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豊田佐吉と服部兼三郎のカネのやりとり─石田退三(トヨタ自動車工業社長)その2─昭和時代の私の履歴書

昭和の偉人たちが何を考え、失敗にどう対処し、
それをいかに乗り越え、どんな成功を収めたのか、

日本経済新聞に掲載されている、
自伝コラム「私の履歴書」から
探ってみたいと思います。


私の履歴書─昭和の経営者群像〈8〉


石田退三のお話の続きです。

石田が中学時代居候をしていた児玉一造は、
当時繊維業界の顔役となっていました。

仕事を探していた石田に、
児玉は名古屋の服部商店を紹介します。


児玉は三井物産名古屋支店長に弱冠32歳で抜擢され、
そのころから服部商店服部兼三郎、
豊田紡織の豊田佐吉と付き合いがあったのでした。



ここで、豊田紡織について。

創業者・豊田佐吉が自ら発明した自動織機を使って
はじめた製織・紡績業が淵源であり、

そのため現在でもトヨタ紡織と、
社名に『紡織』の名がついています。

大正15年、佐吉は
株式会社豊田自動織機製作所を設立、
のちにこの会社の自動車部が独立し、
現在のトヨタ自動車が生まれるわけです。




石田は大正4年、服部商店に入社します。
住み込みで働きますが、月給は三か月の間でませんでした。

そのころ、石田が兄のように慕っていた児玉利三郎と、
豊田佐吉の長女愛子のお見合いがありました。

服部兼三郎の口ききによるお見合いでしたが、
この席上で利三郎が「石田君の月給を決めてやってくれんか」
といって即座に決まったのでした。


児玉一造は三井物産名古屋支店長時代、
自動織機の発明者である豊田佐吉を物心両面にわたって応援したのは
当時から美談として残っていましたが、

そこに佐吉の愛娘と利三郎の縁談が持ち上がり、
両家の関係はますます深くなります。

佐吉は研究に没頭するだけでしたが、
利三郎が持ち前の事業家肌から経営に縦横の手腕を発揮、
会社がグングン伸びたのでした。




これはちょっとした出会いであり、
一つの縁談に過ぎないのですが、
この両家の関係が強固になったことで、

現在のトヨタ自動車が生まれたのであり、
戦後日本の経済を支え、
現在もトヨタが世界経済に大きな影響力を与えているということを考えると、
不思議なものを感じますね。


このちょっとしたつながりが少しでも欠けてしまっていたら、
いまのトヨタはなかったかもしれないと考えると、
現在を生きる私たちも、わずかのつながりも大切にして、
人と人との関係を大事にしていかなければいけないなと感じます。


こうして石田は、
田舎の小学校の代用教員、京大阪の洋家具店の店員、
東京の呉服の行商じみた卸商という経歴を経て、

ここへきて初めて安定感のある、
充実した仕事をするようになったと回想しています。


服部からは間もなく、上海行きを命じられ、
上海に二年、香港に一年、綿布を売り込み、
大正6年に帰国しました。

そして大正7年から昭和2年までは大阪へ行き、
服部商店の加工綿布部をつくり、
大きく利益を伸ばしたのでした。

そのおかげで、
大正9年のガラ(大暴落)がきたときも、
軽微な被害ですみます。


しかし世の中何が起こるかわかりません。
この時のガラで、
服部商店店主、服部兼三郎が急逝してしまったのでした。


支配人の三輪常次郎が大黒柱亡き後を取り仕切ります。
服部の三輪あての遺書には、

「保険は三十万円入っている。これがとれるかとれないかわからんが、
 万一幸いにもとれ、そして社員諸君の了解が得られるならば
 半分だけ家族にやってくれ。
 あとの半分は会社の損の穴埋めに使ってくれ」

とありました。
服部は店が倒産寸前にまで傾いたことに
大きな責任を感じていたのだと石田は思います。

石田は、

「保険金はどうしても取らねばならん。
 そして取ったら三十万円そっくり家族に渡してやらなければいかん」

と主張し、服部家の遺族の安泰をはかることに皆協力したのでした。


この危機に三輪は、

「服部商店がつぶれるかどうかという瀬戸ぎわだから、
 オレは月給はとらん。ボーナスもいらない。
 いままでにためたやつでなんとか食っていくから、
 店の者も諸事について、皆がまんしてほしい」

と大方針を打ち出して、皆に気合いをかけたのでした。



会社が厳しい時に、リーダーが身を切る覚悟を示し、
それを踏まえ大きな方針を次々と出していく姿、
これがあってこそ会社組織が厳しいときでも動いていくのだろうと感じます。

会社も国も一緒だろうと思います。



話は変わり、豊田佐吉翁の話がここで書かれています。

石田が服部商店へ入ったころ、
ちょうど豊田紡織会社が上海へ進出したころで、

石田は時々佐吉のところへ
ごきげん奉仕に行きました。


「久しぶりだなあ」

佐吉がそう一言いうと、
あぐらをかいたまま黙って一口も物をいいません。

二十分でも三十分でも黙っている人でした。


それからまたしばらくしていくと、

「石田、君は商売人だぞ。
 商売人なら金をもうけてくれ。

 もうけたらオレたちに回してくれ。
 そうしてこそ、はじめて研究ができるんだ。
 大体、世間のやつは研究家の実情というものを知らんな」

こういうことを何度も繰り返し言っていたのだそうです。

石田は、

「佐吉さんは、頭の中がいつも織機の進歩改良のことでいっぱいで、
 他事に気を回している余裕がなかったのだろう。」

と述べています。

また、佐吉は人に対して決して高圧的な態度に出たことがなく、
それでいて、普通の人間にはない気迫があった、

そして服部兼三郎の腹の太さも石田は感じていたようです。


──────────────────────────────────
【引用ここから】


私がはじめて服部商店へ入ったころ、
店先へ信玄袋を下げてモソッと入ってきたオッサンがいた。

物もいわずちょこんと私の前のイスに掛け、
知らん顔をして目をつむっている。

私が支配人の三輪さんに

「あれはだれです?」

といってきくと、それが佐吉さんだった。

そこへ服部さんが帰ってきて

「お金ですか」

「うん、こんどは、ちょっと二十五万円くらいほしいがな」

そういって、あとは知らん顔している。

「二十五万円か。そんなら手形を書いてあげるかな」

それでおしまいである。

服部さんも、何に使うかと聞くでもない。
佐吉翁も手形をもらえるまで黙っている。
もらうと黙って帰る。

双方とも、何か相通ずるものがあったのだろう。
私は、まるで舞台の上の名優の演技をみているような心持がした。


【引用ここまで】
──────────────────────────────────


物の計算にもよりますが、
当時の円の価値を単純に、

1円=1万円

と考えてみると、

25万円=25億円

ですね。


25億円もの寄付をこれだけのやりとりですませるというのは、
服部の太っ腹もすごいと思いますが、

服部は豊田佐吉の研究に全幅の信頼を置き、
彼の研究が世の中に大きな価値を生むものと確信していたからこそ、
こういう行動に出たのだろうと推測します。

二人のやり取りは確かにものすごいものを感じますね。

お互い全幅の信頼感を持ったカネのやりとりが、
大きな事業を生む。

そんな印象を持ちました。




石田はそんな服部と佐吉翁といった人物に恵まれます。

そして服部亡き後の服部商店もなんとか再興します。


この後の石田の人生についてはまた来週に。












私の履歴書─昭和の経営者群像〈8〉



昭和の高度経済成長を築きあげた経営者たちの
私の履歴書。過去の記事はこちらからどうぞ。

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