2011年04月29日 18:00
昨日(4月28日)は、東日本大震災から四十九日でした。
津波に飲まれ命を落としてしまった友人の通夜がありましたので、
参列し、最後のご挨拶をしてきました。
そのお寺も周囲は、
津波の爪痕が感じられましたし、
お坊さんも法話の中で、
檀家さんが30人ぐらい亡くなられた、
とおっしゃり、何とも言えない表情をされたのが印象的でした。
故人に手を合わせながら感謝しながら、
法話の中に印象深い「諸行無常」のお話がありましたので、
みなさんにご紹介したいと思います。
蓮如上人の「諸行無常」の話とのことで、
以下にそのお話を引用したいと思います。
【現代語訳】『蓮如の手紙』国書刊行会/浅井成海 監修 より)
http://www2.big.or.jp/~yba/Real/q48.html
───────────────────────────────
【引用ここから】
さて、人間というもののよるべない有様を心を静めて見つめれば、
「およそ儚ものとは、人がこの世に生を享けてから去ってゆくまでの始中終、幻のような一生である。
これだから、人が一万年の寿命を受けたとはいまだかつて聞かない。
一生はすぎやすいものである。
末世の今にいたっては、いったい誰が百年の姿形を保ちえようか。
われが先か、人が先か、命の終わりを迎えるのは今日とも知れず、明日とも知れない。
先立たれる人、先立つ人、それは草木の根もとの滴がしたたり落ちるよりも、葉先の露が散りゆくよりも多く、人の死の前後はうかがい知ることができない」
と先人は言っています。
ですから、朝には美しい生き生きとした顔をしていても、夕には白骨と化してしまう身です。
無常の風がさっと吹いたならば、二つの眼はたちまちに閉じ、命の息は永遠に絶えてしまいます。
美しい顔も空しく変わりはて、桃李のような愛らしい姿も失われてしまったなら、親族たちが集まって嘆き悲しんでも、もはや何の甲斐もありません。
いつまでもそうしてはいられないので、野に送って荼毘に付し、夜半の煙となりはてれば、ただ白骨だけが残ります。
あわれといっても、なおいい足りません。
人間の儚いことといえば、老いて死に、また若くしても死ぬこの世ですから、どなたも早く浄土往生の一大事に真剣に心を向けて、阿弥陀仏にお従いして、お念仏を申すべきです。
あなかしこ、あなかしこ。
【引用ここまで】
───────────────────────────────
蓮如上人の「白骨の御文章」という有名な一節だそうで、
私は宗教にはあまり詳しくないのですが、
諸行無常の意味がかみしめられるお話でした。
法話のなかでこんなお話をされました。
今日こうやって一人の方の命が失われたことを
嘆き悲しんでいるみなさんも、
この次の瞬間に大きな地震が起きて、
このお寺の屋根が崩れ落ち、命を落としてしまうかもしれません。
今日帰りに車で交通事故に遭い、
命を落とす人もいるかもしれません。
朝にはイキイキとしていても、
夕方には白骨になっているかもしれないのです。
諸行無常です。
しかし、だからこそ、私たちはいまを一生懸命生きなければならない。
そのようなお話でした。
なるほどと思いながら、その後に
喪主の方のご挨拶があったのですが、
その途中に大きな余震が本当に来て、
参列したみなさんも動揺されていました。
まだ地震は終わっていません。
友人の死を悲しむ自分が、
明日には死んでいるかもしれない。
自分より長く生きていくはずのわが子が
自分より早く死んでしまうかもしれない。
行く河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。
諸行無常だからこそ、
生きている今、
この瞬間を大切に生きたいと
あらためて感じました。
津波の爪痕が感じられましたし、
お坊さんも法話の中で、
檀家さんが30人ぐらい亡くなられた、
とおっしゃり、何とも言えない表情をされたのが印象的でした。
故人に手を合わせながら感謝しながら、
法話の中に印象深い「諸行無常」のお話がありましたので、
みなさんにご紹介したいと思います。
蓮如上人の「諸行無常」の話とのことで、
以下にそのお話を引用したいと思います。
【現代語訳】『蓮如の手紙』国書刊行会/浅井成海 監修 より)
http://www2.big.or.jp/~yba/Real/q48.html
───────────────────────────────
【引用ここから】
さて、人間というもののよるべない有様を心を静めて見つめれば、
「およそ儚ものとは、人がこの世に生を享けてから去ってゆくまでの始中終、幻のような一生である。
これだから、人が一万年の寿命を受けたとはいまだかつて聞かない。
一生はすぎやすいものである。
末世の今にいたっては、いったい誰が百年の姿形を保ちえようか。
われが先か、人が先か、命の終わりを迎えるのは今日とも知れず、明日とも知れない。
先立たれる人、先立つ人、それは草木の根もとの滴がしたたり落ちるよりも、葉先の露が散りゆくよりも多く、人の死の前後はうかがい知ることができない」
と先人は言っています。
ですから、朝には美しい生き生きとした顔をしていても、夕には白骨と化してしまう身です。
無常の風がさっと吹いたならば、二つの眼はたちまちに閉じ、命の息は永遠に絶えてしまいます。
美しい顔も空しく変わりはて、桃李のような愛らしい姿も失われてしまったなら、親族たちが集まって嘆き悲しんでも、もはや何の甲斐もありません。
いつまでもそうしてはいられないので、野に送って荼毘に付し、夜半の煙となりはてれば、ただ白骨だけが残ります。
あわれといっても、なおいい足りません。
人間の儚いことといえば、老いて死に、また若くしても死ぬこの世ですから、どなたも早く浄土往生の一大事に真剣に心を向けて、阿弥陀仏にお従いして、お念仏を申すべきです。
あなかしこ、あなかしこ。
【引用ここまで】
───────────────────────────────
蓮如上人の「白骨の御文章」という有名な一節だそうで、
私は宗教にはあまり詳しくないのですが、
諸行無常の意味がかみしめられるお話でした。
法話のなかでこんなお話をされました。
今日こうやって一人の方の命が失われたことを
嘆き悲しんでいるみなさんも、
この次の瞬間に大きな地震が起きて、
このお寺の屋根が崩れ落ち、命を落としてしまうかもしれません。
今日帰りに車で交通事故に遭い、
命を落とす人もいるかもしれません。
朝にはイキイキとしていても、
夕方には白骨になっているかもしれないのです。
諸行無常です。
しかし、だからこそ、私たちはいまを一生懸命生きなければならない。
そのようなお話でした。
なるほどと思いながら、その後に
喪主の方のご挨拶があったのですが、
その途中に大きな余震が本当に来て、
参列したみなさんも動揺されていました。
まだ地震は終わっていません。
友人の死を悲しむ自分が、
明日には死んでいるかもしれない。
自分より長く生きていくはずのわが子が
自分より早く死んでしまうかもしれない。
行く河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。
諸行無常だからこそ、
生きている今、
この瞬間を大切に生きたいと
あらためて感じました。
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