震災以来、
日本人の価値観に変化が起きたように感じます。
震災前は、
自己中心的
お金中心的に世の中が回っていました。
いや、私はそうではないよという人も、
ちょっぴりどこかで思い当たるフシがあるはずです。
そうは言っても現実は自分のことを大事にしなきゃいけないし、
生きていく上ではお金は大事だよと思ってはいるでしょうが、
震災を経て、多くの方々が、
困っている人のために、自分のお金を、物資を、
人によっては体を使ってボランティアにまで行き、
誰かのために力を尽くしていました。
私は、みなさんに、
被災地の小学生にえんぴつを、と呼びかけましたが、
あっという間に多くの人が
たくさんの物資を送ってくださり、
「このような機会を設けてくださりありがとう」とのそれこそありがたい言葉までいただきました。
こちらこそ、自分のふるさとの子どもたちのために
ありがたいなと思いながら、
不思議なことだなあと思っていました。
最近出版されたこの『利他のすすめ』は、
この私の疑問に答えを出してくれたように思います。
たいへん読みやすく、わかりやすい本ですので
ぜひ多くの人に読んでいただければと思います。
【周利槃特の話】本書で紹介されていたお話です。
昔、お釈迦様の時代に周利槃特(しゃりはんどく)という人がいました。
この人は何を聞いても忘れる人で、
自分の名前すら忘れる人でした。
お兄さんはすこぶる優秀で、
お釈迦様のお弟子のなかでも一目置かれる存在でした。
しかし周利槃特はいつまでたってもお経も覚えられず、
騒動を引き起こしてばかり。
お兄さんは後始末に奔走します。
ある日、お兄さんはしびれを切らし、周利槃特に
「お前は迷惑をかけてばかりだからここを去れ」
といって、追い出してしまいました。
周利槃特は門の外で一人泣くばかり。
しばらくするとそこにお釈迦様が通りかかります。
そしてそっと近づいてこう語ります。
「お前にはお前の道がある。明日からこの言葉を唱えながら掃除をしなさい」
そして、お釈迦様は、
「塵を払わん、垢を除かん」という言葉と箒を与えたのでした。
周利槃特は来る日も来る日もこの言葉を唱えます。
はじめはだれも見向きもしなかったのですが、
時がたつにつれ、多くの人が集まります。
その一心に掃除をする姿が尊く、
思わず手を合わせたくなるほどだったからです。
お釈迦様は周利槃特を修行最高段階の地位といわれる
十六羅漢の一人に選んだのでした。
いまでいうところの知的障害者です。
大山さんは、実は最初のころは自分もこの「周利槃特」に
見向きもしなかった一人だと告白します。
【知的障害者雇用のきっかけ】1959年、大山さんの会社に、
一人の養護学校の先生が
生徒を就職させてくれないかとお願いに来ます。
何度も頭を下げて必死な先生に、
大山さんは
「なんでうちに?」
と思い、
「そんな、おかしな人を雇ってくれなんて、とんでもないですよ。
それは無理な相談です。」
と言ってしまいます。
しかし先生はあきらめず、何度も会社へやってきます。
「せめて働く体験だけでもお願いできませんか。
この先、あの子たちは親元を離れて地方の施設に入ることになります。
一生働くことを知らずに終わってしまうのです。」
ここで大山さんは、同情心が芽生え、
二週間程度ならということで就業体験を受け入れることにします。
就業体験にやってきた十五歳の少女は、
チョークの箱にシールを貼る作業を一言も口をきかず、
無心で続けていました。
仕事が終わって
「ありがとう、助かったよ」
と声を書ければ、心から嬉しそうな笑顔で応えてくれました。
最終日の終業後、二人を世話していた社員の一人が、
大山さんのところへやってきてこう言いました。
「こんなに一生懸命やってくれるんだから、
一人か二人だったらいいんじゃないですか。
私たちがめんどうをみますから、あの子たちを雇ってあげてください。」
確認すると、社員の総意だというので、
「それなら」ということで正式に採用することに決めます。
熱心な先生、理解のある社員の手に引かれて、
大山さんの考え方も変わっていったのでした。
このとき働きはじめた少女の一人は、
いまでも働いているのだそうです。
【人間の究極のしあわせとは?】二人は、雨の日も風の日も満員電車に乗って通勤してきます。
単調な仕事に全身全霊で打ち込みます。
どうしても言うことを聞いてくれないときに、
困り果てて「施設に帰すよ」と言うと、泣いて嫌がります。
施設にいれば楽に過ごすことができるはずなのに、
つらい思いをしてまでなぜ工場で働こうとするのか、
