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奥村綱雄(野村証券会長)─昭和時代の私の履歴書


昭和の偉人たちが何を考え、失敗にどう対処し、
それをいかに乗り越え、どんな成功を収めたのか、

日本経済新聞に掲載されている、
自伝コラム「私の履歴書」から
探ってみたいと思います。



私の履歴書─昭和の経営者群像〈3〉


奥村綱雄(おくむら つなお)は、昭和期の実業家。

野村證券元社長・会長。野村證券中興の祖である。


明治36年滋賀県生れ。
大正15年京大卒、野村証券入り。
昭和23年社長、GHQに抗し野村の屋号を守り
証券投資信託法制定を図る。
34年会長。37年経団連外資問題委員長。
資本自由化促進につとめた。
47年11月7日死去。



「私の履歴書」は昭和35年7月に連載している。



この私の履歴書を読んでいると、
経営者、社長と一口に言っても
本当にいろんな人がいるんだなあと
勉強になります。

この奥村綱雄という人物は
エリートとは遠いところにいたような人です。
出世競争からも離れ、閑職も経験していますが、

人物としては本当にどこか楽しいところが感じられます。

一緒にいたらおもしろい人だったんでないかなあと推測。




奥村綱雄は、明治36年に
滋賀県信楽で生まれます。

生家は代々信楽焼の窯元をやっていたそうですが、
四男坊だった父親が翻然堺に移住、
菓子の製造販売業を始めます。

父の事業は割合順調に発展、
奥村はひとりっ子ということもあり、
のんびり育ちます。


父も一風変わっていて、
一人息子の奥村を徹底した自由放任主義で育てました。

奥村は大正11年から15年にかけて京都大学で学びました。
当時は上等の下宿でも月に十円で賄えた時代に
父は毎月百円を送金。

いまでいうと、月五十万円ぐらいでしょうか。


父の考えは、


「金や物で残したってつまらないから、使うだけ使え。
 そのかわり、けっしてけちな根性はもつな。
 どんなに遊んでもいいから、その遊びを通して何かを身につけろ」



というもの。

本人いわく、遊ぶだけは盛大に遊んだが、
そこからあまりたいしたものを身につけずに大学を出た、と。


野村証券に入って間もなく結婚。
女房の家もまた大地主ということで、

「共謀で双方の実家から金をまきあげたから、
 自分の月給なんかてんで頭になかった。」


経済的には不自由のないのほほんとした生活が続いたものの、
勤めの方はさっぱり。

同僚はもとより後輩にまでどんどん追い越されてしまいます。



しかも野村に入って七、八年
──名古屋支店時代に奥村はどえらい失敗をします。

ちょうど七つになる長女に死なれたりして、
気持ちが重い状況。

ここで心機一転というわけで、
“大番”式の大相場を奥村は張りますが、

見事に失敗、
すってんてんになってしまいます。



奥村の妻の実家では親族会議に。

「奥村は品行もよくないし出世も人一倍おくれている。
 あんなのは先の見込みがないから
 この際離婚させたらどうか」

ということになったのだとか。


─────────────────────────────
【引用ここから】


品行の話になると、私も一言もない。

結婚してからきまった時間にきちんと家に帰ったことはほとんどない。

娘かわいさのあまり、それが女房のおやじには心配でならなかったらしく、
毎晩私が帰るまで、母屋の義父の部屋にぽっかりと電灯がついていた。

そして私の帰った気配がすると、それがぱちりと消えるのである。

夜の一時になろうが二時になろうが、この所作は毎日くりかえされて、
ほとんど競争みたいになってしまった。

義父にしてみれば、この毎夜の“ぱちり”は
私に反省をうながすつもりだったにちがいないが、

全然反応がないと知ると、ついに義父のほうで根負けしたか
半年ばかりでこの夜ごとの競技はやめてしまった。


それにしても、漢学の先生みたいに謹厳そのものだった家内の父が、
ついぞ私に小言や意見めいたことを一言もいわなかったし、
私もまた若かったので、養子じゃないぞとカラ元気を出していた。

