安全第一 (safety-first)は、
アメリカで誕生した標語です。
1900年代初頭、
アメリカ国内では不景気のあおりを受け、
労働者たちは劣悪な環境の中で危険な業務に従事していました。
その結果、多くの労働災害に見舞われていたのでした。
当時、世界有数の規模を誇っていた製鉄会社、
USスチールの社長であったエルバート・ヘンリー・ゲーリーは
労働者たちの苦しむ姿に心を痛めていました。
熱心なキリスト教徒でもあった彼は
人道的見地から、当時の
「生産第一、品質第二、安全第三」という会社の経営方針を抜本的に変革し、
「安全第一、品質第二、生産第三」としたのでした。
この方針が実行されると、
不思議なことに労働災害はたちまち減少しました。
品質・生産も上向いた景気の波に乗り、
この安全第一という標語はアメリカ全土に、
そして世界中に広まったのでした。
「安全第一」は、アメリカ発の生産管理の方法で、
「働く人が無事なら品質は二の次」などという意味ではなく、
「労働者の安全を優先すれば士気が上がり、結果的に品質も向上する」という発想から100年前に生まれた標語なのでした。
100年前には「安全第三」が世の中の当たり前、
スタンダードな考えだったわけです。
USスチールのゲーリーは、
おそらく当時、たたかれたことでしょう。
安全を守っても生産が増えなければ会社がつぶれるだろう!
とか、
安全第一の理想はいいけれど、品質が落ちるだろうね。
とか、
きっといろんなことを言われたことと思います。
それでもゲーリーは、
安全第一をスローガンに掲げたのです。
これはおそらく、
まずは信頼関係の構築が大事だ
ということなのではないかと思います。
会社が「生産第一」という方針であれば、
安全は後回しでも生産をしなければと追い立てられますが、
会社が「安全第一」という方針であれば、
ああ俺たちは会社に大事にされているんだなと
そこに信頼関係が生まれることでしょう。
そこで士気が上がります。
もちろんそうした方針があって、
実際に安全が第一の工程が実行されていなければなりませんが。
この標語が広まったということは、
安全が第一の工程を実行したことで、
生産が結果として本当に上がったからこそ、
多くの人々に広まり、受け入れられたのだろうと思います。
信頼関係の構築と実行がよい結果をつくる、
非常に興味深い100年前の事例だと思いました。
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