大山さんにとってはずっと疑問でした。
ある時、法要で訪れた禅寺で、ご住職に、
「うちの工場には知的障害をもつ二人の少女が働いています。
施設にいれば楽ができるのに、なぜ工場で働こうとするのでしょうか?」
と思わず質問してしまいます。
一瞬、間がありました。
そして、ご住職は目をまっすぐ見つめながらおっしゃいました。
人間の幸せは、ものやお金ではありません。
人間の究極の幸せは次の四つです。
人に愛されること、
人にほめられること、
人の役に立つこと、
そして、人から必要とされること。
愛されること以外の三つの幸せは、働くことによって得られます。
障害をもつ人たちが働こうとするのは、
本当の幸せを求める人間の証なのです。この後、大山さんは二人の少女とまっすぐ向き合うようになり、
毎年、少しずつ養護学校の生徒を迎え入れるようになったのでした。
知的障害者を主力とする会社を作ろう。
障害者雇用のモデルとなる工場を作ろう。
しかし、社会の無理解や心ない言葉を浴びせられたり、
知的障害者は毎月検査を受けなければならないため、
健康保険金の支払いが多く批判をされたりしたこともありました。
「知的障害者のために」大山さんは奮闘し、
何度かのピンチも、いろいろな人がそのたびごとに助けてくださり、
ここまでの会社経営をされてきました。
大山さんはこう述べています。
────────────────────────
【引用ここから】
これまで私を助けてくれた方々は、
決して「私」を応援してくれたわけではありません。
私が、知的障害者のために働いているからこそ応援してくれたのです。
人は誰しも、他者のために全力で生きている人を応援したいと思うのです。
そういう人が困ったときには、
「なんとかしてあげたい」と思うものです。
【引用ここまで】
────────────────────────
【政策的見地から】大山さんは最後に、政策提言もされています。
障害者の幸せはすべて福祉行政が担うという発想から抜け出すべきと。
日本で障害者を二十歳から六十歳まで福祉施設でケアした場合、
一人当たり約二億円
の社会保障費がかかるといわれています。
単純計算で一人当たり年間五百万円の公費負担。
一方、最低賃金分を企業に全額公費補助した場合には、
国の支出は一人年間百四十万円で済むことになります。
私は今後の日本にとっては、
財政負担をいかに減らすか
いかに工夫をして行政が関わらないように政策を打っていくか
この二つはとても重要だと思っています。
小規模作業所の状況も見極め、
弱いところにしわ寄せがいかないような工夫もしたうえで、
一考に値する提言ではないかと思いました。
【マザー・テレサの言葉】────────────────────────
この世の最大の不幸は、貧しさでも病気でもありません。
自分が誰からも必要とされないと感じることです(マザー・テレサ)
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被災地の大変な映像を見たり、記事を読んだりして、
日本全国各地のみなさんが、
「何もできない自分に歯がゆい思いをしている」
という言葉を発しているのを何度か見かけました。
渡辺さんは実際に現地に行ったり、物資を集めたりできて、
本当にうらやましいです。
という言葉もいただきました。
でも、私は私で、何もできないでいる自分にむなしさを感じ、
もっと何かができるはずなのに、と空回りの日々だったのも事実です。
自分は必要とされていないと感じていたからなのですね。
こういうときに、
それでは必要とされる自分になろうと
必要なものを調べ自分で動いた人たちは、
今回とてもたくさんいて、
そんな人たちの懸命な活動のおかげで
少しずつ東北は動き始めています。
ありがたいことです。
さて、
私はこのメルマガを通して、今回のえんぴつもそうですが、
読者のみなさんに感謝しつつ、
自分にとって、このメルマガを読んでくださるみなさんのことが
必要だということをあらためて感じました。
明日で私も36歳になりますが、
この『利他のすすめ』を読みながら、
これから自分自身もそうですが、
日本人の生き方について一つの方向を見出したような気がします。
「アラフォー」らしく、
これからもバリバリと働き、
利他の精神を大事にしていきたいものです。
【オススメ書籍】大山泰弘『利他のすすめ─チョーク工場で学んだ幸せに生きる18の知恵』
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