていらっしゃい」
と、無理やりにメリヤスのズボン下と長そでのアンダーシャツを着せられます。

せっかくの好意なので、
これも親孝行と思い厚着して出かけますが、

途中、エンジンの修理と燃料補給のためウェーク島に寄り、
その間、暑くて暑くて体中に汗が噴き出て、

「親孝行とは何と暑くて苦しいものか」

と嘆いたのでした。


一路ハワイ・ホノルルに向かいます。

ホノルルのGMの事務所でフランク・ワイズ氏と話し合います。
白髪の上品な紳士で、
梁瀬の片言の英語を一生懸命理解しようとしてくれました。

梁瀬も手ぶりを入れながら説明します。

現在の日本のGMの実情、
特にスチーブンソン大佐問題について必死になって理解を求めました。

個人攻撃ではダメだと考え、
このままの状態が続いたらGMの評価が落ちるばかりであることを力説します。

フランク・ワイズ氏もようやく事情が分かり、
同情と理解を示し、本国に打電してくれます。



ニューヨークのGM本社には毎日足を運びました。

本社幹部に何度も日本のGMの実情を話しました。

GM側もやっと善処を約束、
梁瀬の初渡米の目的は達成したのでした。


梁瀬34歳。

はじめてのアメリカに大きな夢と期待を持っていました。


三つのニュービジネス。

コカ・コーラの販売権を獲得すること、
スリーエムのスコッチテープの輸入権を得ること、
ステンレスの台所の流しの輸入をすること、

でした。

どうしたら販売権を得ることができるか、
考え抜きましたが、
当時の米国には友人は一人もおらず、コネもありませんでした。

三か月の米国滞在中はGMがよいだけで終わり、
土日は朝から晩まで映画館で過ごしたのでした。





昭和28年1月に27年度の下期分として、

米国車250万ドル、
英国車189万ドル、
ドイツ車75万ドル、
フランス社27万ドルの

外貨割り当てが行われました。

梁瀬は、

「外貨割り当て時代には、貨幣の種類に応じて外車を販売しなければならない」

と考え始めていました。

アメリカの割り当ては今後減る一方。
GMの大型車を扱うだけでは、とても会社は存続できない。

何とかしてVWとベンツの販売権を取りたいと
梁瀬は思うようになっていました。



しかし、梁瀬の考えに父は真っ向から反対します。

「もし、お前がメルセデスベンツやVWを一緒に販売すれば、
 GMは即座に販売権を取り消す。
 われわれはあくまでもGM車のみを売るべきだ。」

と強く主張します。


確かに当時、GMは、
GMのディーラーが他のメーカーの車を販売することは認めていませんでした。

しかし梁瀬は

「最初から不可能と決めつけるのはおかしい。
 ぶつかって何とかするのが経営者ではないか」

と食ってかかったのでした。


梁瀬の父もまた

「お前のように乱暴なことをする者は経営者としての資格がない。
 ドイツ車を取り扱うつもりなら即刻社長を解任する」

と一歩も退きませんでした。


深刻な対立が続くさ中、
27年11月22日、VWのノルトホフ社長、エルツェン副社長が来日します。

彼らのところに連日、VW車を取り扱いたいと希望者が殺到します。


当時、VWとベンツに対し強い力を持っていたのは、
三菱商事系の商社、不二商事でした。

しかしVWは、不二商事が輸入元として力のあることは認めていましたが、
小売販売をするのは無理と見ていました。

来日後、梁瀬の販売力、サービス施設に満足したノルトホフ社長は、梁瀬に

「不二商事と梁瀬が手を握れば、販売は梁瀬に任せよう」

と提案します。


梁瀬はGM社の許可をもらうことが前提なので、

「GM社の許可を条件に引き受ける」

と答えます。

さっそく、梁瀬はアメリカ生まれの若い社員、ジャック石尾とともに、
28年1月24日、アメリカへ向けて飛び立ちます。

父は家を出るときも、再度にわたり

「絶対にドイツに行ってはいかんぞ」

と念を押します。


しかし梁瀬はGMが承認してくれれば、
その足でドイツへ行きVWだけでなくベンツ社も訪問、
販売権を獲得してくるつもりでした。


ロサンゼルスに着くと父からの電報を梁瀬は受け取ります。


「もしVWの件をGMに話したら社長を解任する」


梁瀬も直ちに、

「いつなんどき解任されても結構です。新会社を設立してでもやりぬきます」

と打電。

退くに退けない立場に追い込まれてしまいました。


ニューヨークでは日本担当マネージャーマクナップ氏に会おうとしたところ、
次の日の早朝、出張してしまうとのことで、
徹夜して陳情書を書き上げ、翌朝空港に向かいます。

七時ころマクナップ氏に会え、あいさつもそこそこに手紙を渡します。

「事情は分かった。
 本社に連絡しておくから、担当重役と会って結論を出すように。」

と言い残します。


担当重役のフィリップ氏に面会を求めたところ、

「今日の昼、一緒に食事をしよう」

ということに。

梁瀬はフィリップ氏には子供のころからかわいがってもらっていたのでした。

日本政府の厳しい外貨規制、
大型高級外車の輸入制限などについて詳しく説明し、

「生き残っていくためには、VWとベンツの取り扱いを認めてほしい」

と何度もお願いします。


フィリップ氏は結局、

「いいだろう」

と言って承認してくれました。


─────────────────────────────────
【引用ここから】


私は昔から、父が

「銀行などで融資を頼んで許可してもらったらすぐ帰ってこい。

 安心して雑談したり、
 お茶を飲んだりしているうちに、相手は考え直して

 『その件は二、三日待ってくれ』

 と言い出すことがしばしばある。」

と言っていたのを思い出し、
デザートもそこそこに、

「サンキュー・サー」

と言ってホテルに走り戻ります。

直ちに父に交渉成功の電報を打ったが、
父からは何の返事もなかった。


【引用ここまで】
─────────────────────────────────







続きはまた来週に。




私の履歴書─昭和の経営者群像〈8〉


昭和の高度経済成長を築きあげた経営者たちの私の履歴書。
過去の記事はこちらからどうぞ。



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