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山本為三郎(朝日麦酒社長)─昭和時代の私の履歴書


昭和の偉人たちが何を考え、失敗にどう対処し、
それをいかに乗り越え、どんな成功を収めたのか、

日本経済新聞に掲載されている、
自伝コラム「私の履歴書」から
探ってみたいと思います。



私の履歴書─昭和の経営者群像〈3〉


山本 為三郎は、実業家。
「ビール王」、「ホテル王」と呼ばれた。

朝日麦酒(現、アサヒビール)社長。サントリーにも関与。
その後、新大阪ホテル、大阪ロイヤルホテルを設立。



明治26年大阪生れ。
中学在学中に家業を継ぎ、
大正6年米国留学から帰国。
11年加富登等と合併設立した日本麦酒鉱泉常務、
昭和8年大日本麦酒常務、戦後分割された朝日麦酒社長、
41年会長兼務。
昭和41年2月4日死去。


「私の履歴書」は昭和32年4月に連載している。



山本為三郎は、明治26年4月に
大阪の船場で生まれる。

山本は生粋の大阪商人の家に生まれました。

祖父は相当派手に暮らしたらしく、財産も蕩尽、
祖母が山本家の再興を図ったそうで、
山本は祖母の厳格な教育を受けました。

服装も夏冬同じような服装で通し、
時間と生活を正確に規則正しく守ること、

物への愛と人への愛とは明らかにちがうべきものであること、
などなど祖母から絶え間なく薫陶を受けました。


人への愛というものは、思いやりということでつながるもの。

自分がその人の立場に立ってものを考えるということをしなければ、
人に愛されず、また人を愛する資格もないと教わったのだそうです。

なかなかのおばあさまですね。


山本家は五代前からずっと一人っ子だったとのことで、
教育に情熱をかける家系なのかもしれません。


大阪の気質についても、山本はここで述べていますが、
二つ興味深い記述があります。


一つは、渡辺崋山の商人訓、その商人訓の一番はじめに、


「使用人より先に起きよ」


とあります。


─────────────────────────────
【引用ここから】


これは主人が使用人の生活を支えてやっているという考え方でなく、

使用人たちに自分の商売をしてもらっているのだ、

だから主人は使用人より先に起き「おはよう」というあいさつに、心からの感謝をこめ、

そして使用人を励まして働かせていくという心構えをいったものである。


【引用ここまで】
─────────────────────────────


大阪商人の強さの秘密が垣間見えたような気がしますね。

また、二つ目に興味深かったのは、


「近所に同業ができたら誼みを厚くして相励め」


という商人訓です。

大阪の道修町は町の端から端まで四、五丁の間、全部薬屋だそうで、
本町は昔から繊維業者ばかりが軒を並べているのだとか。

この共存共栄の精神に徹してきたからではないかと
山本は指摘しています。

いまの大阪ではどうなっているんでしょうかね。


大阪に限らず、
同業と共存共栄を図るというのは、
マーケットの全体シェアの拡大に寄与すると考えれば、
非常に大事なことだと思います。



さて、山本は17歳のときに人生の転機を迎えます。

父親の事業はガラス瓶の製造だったのですが、
三ツ矢サイダーをはじめた帝国鉱泉会社という会社で、
空き瓶の回収に困難していました。

そこでこの帝国鉱泉が資金拡充する際に
山本と関係ができたのでした。

なぜ17歳の山本がこうした事業に関わるようになったか?


当時大阪では、当主は五十歳で隠居するという風習があり、
山本の父もそのようにしたのでした。

山本は大阪の北野中学を出て、
卒業後は店の仕事があるので上級学校へ行かず、

大学の先生をしていたイギリス人から
個人教育を受けていたのだそうです。

実業が先で、教育はあとからという
変わった形でした。


当時の製瓶機械はアメリカが優れていて、
山本はアメリカへ行って半自動製瓶機を持って帰り、
大正6年、日本製びん会社を作ります。

しかし、そのころ財界の大物、和田豊治から、


「ガラス会社というものは、もっと大規模でやらなければいかん。

 一鉱泉会社やその他の零細な需要だけを対象としているんでは大きな発展はない。

 つまり、ビールとタイアップしなければ大きくなれんよ」


といわれたのだそうです。

これが口火となり、名古屋の加富登ビールとの
合併話が持ち上がったのでした。

三ツ矢サイダー:加富登ビール=1:1.15

で合併することは無条件でいいけれど、

びん会社はまだ仕事を始めたばかりで無配だから、

1:0.7

ぐらいで合併しようということでした。

これに対し、山本は、「対等で合併を」と、
当時できたばかりの日本工業倶楽部で三日間激論を戦わせます。

和田豊治は山本が猛烈にがんばるので、

「山本君、おだやかにやれよ」と一言いって、
ちょっと顔を出しただけで帰ってしまいます。

山本の突っ張りに、加富登ビールの根津嘉一郎は
根負けしたというわけではないのでしょうが、
最後に

「仕方がない。君を買うことにしよう。君の若さを買ってやるんだ」

と。この鶴の一声で、1:1、対等合併が成立します。


合併後、ユニオンビールという商標で売り出し
順調に業績を伸ばします。

大正11年に山本は技師四名と欧米各地を十カ月にわたり視察、

ユニオンビールは二つの工場を建設、
ビールは需要が増加し、積み立てた利益を再投資していきます。

そして、ビール界には空前の大競争が起こり、
その絶頂は昭和8年のことでした。

昭和12年に日華事変が起こると、ビールの需要が急速に伸びます。
軍が軽アルコール飲料として供給物資に採用したためでした。


しかし、ここで問題が起きます。
いままで大部分を輸入に仰いでいたホップが、
輸入禁止となったためです。

国産ホップはわずか需要の一割ということで、

五年後には国内で賄えるようにするという約束で
ときの石渡荘太郎蔵相、吉野信次商工相にお願いし、
なんとか輸入許可をもらったのでした。

実際、昭和17年には国産化を実現、
技術努力の結実がなされたのでした。


ホップだけではなく、
麦も戦争が始まって間もなく国産化に成功、

明治期に外国麦で作られていたビールは名実ともに
国産のものがつくられるようになったわけです。


─────────────────────────────
【引用ここから】


このたび、ほかの会社で新しくビールをはじめたが、仕事をはじめて麦やホップが要るという時に


『あなた方が今日ビールをおやりになって、すぐ技術者もいる、麦もホップもある、
 またその需要層もあるということは、われわれの先輩が八十何年間、
 営々として築いた地盤の上に乗るということだ。

 その過去の有名無名の功労者や、実際面を担当した工員とか農民に対し、
 十分の敬意と感謝をささげてもらいたい』


と念を押してお分けしたことである。

日ごろ私が考えもし、人にも話していたことをそのまま申し上げたまでである。

今日のビール業界の繁栄の裏には、幾多の先輩の血のにじむような苦労がかくされていることを
忘れてはならないと思う。


【引用ここまで】
─────────────────────────────


昭和14年、ビール界は生産173万5000石という最高記録を達成、
山本は絶頂期を迎えていました。



明日に続けます。








私の履歴書─昭和の経営者群像〈3〉







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