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出光佐三(出光興産社長)─昭和時代の私の履歴書

昭和の偉人たちが何を考え、失敗にどう対処し、
それをいかに乗り越え、どんな成功を収めたのか、

日本経済新聞に掲載されている、
自伝コラム「私の履歴書」から
探ってみたいと思います。


私の履歴書─昭和の経営者群像〈5〉


出光 佐三(いでみつ さぞう、1885年8月22日 - 1981年3月7日)は、
石油元売会社出光興産の創業者。



明治18年福岡県生れ。
44年出光商会(のち出光興産)を創業、
支店網を広げ、中国・南方まで進出。
戦後石油国策を唱え、外資に対抗、
昭和33年石油国有化のイランから輸入を実現。
家族経営を貫く。56年3月7日死去。


「私の履歴書」は昭和31年7月に連載している。
出光佐三は冒頭、
一生を通じてある一貫したものを持ってきたと回想しています。

それは、


読書に縁がない


ということでした。
出光は小学校のころから体が弱くなり、

不眠症や神経衰弱になってしまい、
読みたいのに読めないという状況になってしまったそうです。


そこで読書せずに、


ものをよく考える


という習慣がつきます。
何かやるにしても考えて考えて考え抜く。

体が弱いので仕事を怠ける。
何をやってもあくびが出ていやになる。
短気になる。

それを克服しようと出光は病と闘ってきたのでした。
自分を殺す克己の精神、
利益本位ではなく商売本位、事業本位。

からだの弱かったということは不幸せであったけれども、
その反面、非常に自分というものが変わったものにできたと
出光は言っています。


出光は福岡県宗像郡に生まれ、
人の恵みのなかで育ちました。

親類兄弟たくさんいましたが、
非常にみな仲のいいうるわしい家庭で外から見てびっくりするくらいだったと。

いざこざが家にはなかった。
これが出光にとっての第一の恵み。


また、出光は神戸の高等商業に入ったのですが、
その校長、水島鉄也は人をつくる人でした。

そこで人間としての生き方を学びます。
これが第二の恵み。


また出光はのちに神社の復興なども手がけますが、
なぜ神様を拝むのかという問いに以下のように答えています。

─────────────────────────
【引用ここから】

若い社員がはいってきてどういうわけで神様をおがむのかと質問する。

それから私は説明してやる

「君らは三年か五年大学にいったためにうぬぼれ過ぎている。

 そして人間が完成したように思っているが、
 人間というものは実は何も力はないのだ。

 ここの会社にはいったならばまずおれは大学を出た、卒業したという気持と
 卒業証書を捨てろという。

 人間社会の人情の複雑な中に飛び込んで、
 その中で鍛えて鍛えて鍛え上げていくところに人間としてのえらさがでてくる。

 苦労をすればするほど人間は完成に近づくのだ。

 私は神様をおがむが、そのときはまだ無我の状態にはいるのだ。

 家庭では神様と仏様をおがむし一日に何回か無我無心の状態にはいる。

 それは非常に尊いことだ。

 どうぞ金もうけさせて下さい。いい思いをさせて下さいというようなことを頼んだことはない。
 無我無心になる、これだ」


【引用ここまで】
─────────────────────────


神戸高商を出て、出光は当時高等教育を受けたものには珍しい
店員奉公をします。

神戸の酒井商会。石油と小麦粉を商売していました。

しかし友だちから強い言葉で非難されます。

「お前はどうかしている。学校のつらよごしだ」


出光は当初、外交官になるつもりでした。
そのことを父親に言うと、

役人は辞令一本で新しい任地にいかなければならない、
何でもいいから自分の仕事をやることだ

と反対され、神戸の鈴木商店に入りたいと水島校長にお願いしたものの、
学校出が入る口はないとされ、やむなく酒井商会に入ったのでした。


出光はここで一生懸命働きます。

「お前たちがおれを非難するのならこっちにも覚悟がある。
 お前が重役になるのが早いか、おれが独立するのが早いか、
