堤康次郎の土地開発と政治 - つくる!宮城県議会議員渡辺勝幸のブログ【仙台市若林区】
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堤康次郎の土地開発と政治

2011年03月31日 18:00

昭和の偉人たちが何を考え、失敗にどう対処し、
それをいかに乗り越え、どんな成功を収めたのか、

日本経済新聞に掲載されている、
自伝コラム「私の履歴書」から
探ってみたいと思います。


私の履歴書─昭和の経営者群像〈2〉


堤康次郎の話の続きです。

堤は事業に失敗し続け、
自分は生きる価値がないのではないかとまで思った後、
行き着いたのが、

もうけようもうけようとするからダメだ
奉仕の心をもたなくては

ということでした。


不毛の土地である、軽井沢千ヶ滝、箱根強羅の土地を買い、
堤は土地開発事業をはじめます。

交通機関も重要と、箱根に有料道路を設けたり、
飛行機を利用することを考えたりします。

また大震災後に商科大学が移転、
国分寺と立川の間に、「国立」と名付けて
理想的な駅を作り、敷地百万坪の土地開発も実現しています。


そして、堤は36歳の時に衆議院議員に立候補します。
当時はまだ小選挙区制で、滋賀県愛知郡と犬上郡の選挙区。

相手候補者は彦根藩家老の息子で分が悪かったのですが、
農地改革を主張、小作人にすべて土地をもたせることが農村の進歩になり、
自分の土地をもつことで、国に対する愛情にもつながると訴え、
当選を果たします。

大正14年の主張としては先進的ではないかと感じます。

しばらく無所属で活動しましたが、
昭和7年拓務政務次官に就任。
民政党の論客として活躍します。


───────────────────────
【引用ここから】


一番得意だったのは浜口内閣の時にやった予算の討論だ。

私は田中内閣の業績と現内閣のそれとを比較して政友会を大いに攻撃した。

しまいには政友会側はすっかり憤慨し、
鳩山一郎君などはあんな演説を聞くとなぐりたくなるねと
議席から演壇の途中まで出てきたそうだが、

よせよせあいつは強いからといって
引戻されたと新聞に書いてあった。

当時は鳩山君も元気だったものだ。


【引用ここまで】
───────────────────────

鳩山由紀夫さんのおじいさんです。
昭和の初めのおはなし。


堤が築き上げた西武グループですが、
その基本となる西部鉄道は、

武蔵野鉄道、多摩湖鉄道をあわせて、
昭和20年に現在の形となりました。

堤はまた、あるとき銀座松屋株を買わないかと打診されましたが、
松屋株で儲けても世の中のためにはならない、

池袋には毎日何十万の人が出入りするのだから、
ここにデパートを立てればどれだけ世の中のためになるかわからない

として、デパートの敷地六千坪を残して残り九千坪を売却し、
西武百貨店をつくりました。


堤は政治家としてよりは、
事業家の能力が大いにあったのだろうと感じます。

その強引さは、いまでもいろんなエピソードがありますが、
東急の五島慶太といい、強引さがなければ、
土地開発、鉄道経営は進まないのではないかと感じます。



今回の大震災で、東北地方沿岸を再興するために、
おそらくいろいろな都市計画の話が出てくると思いますが、

強いリーダーシップがないと、
まとまるものもまとまらないのではないかと危惧します。

堤のようなスケールの大きい事業家が現れると
またおもしろいかもしれません。





私の履歴書─昭和の経営者群像〈2〉






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コメント

  1. もも | URL | halAVcVc

    袋原先生、よかった。よかった。

    この記事が最近の私の「謎」と関係していたので、またまたコメントします。

    私、池袋のサンャインにオフィスがあり、通勤に西武池袋線を使用してます。
    原発災害に伴う計画停電、節電に対し、西武鉄道の運行状況、サンシャイン商業区域の点灯状況は他社に比べ、とても貢献しているようでした。
    なんでだろう?と思っていたけど何だかわかったような気がします。
    ここ数年の不況で、かなり西武グループは厳しいと思いますが、それでもこの未曾有の危機に、本来の精神を発揮できるのはアッパレです。
    私自身も何かできることをしなければ!


    早く今の東日本を取り巻く環境がよくなり、命ある全てのものに平穏が訪れますように。

  2. カツユキ | URL | -

    赤プリ55年の歴史に幕…“避難所”でもう一仕事

    >ももさん
    赤坂プリンスも西武グループですが、もう一仕事してくれるそうです。


    赤プリ55年の歴史に幕…“避難所”でもう一仕事
    http://www.sponichi.co.jp/society/news/2011/04/01/kiji/K20110401000540430.html

     “赤プリ”の愛称で親しまれた東京・紀尾井町のグランドプリンスホテル赤坂(旧赤坂プリンスホテル)が31日、最後の営業を終え55年の歴史に幕を閉じた。今月上旬から6月末までは、東日本大震災の被災者らの受け入れ施設として活用される。

     最後のチェックアウト客となった米ボストン在住の清水弘美さん(53)は、約24年間にわたり定宿としてきた。「東京の家という感じだったので閉館は寂しいけど、(被災者を受け入れて)もう一仕事してくれると思うと凄くうれしい」と笑顔を見せた。ホテル側が「被災者のために役立ててほしい」と東京都に申し入れて実現。約700室で最大1600人を受け入れる。
    .
    2011年4月1日 06:00

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