北野さんを号泣させた私のメルマガ記事とは? - つくる!仙台で政治家をめざす渡辺勝幸のブログ

渡辺勝幸について

現在、
起業集団「株式会社つくる仙台」代表取締役。
東北大学大学院情報科学研究科講師
(情報技術経営論・非常勤)。
仙台市立沖野東小学校PTA会長。

東北復興のため起業支援活動とともに新しい日本をつくるための政治活動もしています。平成26年10月現在、1,400日以上毎日メールマガジンを書いています。

現在
起業集団「株式会社つくる仙台」代表取締役。
東北大学大学院情報科学研究科講師(情報技術経営論・非常勤)。
仙台市立沖野東小学校PTA会長。
 沖東夏まつり実行委員会委員長。沖野学園学校支援地域本部協議会副会長。沖野中学校区青少年健全育成連絡協議会副会長。仙台市PTA協議会研修交流委員会委員。若林区まちづくり協議会会員。仙台市立沖野東小学校学校保健委員会副委員長、学校関係者評価委員。沖野中学校区災害対策委員会委員。

ミラサポ(中小企業庁委託中小企業支援事業)専門家。
公益社団法人仙台青年会議所会員開発委員会委員。
公益社団法人日本青年会議所憲法論議推進委員会委員。
公益社団法人日本青年会議所東北地区宮城ブロック協議会LOM協働委員会委員。
沖野東学区民体育振興会参与兼副事務長。
仙台東倫理法人会幹事(普及拡大委員長)。
日本会議宮城県本部仙台支部事務局長。
沖父ちゃん会(沖野東小おやじの会)顧問。広瀬川灯篭流し実行委員会委員。沖野学区連合町内会大運動会実行委員会委員。ねこまつり実行委員会委員。
林英臣政経塾広報部会長。



昭和50年5月10日生まれ。宮城県仙台市出身。39歳。

昭和57年 沖野幼稚園(仙台市若林区)卒園
昭和63年 青森市立筒井小学校卒業
平成3年 仙台市立沖野中学校卒業
平成 6年 宮城県仙台第一高等学校卒業(二年間応援団長を務める)
平成11年 慶應義塾大学法学部政治学科卒業
     国会議員政策担当秘書資格試験合格

平成12年 参議院議員市川一朗(宮城県選挙区)政策担当秘書
平成13年 慶應義塾大学大学院法学研究科政治学専攻修士課程修了
平成19年 参議院自民党秘書会幹事(平成22年まで)
平成22年 参議院議員市川一朗政策担当秘書を退職

平成23年 経済産業省後援 起業支援ドリームゲートアドバイザー(平成24年まで)
     宮城県議会選挙(若林選挙区)に無所属で出馬

平成24年 林英臣政経塾塾生(東北七期)、大阪維新の会維新政治塾塾生、公益社団法人仙台青年会議所 会員開発委員会委員
平成25年 公益社団法人仙台青年会議所地域共同開発委員会幹事。仙台東倫理法人会幹事(青年委員長)。林英臣政経塾東北講座長補佐、戦略部会副部会長。沖父ちゃん会(沖野東小おやじの会)初代会長


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【渡辺勝幸の講演報告】

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北野さんを号泣させた私のメルマガ記事とは?

2012年06月27日 18:00

北野幸伯さんの、「ロシア政治経済ジャーナル」は、
私の愛読するメルマガの一つであり、
このメルマガでも何回か紹介してきました。

ロシア在住の北野さんですが、
国際政治経済情勢に独自の分析を見せてくださり、

マスコミの一辺倒な情報よりも深い分析をされ、
私も毎回なるほどなあと思い読んでいます。


ロシア政治経済ジャーナル
⇒ http://archive.mag2.com/0000012950/index.html


きっとこのメルマガを読んでいる皆さんも、
北野さんのメルマガを読んでいる方は多いのではないでしょうか。



また、4月5日に北野さんの新著、

「プーチン最後の聖戦 ロシア最強リーダーが企むアメリカ崩壊シナリオとは?」

が出ていますのでご関心のある方はぜひ読んでみてください。







そんな北野さんですが、
一か月前のメルマガで私のメルマガ記事を紹介してくださいました。


この記事を読んで「号泣」されたとのことです。


北野さん以外の多くの方からも、
この記事には感動したといって下さる方がたくさんいらっしゃり、
私もうれしいなと思うと同時に、

この記事に感じてくださる方は、
まだ会ったことはなくとも、
やはり私の同志なんだろうなと勝手に思い込んでいます。


仙台から発信するメルマガと、
ロシアから発信するメルマガがシンクロするのも、
ネットの縁で大変おもしろいものですが、

日本を思う気持ちには変わりないのだろうと確信しているところです。

私のオススメのメルマガです。



ロシア政治経済ジャーナル
⇒ http://archive.mag2.com/0000012950/index.html






RPE Journal===================================================


       ロシア政治経済ジャーナル No.838

                         2012/5/30号

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★北野はなぜ【号泣】したのか???


北野です。

今回は、私が「号泣」した話です。

なぜ号泣したかというと、渡辺カツユキさんのメルマガを読んだ
からです。

渡辺さんは、仙台市在住のカリスマコンサルタント。

しかし、ここ数年は、失業、起業、震災、選挙落選、そして起業
と波乱万丈な人生を送っておられます。

仙台といえば、すぐ思い出されるのは、「3.11」ですね。

私も仙台に親戚がいるので、いろいろ話を聞いています。


選挙落選とはなんでしょうか?

