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両腕のない生き方

先日、恩師でもある中村勝範先生の講演会
「浜松而今大学」に参加するため、
浜松まで行ってきました。 

中村先生の講演も大変勉強になったのですが、
須藤眞志先生の「病気と人生」という講演も、

人間はいかに生きるべきか、

というテーマをあらためて考えさせられるお話で、
勉強になりました。


須藤先生は京都産業大学教授としてのみならず、
関西方面では、テレビのコメンテーターとしても活躍され、
ご存じの方も多いかと思います。

最近、残念なことに難病にかかられ、
現在闘病生活を送られているそうです。

先生は、病気になったことで人生観が変わり、
いままで何と傲慢だったのかと反省をされたそうです。

ここまではあるだろうなと思うわけですが、
ここからがすごいと思いました。


先生は、病気になった方が出版された本、
闘病記の類を、病気になってから100冊以上読まれたのだそうです。


ここで、病気になった方の共通点が見つかったそうですが、
最初はみなさん、

なんで自分だけがこんな不幸な目にあうのか

と思うのだそうです。
特に小児ガンにかかった小さな子どもたちの親御さんは特にそうで、
自分でも子どもがそうなったら、
そう思わずにはいられないだろうなと思いました。


須藤先生は、だんだんわかってきたのは、
ここでなおさら、自分の人生を全うしなければならない、
いまを生きることがいかに大切かということに気づいたと。

健康で不幸な人もいるし、病気で幸福な人もいる。
元気な時を思い出し病気でなかったら、
と考えるのはつらくなるだけ。


いままで神社にお参りするときは、
病気を治してくださいとお願いしていたのが、
いまは翌朝起きられたことに感謝するようになったと。

いままでの人生、時間をムダに生きてきた、
明日やれることは今日しなければならないと考え方が変わったと。


須藤先生が読まれた本の中からいくつかご紹介があったのですが、
そのなかでも大石順教さんのお話が心に響きました。




━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
(以下wikipedia引用)

大石順教

大石は道頓堀付近の「二葉寿し」の次女として生まれ、
幼少の頃、山村流に師事し、1899年(明治32年)、名
取となる。1901年(明治34年)、堀江のお茶屋(貸座
敷)「山梅楼」の芸妓になり「妻吉」と名乗り、その
主人である中川萬次郎の養女となる。

そこで舞を精進していたが、1905年(明治38年)、養
父の萬次郎が楼内で6名を刀で殺害し、妻吉は両腕を
切られる被害を受けたが幸いにも命は助かった。これ
が世に言う「堀江六人斬り事件」である。両腕を失っ
た彼女は地方(じかた、演奏する芸妓)に転向し長唄、
地歌などを披露し、やがて旅の巡業をはじめるように
なった。その間、彼女は口で字を書く技法を習得、
1912年(明治45年)、日本画家山口草平と結婚、同年
に長男、1917年(大正6年)に長女をもうけた。しか
し、1927年(昭和2年)、夫と協議離婚し、身体障害
者の相談を始める。

1933年(昭和8年)、妻吉は出家得度し「順教」
(じゅんきょう)と改める。以来、仏道の毎日を送る
傍ら自分と同じ立場の身体障害者の世話をする福祉活
動に励み、1947年(昭和22年)に佛光院を建立。また、
長年培われてきた口筆による書画が入選し晩年までそ
の道を全うした。1968年(昭和43年)、心筋梗塞によ
り佛光院で入滅(死去)、遺体を献体した。

(引用ここまで)
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


壮絶な人生ですね。

養父に両腕を切り落とされ、
身体が不自由になってしまった順教は、
ある日目の前に止まったカナリアを見て、 


鳥には手がないじゃないか
それでも不自由なく暮らしている


そう思い、口だけで字を書く練習をたくさんしたそうです。
筆を口にくわえ、字をたくさん書く。
やがて日展に入選するほどの達筆な字を書くようになったのだとか。

そして、両腕がなくても、二人の子どもを育て、
背中と首を使って、家のことをしたのだそうです。


そして順教は、
いつも自分はいろいろな人にお世話になっている
自分は人のために何かをしたかとふりかえると、
何もしていないなと。

そこで人のために何かをしたいと、仏門に入ったのでした。



順教はお寺で修業をする日々を送っていましたが、

あるとき、
身体に障害を持った方が、
自分の将来に絶望していたところ、

偶然、両腕のない尼僧がほうきをつかって、
お寺の境内を掃除しているのを見ました。

おどろいて、その尼僧(順教)に話しかけると、
両腕がないにもかかわらず、
器用にいろいろな作業をこなします。


順教は身体障害者の相談に乗って
福祉活動をするわけですが、
彼女は、


「私は身体障害ではあるが、心の障害ではない」


と言っていたそうです。


いままで私は、健康第一が何よりも大事だと思っていましたが、
健康を害しても、心さえ元気であれば、
楽しく生きられるんではないかなと思いました。

病は気から

ということなのかもしれません。







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