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江戸英雄(三井不動産会長)─昭和時代の私の履歴書

昭和の偉人たちが何を考え、失敗にどう対処し、
それをいかに乗り越え、どんな成功を収めたのか、

日本経済新聞に掲載されている、
自伝コラム「私の履歴書」から
探ってみたいと思います。


私の履歴書─昭和の経営者群像〈5〉


江戸 英雄(えど ひでお 1903年7月17日 - 1997年11月13日)は、日本の実業家。
三井不動産の復興に尽力し、社長、会長職を務めた。
また、東京ディズニーランド、筑波研究学園都市の建設にも力を注いだ。




明治36年茨城県生れ。
昭和2年東大卒。
三井合名入社。本社勤務一筋。
財閥解体時総務部次長として交渉。
22年三井不動産に転じ30-49年社長。
高層ビル、海面埋め立て宅地造成を推進、
三井再結集の世話役として働く。


私の履歴書は昭和55年8月に連載している。
三井グループの再興、
三井不動産の発展のみならず、

戦後日本の都市空間を作り出した経営者、
江戸英雄のお話です。


江戸は、エグゼクティブとして、
分刻みのスケジュールをこなすようになっても
出社前に土いじりをしていたのだそうです。

自宅隣の空き地に200平米の畑、別荘にも200平米の畑、
睡眠時間は5時間で、

まだ家族の寝静まっている薄暗いころから起き出して
仕事に取り掛かります。

昭和16年に対米英戦争に入ったころから、
碁、将棋、マージャン、花札、ダンスなどの楽しみ事を一切やめ、
出社前の土いじりに専念したそうです。




明治36年7月17日、
茨城県筑波郡作岡村の農家に江戸は生まれました。
兄一人姉三人の末っ子。

父の生家の本家はお城のような家。
太田道灌以前江戸を占拠して開発に当たっていた
江戸氏とルーツは同じだと思われるが資料では確認できないのだそうです。


父は江戸本家の長男に生まれますが、
生来虚弱で、若いときから風流の道を志し、
家業を省みなかったため、
父茂八郎から親族協議の上、廃嫡されてしまいます。

父親は遊んで食っていけるだけの田畑を分けてもらい、
それを小作に出し、自分は土いじり一つしませんでした。

そして春秋には東京や京都に名士や画家を訪ね、
書画帖を作ることを唯一の趣味としていました。


母親は美人で頭がよく勝気な人。
父がいかに本家とは言え、
弟やその家族に臣下のようにふるまっているのを見て
ふがいながっていました。

江戸も子供ながらに「何クソ」と歯ぎしりしたそうで、
これが江戸の心の底に流れる反骨精神のもとになったのではないかと自身回想しています。


江戸は筑波山を間近に見て育ち、
自然の中、土の香りの中で、
春夏秋冬の移り変わりを見て育ってきました。

故郷を去って六十年たってもなお、
生まれ育った田園生活を忘れかねていると。

それが出社前の土いじりにつながっているのでしょうね。



江戸は村立の作谷小学校に入学し、卒業後、
下妻中学に入学します。

中学は家から十キロの道のりを自転車で通学。
試験のつど席次があがるという勉強ぶりでした。

当時の下妻中学は大変野蛮な学校で、
毎年学年試験前になるとストをやる有様。

学校の成績レベルは低く、
卒業した年に国立の上級学校に入学できる者はほとんどいませんでした。

そこへ名校長塚原末吉先生が転任してきます。

佐藤内閣総務長官、労働大臣の塚原俊郎の父、
塚原俊平通産大臣の祖父に当たります。

教師陣も一掃され、優秀な教師が集められます。
江戸は英語を特に勉強しました。

そのころ、たまたま旧制水戸高校が開設され、
江戸は腕試しのつもりで父には内緒で受験をします。

元来が負けず嫌いのがんばりや。
一段と馬力をかけて勉強するようになりました。


試験の結果はよく勉強した英語はよいと思いましたが、
苦手の数学が半分の出来、
その他もあまりよいとは考えられませんでした。

志願者も殺到、十倍を超える競争率でした。

江戸はこれでは見込みはないだろうと、
受験直後に上京、神田の姉の家に泊まり、
研数学館などの夏期講習に通いました。

七月下旬になり、
あまり期待もせず合格発表を見てみると、
なんと自分の名前を見つけたのでした。

江戸は飛びあがらんばかりに喜んで、文字通り狂喜しました。
自分の一生の中であんなにうれしかったことはないと回想しています。


しかし父はよろこんでくれませんでした。
兄にだけ相談していた江戸でしたが、
母とともに哀訴嘆願します。

姉からも嘆願。

ついに父親の心も動き、
江戸の学費のために家のまわりの大きな杉の木を
みな売り払うことにしてくれました。

父親は木を大切にし、
「木を切ることは身を切られるよりもつらい」
と言っていましたが、
江戸が大学を出るまで木を切り続けてくれたのでした。


江戸は水高の寄宿生活で、
友人たちが文化的教養豊かで博識の者が多いのに
ただただコンプレックスを感じ、
引きずられるように読書に取り組みました。

昼間は選手になれるほどではないものの、
陸上、サッカー、スポンジ野球に剣道などたくさんのスポーツに取り組み、
水高三年間の生活は、
江戸にとって人生で最も楽しく、
また有意義なものだったそうです。