渡辺さんは、昨年11月の宮城県議選に立候補し落選しました。

しかし、当選者との差は、わずか1000票弱。

無所属の新人としては、大健闘でした。


そんな渡辺さん。

次から次へと襲いかかる困難にも負けず、


「渡辺カツユキの日本一元気になるビジネスマガジン 」


というメルマガを発行されています。

そもそも、最初から恵まれていて、なんの苦労もしていない人が


「元気になるビジネスマガジン」


なんて出しても説得力ありませんよね。

渡辺さんのように、あらゆる経験をし、困難を克服してきた人こ
そ、説得力のある「元気になる」メルマガを出せるのでしょう。


皆さん、「渡辺カツユキの日本一元気になるビジネスマガジン 」
是非ご一読ください。

ホントに元気になりますよ!

完全無料登録はいますぐこちら↓
http://archive.mag2.com/0001028802/index.html


「・・・・・・・・北野さん、【号泣】の話は???」」


そうでした。

私が泣いた号を転載させていただきますね。

ちょうど一ヶ月前ですが。


【転載ここから】▼


今日4月29日は「昭和の日」です。

私たち昭和世代の人間からすると、
天皇誕生日のイメージのある日ですが、


昭和天皇が崩御されてからは、

「みどりの日」

とされ、その後法改正の結果、
平成19年以降は、


「昭和の日」


とされました。


祝日法の趣旨によれば、

「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、
 国の将来に思いをいたす」

日とされています。



昭和天皇(しょうわてんのう、1901年4月29日 - 1989年1月7日)は、
日本の第124代天皇(在位:1926年12月25日 - 1989年1月7日)。

諱は裕仁(ひろひと)。
幼少時の称号は迪宮(みちのみや)、お印は若竹(わかたけ)。



時代を考えてみると、
昭和時代の私の履歴書に出てくる人物とほぼ同世代で、
当たり前と言えば当たり前ですが、

明治時代に生まれ、
20代で関東大震災を経験し、
40代で終戦、

そこから高度経済成長を経て、
昭和64年1月7日におかくれになるわけです。


昭和という時代を象徴する方でもあるわけで、
そのエピソードなどは枚挙にいとまがありません。


ウィキペディアなどを読むと、
そのエピソードが事実かどうかはともかくとして、

お言葉や行動に、
あらためて敬意を持つと同時に、
ときにユーモアに富んだやさしい一面も垣間見え、
おもしろいですね。


しかし、
戦後間もなくGHQが進駐し、
敗戦処理をいかにするかという段になり、

昭和天皇はGHQのマッカーサーのもとへ
行くことになります。

その時のエピソードは、
緊迫する内容です。



───────────────────────────────
【引用ここから】


実際マッカーサー自身が、のちに回顧録の中で次のように書いたの
である。

「天皇の話はこうだった。


 『私は、戦争を遂行するにあたって日本国民が政治、軍事両面で
行なったすべての決定と行動に対して、
  責任を負うべき唯一人の者です。

  あなたが代表する連合国の裁定に、私自身を委ねるためにここ
に来ました』


 ──大きな感動が私をゆさぶった。

 死をともなう責任、それも私の知る限り、明らかに天皇に帰すべ
きでない責任を、進んで引き受けようとする態度に私は激しい感動
をおぼえた。

 私は、すぐ前にいる天皇が、一人の人間としても日本で最高の紳
士であると思った」

 (マッカーサー回顧録一九六三年)



天皇とマッカーサーの会見は、はじめ一五分の予定だった。

しかし、マッカーサーは天皇の態度に深い感銘を受け、会見は三
五分にも及んだのである。

会見がなされると、その会見の要旨は後ほど通訳の手で文書に
まとめられ、侍従長に渡される習慣になっていた。


会見の翌日、藤田侍従長は、会見における天皇の発言の要旨
を文書にまとめたものを、通訳から受け取った。

藤田氏は、いつものようにそれに目を通したうえで、天皇のもと
に提出した。

藤田氏はこのとき、メモをとらなかった。

しかし彼はのちに、その内容について二つの点をはっきり憶え
ていると言って、次のように著書の中に書いている。



「…陛下は、次の意味のことをマッカーサー元帥に伝えられている。

 『敗戦に至った戦争の、いろいろな責任が追求されているが、責
任はすべて私にある。

文武百官は、私の任命する所だから、彼らには責任がない。

私の一身はどうなろうと構わない。私はあなたにお委せする。

この上は、どうか国民が生活に困らぬよう、連合国の援助をお願
いしたい』


 一身を捨てて国民に殉ずるお覚悟を披瀝になると、この天真の
流露は、マッカーサー元帥を強く感動させたようだ。


 『かつて、戦い破れた国の元首で、このような言葉を述べられた
ことは、世界の歴史にも前例のないことと思う。

  私は陛下に感謝申したい。

占領軍の進駐が事なく終わったのも、日本軍の復員が順調に進
行しているのも、これすべて陛下のお力添えである。

  これからの占領政策の遂行にも、陛下のお力を乞わなければ
ならぬことは多い。どうか、よろしくお願い致したい』」


とマッカーサーは言った(藤田尚徳『侍従長の回想』昭和三六年)。


【引用ここまで】
───────────────────────────────


確かに戦争には負けましたが、
この昭和天皇の態度こそ、日本人としてあるべき態度の象徴のよう
に思います。

自分の身がいかになるかわからない時でも、
このような態度をとること、

自分の話ではなく、
国民全体の衣食住をまず考えること、

4月29日は、
いろいろなことを考えさせられる日です。





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