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45歳で妻に先立たれた話と南氷洋捕鯨におけるリーダーのあり方─中部謙吉(大洋漁業社長)その2─昭和時代の私の履歴書

昭和の偉人たちが何を考え、失敗にどう対処し、
それをいかに乗り越え、どんな成功を収めたのか、

日本経済新聞に掲載されている、
自伝コラム「私の履歴書」から
探ってみたいと思います。


私の履歴書─昭和の経営者群像〈7〉



中部謙吉のお話の続きです。


中部は船酔いを克服し、
家業として林兼で漁業に取り組みます。

中部の履歴書は当然、
魚の話がメインなのですが、
それ以外のお話もあります。




大正8年、21歳で中部は結婚します。
妻慶子は、16歳、女学校を出たてのほやほやでした。

内気でおく手だった中部は、
近所でも親孝行、将来女道楽などしないだろうという評判でした。

そして父親には、
25か7くらいになるまでは女房をもらいたくないと言っていました。



しかしある日、父が下関から帰ってくると、

「掘り出し物を見つけてきた」

と。


「謙吉、よう聞けよ。こんど実にいい嫁さんが見つかったので決めてきたわい」


「誰の嫁さんで・・・?」


「なにをいうとる、お前の嫁だ」


話を聞くと、その娘は
木梨という友人の娘で、
いま下関の女学校に行っているが、

その娘が町を歩くと両側の人たちが仕事の手を休めて
ポカンと見とれるようなきれいな娘だと。


父親は友人に、

「君の娘さんは美人だし実にいい娘さんだ、
 どうだろう、うちの謙吉の嫁にくれないか」

というと、

「うん、お宅の謙吉さんなら評判もいいし、
 ぜひもらってくれ」

「ところでお嬢さんの方はだいじょうぶかな」

「いや、うちの娘はすなおだから親が言えばだいじょうぶだ」

「うちの謙吉も親孝行だし、さからうことはない」

「では決めてしまおう」



こんなわけで、親同士が固い約束をしてきたのだと。


一応、下関へ行って見合いをしろというので、
気に入らなければ断っていいのかと聞くと、
それはいかん、男と男がいったん約束したんだとそんなやりとり。


現代ではなかなか考えられないお話ですね。




難点がひとつあり、
向こうの方が二寸くらい背が高いということ。

父にその話をすると、
少しぐらい背が違っても気になるのは若い時だけだ。
嫁さんがお前より小さかったら、
子供も小さいのができる、二寸ぐらいの差はがまんしろ、と。



なかなかすごいお父さんですね。



かくして中部は結婚、
実際子どもは体も大きく、
中部より見かけもましだと。



しかし、残念なことに、
昭和16年、中部45歳、妻40歳の時に、

慶子は腸チフスにより亡くなってしまったのでした。


腸チフスで入院した時は、
父親も大いに心配し、
チフスには生きた田螺をすって足の裏に貼るのがよいと聞き、
下関の屋敷にあった300坪くらいの池から、
特別に人を雇って田螺をとったのでした。