大正12年4月、江戸は東大法学部英法科に入学します。
まず第一の努力目標として、外交官試験合格を目指します。

睡眠時間を一日五時間と決め、
一日十五時間ぐらいは机に向かいます。
江戸は一生懸命便勉強しました。


しかしその年9月1日、
関東大震災がおこります。

ちょうど茨城に帰省していた江戸は、
東京にいた母と姉が行方不明とのこともあり、
心配でたまらず。

夜になると東京方面は真っ赤に、
大きな炎煙の揺れ動くのが50キロ離れた実家から望見され、
まさにこの世の終わりと思われる光景。



私も今回の大震災直後に仙台で、
仙台港方面に立ちあがる炎を恐怖心を抱きながら見ましたが、
そんな感じだったのでしょうか。




神田の姉の家は全焼でしたが、
母も姉も無事でした。


江戸は震災後の変則的な生活がたたってか、
秋に入ってから体調に異変を覚え、
なかなか普通に戻りません。

診断は黄疸でした。

その後もはかばかしくなく、
微熱、胸痛、食欲不振が続きます。

しかし迫る学年試験に備え猛勉強を続けます。

無理がたたり、試験直前の登校途中、
本郷で江戸は倒れてしまいました。


診断は、
両肺結核第二期肋膜肺炎。
肺尖カタル。



当時の肺病は不治の病と言われ、
妙薬はありませんでした。

安静にしたものの、病気は一進一退。
駿河台の杏雲堂病院に通院しますが、一向に良くなりません。

体重は40キロそこそこに。


友人たちがノートを回してくれ、
床の中で勉強し試験に備え、
試験には人力車で学校に通いました。

同じようにして、また一年がたちます。

同級生仲間が高等文官試験をパスして、
内務省や大蔵省に就職した知らせを聞くたびにたまらない思いになります。

療養中は学校の試験をパスするための最小限度の勉強だけで、
まとまった勉強はほとんどできず。

ファーブルの『昆虫記』全巻、
ルソーの『懺悔録』、
トルストイ、ドストエフスキーの翻訳ものなどを読んだり、
万葉集など歌集を読んで過ごしました。


成功の三条件のお話を以前このメルマガでも書きましたが、
その一つ

「大病をする」

がこれにあてはまるでしょう。

江戸は大病をし、
大変つらい思いをしますが、
それをのりこえていきます。



いよいよ卒業となりますが、健康にはまだ自信がもてない状況。
欲をいえば、あと一年くらいは静養したかったのですが、
家庭の事情がそれを許さず。

高等文官試験を受けていなかったのですが、
農林省と商工省を受けます。

商工省は落第。
農林省は合格しました。勤めながら高文を受けようかと思っていたとき、
東大の掲示板に、

三井合名の「英法卒業生一両名採用」という掲示が。

親戚や先輩に聞いてみると
いい会社だということで受験を勧められ、
会社で三回選考を受け、一人だけ採用されました。

体格検査も無事通過、
かくして自分では全く思ってもいなかったところに入社し、
一生を託することになったのでした。



昭和2年4月1日、三井合名入社。
江戸は日比谷の会社の門をくぐります。
日本最大の会社の新入社員にしてははなはだいかさない姿。


ちなみに、江戸より一年前に入社した萩原吉太郎はこのとき病気療養中だったとのこと。
萩原は以前、このメルマガでも紹介しましたが、
二人の人生が私の履歴書で
このように交錯するというのもおもしろいものです。


通常、新入社員はまず調査課に配属され、
数年間勉強させられるものですが、
江戸はいきなり不動産課にまわされます。

手紙の受付整理、簡単な返事、
コンニャク版ずり、日本橋三井本館の工事現場への連絡など雑務ばかり。

江戸は不器用でへまばかりやらかします。
課内の空気もなじみにくく、いい加減くさってしまいました。

健康も回復してきたので、退社して司法試験を受け、
方向転換しようかと考え、
辞表も書きましたが、叔父や先輩に説得され、これを撤回します。


方向転換を断念した江戸は、
心機一転、会社員に徹しようと決心します。

夜学の簿記学校に通い、
ソロバン、簿記、英文タイプなどを習います。
そして、飲めない酒も無理をして飲み、
人並みの会社員付き合いをするよう努めました。


昭和4年6月に三井本館の盛大な完工式が挙行されました。
このときから江戸は、文書課勤務に。

三井合名の会議や文書事務を担当します。



この三井合名という会社ですが、
有名な「三井○○」という、三井系の会社の総元締めの会社です。

三井物産、三井鉱山、三井倉庫などをはじめ、
銀行、信託、生命などの総本山の会社でした。



三井合名は、当時三井全体の外交的役割などをしており、
綱町別邸など豪華な接待場所を持ち、
常時内外のお客さま接待の催しをしていました。

大きな接待には若いものまで動員されましたが、
江戸は接待に不向きとされたのか、かり出されたことはありませんでした。

しかし、江戸は文書課で徹底的に文書を書くことを仕込まれます。
課長や課長代理が長いことかけて、
懇切丁寧に訂正、完膚なきまでに朱を入れられて返ってくることが通例。

おかげで後年気楽に筆をとれるようになったと回想しています。



昭和6年9月、満州事変が勃発。
社会情勢が物騒になってきます。

それまで太平安穏にいた三井財閥も、
狂瀾怒濤の時代に入っていきます。

江戸英雄もその流れに飲まれていくことになります。


このお話の続きは明日に。





私の履歴書─昭和の経営者群像〈5〉




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