そんなときに、突如として相場の大失敗事件が起こったからたまらない。

親類の連中は家内を呼んで

「ちょうど子供もなくなったばかりだし、
 それにどう考えても先の見込みがない男だから、
 ここで別れてしまえ。

 そのかわりお前は、一生長女として厚く遇する」

と、口をきわめて離婚を説いた。

半年ばかりして知ったが、そのとき女房はこういったそうだ。


「私はあの人のどこかに見どころがあるとおもう。
 でなくとも、いまあの人は相場にやぶれて失意のどん底にあります。

 得意の絶頂にあるときなら私も一応考えてもいいが、
 こんなときに別れて帰るなんて私にはできません。

 もちろん私も覚悟のうえです。

 今後はいっさい実家の援助を受けないからどうかこのままにしておいて下さい」



この妻の態度を知ったとき、私は心からうれしくおもった。

それからというものは、たとえよそで泊まるようなことがあっても、
女房の方に足を向けて寝ないようにしている


よく結婚の仲人に頼まれることがあるが、
そんなときに私はきまってこの話をすることにしている。

いってみれば自分の恥をさらすようなものだが、
亭主の失意のときにこそ、
私の妻のようにあってほしいと思うからだ。


【引用ここまで】
─────────────────────────────

奥村は妻と相談し、
生活態度や様式を一変して再出発することにします。

まもなく大阪に移ったのを契機に、小さな家に住みました。





【就活に軒並み失敗】

話は前後しますが、学生時代の奥村は、
成績も悪く、ノートを借りたりして何とか卒業という状況でした。

就職活動にも軒並み失敗。
三菱銀行、三井銀行、山口銀行、軒並みダメで、

大学院に残ってもう一年遊んでやろうかと思っていたところ、
小島昌太郎という経営学の先生から声がかかります。

野村さんを知っているから紹介しよう、と。


成績がよくないところに、
見たところ従順なサラリーマンには向きそうもないと
看破されたらしく、


「補欠採用」


ということに。


京大からの採用は当時一人で、
田中くんという人に採用が決まっていたのですが、

田中くんはできがよく、
安田銀行へ走ったので、空席がひとつできた。

そんないきさつでやっと、奥村は野村証券に入れたのでした。




田中くんとの後日談。

二十何年間もその田中くんとは消息が絶たれていたそうですが、
戦後の二十四年、ひょっこり田中くんが現れます。


「お前、まさか二十余年前のことを忘れはせんだろうな。
 あのときおれが安田へ行ったからお前が野村にはいれたので、
 いわば今日、社長になっているのも、おれのおかげだぜ」


と舌鋒鋭く切り込んできました。

なんといわれても、事実なので奥村は一言も言えず。


田中くんはさらに

「ついてはぜひ頼みたいことがある。
 おれのせがれがこんど同志社を出るが、
 あのときのことを思い出して君のところでとってくれ」と。

昔日の救いの神の申し入れとあってみれば、
冷たい態度では帰せない。

そこで「まあなんとか考えておこう」といったことで別れたが、
さてそこで困ります。


そのころは奥村もまだ若かったので、
社員の採用に一つの理想をもっていました。

義理人情で採っていたんでは人材は集まらないというので、
みずから入社規定を厳重にしていた手前、
これだけは例外にしてくれなんてとてもいえない。

いよいよ試験の日がやってきて、
副社長以下の選考委員がそれぞれ採点しているのをじっと見ていたが、
気が気でない。


もし、結果が不合格と決まったら、
その時は重役各位に率直に打ち明けて
頼んでみようと観念していたのでした。

ところが、選考委員の目にかなって、
見事にパスしたのでした!

奥村は心からホッとします。
おかげで頭を下げずに済んだと。

その時の田中二世はもう相当の地位に昇り、
履歴書執筆時には元気に活躍していたのだとか。


奥村の人間性がよくわかるエピソードですね。
おもしろいです。




【外債事件で左遷、座敷牢へ】

昭和5年、ときの蔵相井上準之助は
猛然たる反対の中、金解禁を強行します。

奥村は投資相談部にいました。


識者の多くは、金解禁は失敗に終わり、
再禁止になるだろう、

そうなれば円の暴落は必至。


その際の資産の保全は
わが野村証券の投資相談部へ、
ということで、

宣伝がうまくいったこともあり、
一般投資家が外貨債の買い出しに殺到します。

あわてた井上蔵相は、
外貨債を買うことまかりならぬと
市中銀行に厳重なおふれを出しましたが、

この蔵相通達は地方銀行まで回りませんでした。
そこで、奥村は地銀相手にパンフレットを作り、
いまのうちだと大いに宣伝しました。


ところが、
どういう手違いか、地銀のリストの中に


日本銀行神戸支店


が入っていて、そこに野村証券のパンフレットが
郵送されてしまったのでした。

日銀幹部は、国策の裏をかくとはけしからんとカンカンになり、
野村証券の片岡社長を呼び付けます。

片岡社長は真っ青になり、
このパンフレットは何者の仕業だということになりました。


やがて犯人が奥村という名もない若造だと分かり、
片岡社長は奥村を呼び付け、

「君は野村に大きな損失を与えたんだから、潔く辞表を出せ」

とどえらい叱られ方でした。


もはやこれまでと奥村は観念しましたが、

「あいつはどっかにおもしろいところのある奴だから」

と勝田貞次、飯田清三の両氏が助命運動に乗り出してくれ、
おかげでなんとか首だけは助かります。


そのかわり、登録係という、
座敷牢のようなところに入れられてしまい、
証券にひたすら番号を付けるという仕事に。

奥村以外はみんな女の子ばかりという職場で、
そこで過ごした二年間は外目には見られない図であったろうが、

奥村本人は、
蜂の社会とは反対にここで働くのはメスの女の子ばかり、
オスの私は一人いばっていい気なものであったとのことでした。





20代、30代は失敗ばかりで、
全くうだつの上がらない奥村綱雄。

会社の名前に泥を塗るぐらいの大失敗、
お上に目をつけられるような大失敗を続けます。

そんなサラリーマンの奥村が
ここからどのような汚名挽回をはかるのか、
明日以降に続けたいと思います。







私の履歴書─昭和の経営者群像〈3〉






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