 どっちが早いか競争しようじゃないか」

といって大いにがんばりました。


しかし酒井商会に二年いたとき、実家が破産してしまいます。
今までの仕事は放てきして、自分がここで仕事を始めなければと思い、
仕事をはじめたのでした。

そのきっかけは当時出光が住んでいた西宮の家の近所に
日田重太郎という人がいて、親しくしていたのですが、
風雅一点張の人でした。

あるとき日田から、西宮から宝塚まで歩こうじゃないかと誘われます。


─────────────────────────
【引用ここから】


私が酒井商会にまだいるときだったが、二人で歩いているうちに

「私は京都に別荘をもっているが、それを八千円で売りに出してその金を君にやるがどうだ」

ということをいわれた。

私は突然の申し出に非常に驚いた。またその条件が一風変わっている。

「ただやるのだから返さないでいい、利子もいらない。
 また事業の報告もせんでいい。君が好きに使え、ただ一つおれに希望がある。

 それは君が独立を貫徹することだ。そうして兄弟仲良くやってくれ」

日田という人はあまり金回りはよくないが、
自分に薄く人に厚い人で、汽車なども三等に乗っていた。

そうして人のためには金を惜しげもなく出す。
つまり、私を見込んだのだろう。


【引用ここまで】
─────────────────────────


出光は、日田氏から無償で受けた金を元手にして店をもちます。
それから門司に出て石油の店を始めたのでした。

当時の8,000円は、いまでいうところの4,000万円ぐらいでしょうか。
いずれにしてもこういう人がいるのが戦前日本のすごいところでもあります。


さて、
それまでは小麦をやっていたのですが、
なぜ石油にしたのかというと、


潤滑油は毎月売れるから


という理由でした。

しかし、スタンダードとか日本石油にいる先輩たちからは、
これから電気が発達してきて、油は使わなくなる。
見通しのよくない油に手を出すことはないだろうと。

とにかく出光は初心貫徹で一生懸命に、
この石油事業にかじりついてやりました。

実際にそれは大変な苦労だったようです。


そんなとき、漁業が興ってきました。新事業。
さらに満洲大陸方面に出かけて新販路を開拓し、
成功が始まります。


成功しはじめた出光でしたが、矛盾を感じ始めます。

自分は信念を持ち、理想を掲げてはじめ、
資本家に反感をもっておこしたものでもある。

しかし、自分が油を売るに当たって高く売れば向こうが損をする。
向こうが安く買えば私が損をする、
こんな割に合わないことをなぜはじめたか、それが一番の矛盾でした。

といってここでやめたら生涯何事も成就しないだろうと、
とにかく是なりと信ずるところをやろうと。


そのうち大正6年、7年になると、第一次欧州戦争がはじまります。
仕事を初めて6、7年目のことでした。

戦争で油は足りなくなるだろうと出光は思います。
しかし使うほうは分からないものが多い。

そこで出光は、
使う人に油が無くなるからいまのうちに手当てをしておきましょう、
といって商売気を離れて油の用意をしました。

そのため出光の顧客だけは
油が不足して仕事を休むようなことはなかったのでした。

他社では油が切れて事業を休んだところがたくさん出ます。

出光は顧客のために油を用意しただけで、
お金は儲けませんでした。


しかし戦争がすむと、油は出光に任せておけということになります。


「私は金はもうけなかったが得意先をもうけたのだ。」


これが商売人の使命と出光は知り、
いままでおれがもうければ人が損をするというナゾが解けたのでした。



金をもうけずに得意先をもうけるという言葉はうまい言葉ですね。
何度もメルマガに書いていますが、
ポーターの共通価値の話に通じるものがあります。

実際に、震災のときにももうけようとした人は恨まれていますが、
もうけ度外視でがんばっている人のところには、
人が集まっているように感じます。

不思議なものです。





私の履歴書─昭和の経営者群像〈5〉



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