2020/03/11
震災から九年─支えることと伝えること

本日3月11日で、
東日本大震災からちょうど九年の月日が経ったことになります。
毎年同じようにこの日は、
私の地元六郷地区の東日本大震災慰霊祭に参列しています。
この地区では私のご近所の方々含め132名の方が犠牲となられま
昨年3月2日に、被災した旧東六郷小学校跡地において
六郷東部地区地域モニュメント完成式典・除幕式が開催され、
地元六郷地域で震災時に犠牲となった方々の鎮魂、
慰霊を表象するモニュメントが完成しました。
九年という月日は長かったような短かったような、
不思議な感覚ですが、
いまでもテレビや新聞等であのときの映像が目に入ると、
涙が出てきてしまいますし、
旅立ってしまった同級生、
あの友人やこの友人などを思い出します。
平成23年、あの震災があり、
県政で復興を実現したいという思いから私は県議選に出馬、
そして「落選した」年でした。
そういう意味では、
私にとっては東日本大震災で被災したというだけではなく、
政治を志す大きなきっかけになった年から九年の月日が経ったとも
震災から九年が経過しましたが、
まだまだ復興が完遂したとは言い切れません。
特に最近はソフト面での復興にどう取り組んでいくかということが
県政の様々な場面において感じるところです。
令和2年度末で国の復興長期計画十年は終了となりますので、
ここからが宮城県にとって、
東北にとって本当の勝負になります。
宮城県政においては、
宿泊税の議論が今議会の大きなテーマとなり、
結果として新型コロナウイルス対策もあり、
知事による議案撤回となりました。
復興需要が急速に収束していくなかで、
例えば宮城県の観光予算は令和元年度で約24億円となっています
国からの東北観光復興対策交付金で約6億円、
復興関係基金等繰入金で約9億円となっており、
もともと県単独の観光対策一般財源は約8億円。
つまり現在宮城県の観光を盛り上げる予算約24億円が、
一般財源を維持できたとしても来年度からは
約8億円、3分の1になる、これが現状です。
宿泊税は白紙になりましたので、
観光予算は来年度から大幅減ということになります。
観光政策のみならず、
令和3年度からの県予算運営はこれと同様に
大変厳しいものになっていくことが想定されます。
もちろん、この9年、
震災からの復興のために全国、全世界から多くの方々にご協力をい
国からの支援があったことでここまで何とか来ることができたので
今後さらに新型コロナウイルス感染症対策も
大きなテーマとなってくるでしょうし、
相次ぐ我が国の災害対策にも
全国的に注力していかなければなりません。
これからは、まだまだ途上である
東日本大震災からの復興を完遂することに加えて、
今後各地で頻発する災害対策に震災における知見を活かすこと、
そして同時に震災で経験した被災者の知見を被災地から発信し伝え
「支える側に回り、伝え続ける活動」
が、被災地の私たちに課された使命であると感じています。
全国、全世界に、これから少しずつ
恩返しをしていかなければなりません。
ーーーーーーーーーーー
あのとき。
震災直後の信号機が壊れた仙台港近くを通ったとき、
車の誘導をしているパトカーは、
「沖縄県警察」でした。
岩沼市で見かけた給水車は、香川県の
「丸亀市」
の支援によるものでした。
地元の沖野中学校の避難所には、
震災後すぐに「京都市」から支援をいただきました。
沖縄のパトカーを仙台で見ることなどもうないでしょうし、
水不足で有名な香川の給水車から
この宮城県で水をいただけるシーンを見ることも、
もうないことでしょう。
震災からわずか数日で、
全国からこのような応援をたくさんいただいたことに、
とても驚きましたし、
その後も全国、全世界から応援をいただいたことは、
本当にありがたく、
力強い心の支えだったと思い起こされます。
避難所で新学期に文房具がないということを知り、
このメルマガなどで発信し、
全国、全世界からほんとうにたくさんの文房具を万単位で
読者の皆さんから送っていただきました。
ありがたい気持ちが、
私たちの心にいまでも深く刻まれています。
ーーーーーーーーーーー
そして思い起こすと、
私自身もあの日、
そしてあの日からいろいろなことが一変しました。
平成22年、23年は私の人生のどん底で、
大転換期であったかなと今になってみると感じます。
あのときは涙を流すことも多く、
悲しい思いもたくさんしましたし、
つらい思いもたくさんしました。
しかしどんな窮地に陥っても、
「いまここにこうやって生きている、
命があることだけでありがたいことだな」
と必ず思えたことで、
この厳しい時を乗り越えることができたように思います。
いま思うと、震災がなかったら、
宮城県のために力を尽くそうと、
いまほど思っていなかったかもしれません。
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これからは、
私たちが多くの方に、少しでもいいので、
全国の方々の力になれるよう努力をしていかなければなりません。
まだまだ復興は道半ばではありますが、
私たち東北の人間が、
日本のために、世界のためにどこかで役立てるよう、
そして役立つことで私たち自身が
幸せを感じられるように
なっていかなければならないと思っています。
この九年間、
いつ死んでもいいという思いで、
あらゆることに取り組んできましたが、
ここからさらに、
宮城県政、復興の最前線で
全力を尽くしていきたいと思います。
東日本大震災から九年。
●全国の避難者等の数は、約4万8千人(令和2年2月28日現在
⇒ https://www.reconstruction.go.
●全国の震災の死者数は、15,899人(令和2年3月10日警
●全国の震災による行方不明者は、2,529人(令和2年3月1
⇒ https://www.npa.go.jp/news/oth
です。
まだまだ何も終わっていませんが、
「破壊されるものがあれば、
そこには必ず創造されるものがある。」
そう信じながら同時に、
宮城県の政治家として
地域のみなさんの先頭に立って、
「つくる」
活動を続けていきます。
ともに、がんばりましょう。
「震災から八年─政治を志して八年」(H31.3.11)
⇒ http://cuccanet.blog72.fc2.com
「震災から七年─震災後に生まれた小学一年生がまもなく入学」(
⇒ http://cuccanet.blog72.fc2.com
「震災から六年─小学一年生は卒業式」(H29.3.11)
⇒ http://cuccanet.blog72.fc2.com
「震災から五年─「復興・創生期間」ここからが勝負!」(H28
⇒ http://cuccanet.blog72.fc2.com
「東日本大震災から四年─破壊から創造を」(H27.3.11)
⇒ http://cuccanet.blog72.fc2.com
「つくるの原点─震災から三年になりました」(H26.3.11
⇒ http://cuccanet.blog72.fc2.com
「東日本大震災から二年─平了のハチマキというバンド」(H25
⇒ http://cuccanet.blog72.fc2.com
「東日本大震災から一年がたちました」(H24.3.11)
⇒ http://cuccanet.blog72.fc2.com
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