2018/03/11
震災から七年─震災後に生まれた小学一年生がまもなく入学
本日3月11日で、東日本大震災からちょうど七年の月日が経ったことになります。
毎年同じようにこの日は、
地元六郷地区の東日本大震災慰霊祭に参列しています。
この地区では126名の方が犠牲となられました。
津波で被災し、廃校になってしまった
東六郷小学校も更地になってしまい、
となりには津波避難タワーが建設されました。
七年という月日は長かったような短かったような、
不思議な感覚ですが、
いまでもテレビや新聞等であのときの映像が目に入ると、
涙が出てきてしまいますね。
先日、ひさしぶりに「花は咲く」を聞いたのですが、
聞きながらいろいろなことを思い出し涙を流すと同時に、
あれだけ震災一色だった生活だったのに、
震災を忘れていた自分に気が付きました。
今年の春に入学する小学一年生は、
平成23年4月2日以降に生まれる子供たちとなります。
「震災後世代」が小学生になるわけです。
しかし、まだまだ復興が完遂したとは言い切れません。
ハードの面だけではなく、
ソフトの面でもまだまだということを
県政の様々な場面において感じるところです。
だいぶ避難者の数は減りましたが、
それでもまだ全国で約7万3千人の方が避難を続けています。
まもなく国からの復興予算はなくなるということで、
被災地の事態も急速に変化しているように実感しています。
ここからが宮城県にとって、
東北にとって本当の勝負になるように思います。
つらく厳しい時代を予感しながらも、
しかしありがたい感謝の気持ちも
私の心には深く刻まれています。
ーーーーーーーーーーー
あのとき。
震災直後の信号機が壊れた仙台港近くを通ったとき、
車の誘導をしているパトカーは、
「沖縄県警察」でした。
岩沼で見かけた給水車は、香川県の
「丸亀市」
の支援によるものだったことを目の当たりにしました。
地元の沖野中学校の避難所には、
震災後すぐに「京都市」から支援をいただきました。
沖縄のパトカーを仙台で見ることなどもうないでしょうし、
水不足で有名な香川の給水車から
この宮城県で水をいただけるシーンを見ることも、
もうないことでしょう。
震災からわずか数日で、
全国からこのような応援をたくさんいただいたことに、
とても驚きましたし、
その後も全国、全世界から応援をいただいたことは、
本当にありがたく、
力強い心の支えだったと思い起こされます。
ありがたい気持ちが、
私たちの心に深く刻まれています。
そして思い起こすと、
私自身もあの日、
そしてあの日からいろいろなことが一変しました。
この七年間の私の人生は、
振り幅が大きい七年間だったと思います。
涙を流すことも、
悲しい思いもたくさんしましたし、
つらい思いもたくさんしました。
しかしどんな窮地に陥っても、
「いまここにこうやって生きている、
命があることだけでありがたいことだな」
と必ず思えたことで、
この厳しい時を乗り越えることができたように思います。
これから訪れる人生の荒波に直面しても、
きっとそう思えることでしょう。
いま思うと、震災がなかったら、
宮城県のために力を尽くそうと、
いまほど思っていなかったかもしれません。
ーーーーーーーーーー
その昔、宮城谷昌光の小説『孟嘗君』を読みました。
孟嘗君は中国戦国時代の政治家です。
この小説『孟嘗君』の登場人物に、
伝説の商人と言われた
白圭が出てきます。
白圭も、中国戦国時代の政治家で、
孟嘗君を赤ん坊の時に拾い、
育てた人です。
私財を民のために投じ、
黄河の治水工事を自ら采配して行ったと言われています。
この白圭は死の直前、孟嘗君から、
「私を育ててくれてありがとうございます」
と礼を言われた時、以下のように言っています。
「それは違う。
お礼をいうのは私の方だ。」
「助ける者は、助けられる者によって
幸せになれるのだ」
この言葉が私のなかで印象に残っていました。
もう何年も前に読んだ本ですが、
いま実感としてわきあがるものがあります。
助けることで、
ただそれだけで、
幸せになれる。
ーーーーーーーーーーーー
震災以後、多くの方にご支援をいただきましたし、
宮城県も国から多くの交付金、補助金をいただき、
全国の自治体からいまなお、
多くの職員の方々に応援をいただいています。
本当にありがたい限りですが、
これからは、
私たちが多くの方に、
全国の方々の力になれるよう努力をしていきたいと思います。
まだまだ復興は道半ばで、
まだまだ仮設住宅に避難している方々も多いわけですが、
被災地だから助けてくれと
ただ要求するのではなく、
弱い立場だから助けてもらうのが
当然と思うこともなく、
私たち東北の人間が、
日本のために、
世界のためにどこかで役立てるよう、
そして役立つことで私たち自身が
幸せを感じられるように
なっていかなければならないと思っています。
平昌五輪で金メダルを取った、
羽生結弦選手の力強い笑顔は、
そんな思いが結果につながったのではないかとも感じられ、
とてもうれしく勇気づけられましたね。
ここからがまさに創造的復興の本番です。
この七年間、
いつ死んでもいいという思いで、
あらゆることに取り組んできましたが、
ここからさらに、
宮城県政、復興の最前線で
全力を尽くしていきたいと思います。
東日本大震災から七年。
●全国の避難者等の数は、約7万3千人(
⇒ http://www.reconstruction.go.
●全国の震災の死者数は、15,895人(
●全国の震災による行方不明者は、2,539人(
⇒ https://www.npa.go.jp/archive/
です。
まだまだ何も終わっていませんが、
「破壊されるものがあれば、
そこには必ず創造されるものがある。」
そう信じながら同時に、
宮城県の政治家として
地域のみなさんの先頭に立って、
「つくる」活動を続けていきます。
ともに、がんばりましょう!!
「震災から六年─小学一年生は卒業式」(H29.3.11)
⇒ http://cuccanet.blog72.fc2.
「震災から五年─「復興・創生期間」ここからが勝負!」(
⇒ http://cuccanet.blog72.fc2.
「東日本大震災から四年─破壊から創造を」(H27.3.11)
⇒ http://cuccanet.blog72.fc2.
「つくるの原点─震災から三年になりました」(H26.3.
⇒ http://cuccanet.blog72.fc2.
「東日本大震災から二年─平了のハチマキというバンド」(
⇒ http://cuccanet.blog72.fc2.
「東日本大震災から一年がたちました」(H24.3.11)
⇒ http://cuccanet.blog72.fc2.
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