中部は子供は6人もあるのに、
最愛の妻をとられ、
チフスという病気を憎みます。

一時は悲嘆にくれて仕事も手につきませんでした。


次第にその気持ちが、
世の中の人がチフスぐらいの病気でこんなひどい目にあってはならぬと
そういう気持ちに変わっていきます。


帝大の長与博士や、慶大の大森博士など、
各大学の専門の先生方にお願いし、
二十万円ほどの基本金を提供し、
チフス研究会というものを作ります。

解剖実験など研究がすすめられました。

その後数年して海外でチフス菌の研究が成功し、
現在では直接菌を殺せるようになりました。



中部にはその後再婚の話も度々起きましたが、
子供のことを考えると、新しい家庭をもつことには踏み切れず。


子供がみんな成長して片付くまでは、ひとり者暮らしがよいと。


子供6人をかかえ、妻に若くして先立たれるというのは、
たいへんなものだと思います。

中部の仕事は順調にいっていたように感じますが、
これは本当につらかったろうなと思いました。




林兼は、昭和の初めになると、
北洋進出を図ります。

まずはカニ工船から始まりました。

しかし小さな会社でもあったので、
政治的に弱く、何度かやっても併合されてしまいます。

カムチャッカのさけ・ます漁場にも進出しますが、
これも吸収されてしまいます。


しかし、カムチャッカ西海岸で
さけ・ますの流し網に成功。

五千トン級の貨物船を輸入し、
大成功を収めます。

北千島の陸上漁場にも流し網漁で進出、
昭和9年には缶詰工場も建設、急成長しますが、
これもまた結局は吸収合併されてしまったのでした。


林兼の北洋漁業は、すっかり台無しになってしまい、
買収金の135万円を手にしたものの、
北洋では手も足も出ないありさまとなったのでした。


そして北洋漁業の道を閉ざされた林兼が、
活路を求めて目を向けたのが、



南氷洋の捕鯨



でした。

捕鯨部の責任者であった志野徳助という人物は、
捕鯨にかけてその右に出る者はない先覚的な人物でした。

名砲手であり、船長であった志野は、
南氷洋捕鯨を提唱、研究もよくしていたのでした。


しかし南氷洋捕鯨には、
母船として二万トン級の船が必要でした。

そんな大きな母船は、まだ日本で作ったことはありませんでした。


興銀、勧銀、安田などの融資を受け、
イギリスの会社ではなく、日本の川崎造船に
建造を依頼したのでした。


川崎造船の吉岡専務は、
海軍中将、覇気のある人で、
相談をもっていくと即座に、

よし造ろう

と。

図面は外国から買い、長い鋼材も輸入していい、
と乗り気。


しかしこれも、
あとから中部が考えてみると、
時局がら日本の海上輸送力を増強しておこうという考えも
あってのことでした。


昭和11年10月7日、
南氷洋捕鯨初出陣の日新丸船団は、神戸を出港します。

船団長は志野徳助。
捕鯨界きってのベテランです。


しかしこの日が彼との最後の別れとなります。

豪州南端の最終寄港地フリーマントルに着くやいなや、
志野は脳出血で急逝したのでした。


「船団長急逝す」

の電報を受け取った中部らもびっくりしますが、
指揮者を失った現場の悲嘆、混迷のほどはいかばかりか。

ひっかえすほかないような電報も受け取ります。


しかし船団に乗っていた中部の弟、利三郎が、
志野が亡くなった跡始末がテキパキしていたので、

中部は父と相談して、
利三郎を船団長にしたのでした。


中部はすぐ現地に電報を打ち、
利三郎を船団長として全員協力して出漁し、
志野君の霊を慰めよと激励。

現場の者は皆了として、
志野の遺体を氷詰めにして船室に納め、
行を共にします。


その年12月から翌年春まで、
南氷洋に活動した日新丸船団は
立派な成績を収めることができたのだそうです。






このことから感じ取れることがあります。

昔私の好きな警察もののテレビドラマで、
主人公が、


「事件は会議室で起きてるんじゃない
 現場で起きてるんだ!」


と叫ぶシーンがありました。


たしかに現場を知ることも大切ですが、
やはりリーダーたるものは、

たとえ自分が現場にいなくとも、
現場にあたかも自分がいるかのように判断をする、

それができなければいけないのではないかと
私は思います。

もちろん多くの人々は、

現場に足も運ばずえらそうに!

ときっと言うことと思いますが、
この想像力があれば、それさえあれば、
たとえ現場にいなくても問題は解決できるのだろうと思います。



この後は、戦況も悪化し、
中部にも困難がやってきます。

つづきはまた来週に。









私の履歴書─昭和の経営者群像〈7〉


昭和の高度経済成長を築きあげた経営者たちの
私の履歴書。過去の記事はこちらからどうぞ。

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