2019/03/11
震災から八年─政治を志して八年
本日3月11日で、
東日本大震災からちょうど八年の月日が経ったことになります。
毎年同じようにこの日は、
地元六郷地区の東日本大震災慰霊祭に参列しています。
この地区では126名の方が犠牲となられました。
今年は3月2日に、
六郷東部地区地域モニュメント完成式典・除幕式が開催され、
地元六郷地域で震災時に犠牲となった方々の鎮魂、
慰霊を表象するモニュメントが完成しました。
今年は、私も子供のころからよく遊びに行っていた、
深沼海岸、荒浜地区の慰霊の碑で14時46分を迎えました。
震災遺構荒浜小学校は、近年多くの方が訪れる施設となり、
防災の観点からも全国、そして世界から来ていただきたい施設の一
八年という月日は長かったような短かったような、
不思議な感覚ですが、
いまでもテレビや新聞等であのときの映像が目に入ると、
涙が出てきてしまいますし、
旅立ってしまったあの友人やこの友人などを思い出します。
八年というと四の倍数になりますので、
私にとっては選挙の年となります。
平成23年、あの震災があり、
その後の地域での様々な活動を経て私は県議選に出馬、
そして「落選した」年でした。
そういう意味では、
東日本大震災で被災したというだけではなく、
政治を志す大きなきっかけになった年から八年の月日が経ったとも
震災から八年が経過しましたが、
まだまだ復興が完遂したとは言い切れません。
ハードの面だけではなく、
ソフトの面でもまだまだということを
県政の様々な場面において感じるところです。
先日の県議会でも取り上げましたが、
被災地域交流拠点施設の整備が仙台市東部地区でも予算計上されま
集会所を整備したり、ソフト面の支援を進めるなかで、
被災した地域のコミュニティを再生していくための取組が、
ようやく始まりそうです。
そういう意味では公約の「つくる」を
ようやく被災地で実現できたということで、
私にとってもこれからが本番であるというように感じています。
だいぶ避難者の数は減りましたが、
それでもまだ全国で約5万2千人の方が避難を続けています。
まもなく国の復興長期計画十年を迎えますので、
ここからが宮城県にとって、
東北にとって本当の勝負になるように思います。
つらく厳しい時代を予感しながらも、
しかし全国、世界の皆さんからのありがたい感謝の気持ちも
私の心には深く刻まれています。
ーーーーーーーーーーー
あのとき。
震災直後の信号機が壊れた仙台港近くを通ったとき、
車の誘導をしているパトカーは、
「沖縄県警察」でした。
岩沼で見かけた給水車は、香川県の
「丸亀市」
の支援によるものだったことを目の当たりにしました。
地元の沖野中学校の避難所には、
震災後すぐに「京都市」から支援をいただきました。
沖縄のパトカーを仙台で見ることなどもうないでしょうし、
水不足で有名な香川の給水車から
この宮城県で水をいただけるシーンを見ることも、
もうないことでしょう。
震災からわずか数日で、
全国からこのような応援をたくさんいただいたことに、
とても驚きましたし、
その後も全国、全世界から応援をいただいたことは、
本当にありがたく、
力強い心の支えだったと思い起こされます。
避難所で新学期に文房具がないということを知り、
このメルマガなどで発信し、
全国、全世界からほんとうにたくさんの文房具を送っていただきま
ありがたい気持ちが、
私たちの心にいまでも深く刻まれています。
そして思い起こすと、
私自身もあの日、
そしてあの日からいろいろなことが一変しました。
この八年間の私の人生は、
振り幅が大きい八年間だったと思います。
涙を流すことも、
悲しい思いもたくさんしましたし、
つらい思いもたくさんしました。
しかしどんな窮地に陥っても、
「いまここにこうやって生きている、
命があることだけでありがたいことだな」
と必ず思えたことで、
この厳しい時を乗り越えることができたように思います。
これから訪れる人生の荒波に直面しても、
きっとそう思えることでしょう。
いま思うと、震災がなかったら、
宮城県のために力を尽くそうと、
いまほど思っていなかったかもしれません。
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その昔、宮城谷昌光の小説『孟嘗君』を読みました。
孟嘗君は中国戦国時代の政治家です。
この小説『孟嘗君』の登場人物に、
伝説の商人と言われた
白圭が出てきます。
白圭も、中国戦国時代の政治家で、
孟嘗君を赤ん坊の時に拾い、
育てた人です。
私財を民のために投じ、
黄河の治水工事を自ら采配して行ったと言われています。
この白圭は死の直前、孟嘗君から、
「私を育ててくれてありがとうございます」
と礼を言われた時、以下のように言っています。
「それは違う。
お礼をいうのは私の方だ。」
「助ける者は、助けられる者によって
幸せになれるのだ」
この言葉が私のなかで印象に残っていました。
もう何年も前に読んだ本ですが、
いま実感としてわきあがるものがあります。
助けることで、
ただそれだけで、
幸せになれる。
ーーーーーーーーーーーー
震災以後、多くの方にご支援をいただきましたし、
宮城県も国から多くの交付金、補助金をいただき、
全国の自治体からいまなお、
多くの職員の方々に応援をいただいています。
本当にありがたい限りですが、
これからは、
私たちが多くの方に、
全国の方々の力になれるよう努力をしていきたいと思います。
まだまだ復興は道半ばではありますが、
私たち東北の人間が、
日本のために、世界のためにどこかで役立てるよう、
そして役立つことで私たち自身が
幸せを感じられるように
なっていかなければならないと思っています。
この八年間、
いつ死んでもいいという思いで、
あらゆることに取り組んできましたが、
ここからさらに、
宮城県政、復興の最前線で
全力を尽くしていきたいと思います。
東日本大震災から八年。
●全国の避難者等の数は、約5万2千人(平成31年2月7日現在
⇒ http://www.reconstruction.go.j
●全国の震災の死者数は、15,897人(平成31年3月8日警
●全国の震災による行方不明者は、2,533人(平成31年3月
⇒ https://www.npa.go.jp/news/oth
です。
まだまだ何も終わっていませんが、
「破壊されるものがあれば、
そこには必ず創造されるものがある。」
そう信じながら同時に、
宮城県の政治家として
地域のみなさんの先頭に立って、
「つくる」活動を続けていきます。
ともに、がんばりましょう!!
「震災から七年─震災後に生まれた小学一年生がまもなく入学」(
⇒ http://cuccanet.blog72.fc2.com
「震災から六年─小学一年生は卒業式」(H29.3.11)
⇒ http://cuccanet.blog72.fc2.com
「震災から五年─「復興・創生期間」ここからが勝負!」(H28
⇒ http://cuccanet.blog72.fc2.com
「東日本大震災から四年─破壊から創造を」(H27.3.11)
⇒ http://cuccanet.blog72.fc2.com
「つくるの原点─震災から三年になりました」(H26.3.11
⇒ http://cuccanet.blog72.fc2.com
「東日本大震災から二年─平了のハチマキというバンド」(H25
⇒ http://cuccanet.blog72.fc2.com
「東日本大震災から一年がたちました」(H24.3.11)
⇒ http://cuccanet.blog72.fc2.com
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