2016/03/06
【渡辺勝幸応援団から、平成27年政治活動についての講評】
【渡辺勝幸応援団から、平成27年政治活動についての講評】平成27年は、渡辺勝幸の人生にとって、大きな節目となる一年となった。10月に行われた宮城県議会選挙に当選し、政治家としての力強い一歩を踏み出したのだ。
40歳を迎えた渡辺は、選挙前、「人生80年。この選挙結果をもって、自分の後半生を決める」と宣言し、重い覚悟をもって今回の選挙に挑んだ。そして、投開票が行われた10月25日、渡辺は10,041票を獲得し、トップ当選を果たした。
開票速報が流れる中、渡辺勝幸選挙事務所にて、自身の後継として渡辺を指名していた千葉達宮城県議員(当時)は筆者にそっと語った。
「4年前、渡辺さんは無所属新人として、突然、立候補されましたが、そのときの選挙活動が印象的でした。応援する仲間たちと若林区をだいぶ広範囲にわたって歩き回られていて、驚いたものです」
4年前の選挙では落選という結果に終わっているが、そこで萌芽した応援活動は現在につながっている。そこで生まれたエネルギーを、渡辺は絶やさずに灯し続けたからだ。落選の翌日から始めた街頭活動は4年間で550回となった。地元沖野地区では沖野東小学校PTA会長として地域に深く関わり、市民の生活の場に身を置くことを大切にしてきた。
4期目決算を迎える「株式会社つくる仙台」では、今年も中小企業庁から国の事業として委託を受けた創業スクールを実施した。
その他にも、東北大学大学院情報科学研究科の非常勤講師として情報技術経営論を講義し、公益社団法人日本青年会議所では、日本の未来選択委員会委員、総務委員会副委員長として、日本の未来選択委員会「みらいく事業」にも取り組んだ。
多彩な活動を通じ、国会議員の政策秘書の時代から取り組んできたマクロ的な政策課題を、ミクロ的な地域や様々な現場で実践してきた。その渡辺の姿にエールをおくる人たちは確実に増えていった。
とはいえ、その努力がどのように実を結ぶかは、最後まで未知数だった。沖野に選挙事務所を構えた当初は、事務所に訪れる人もまばらで、渡辺の不安は拭い去れなかったに違いない。
しかし、投票日が近づくにつれて、その雰囲気は一気に変わっていった。林英臣政経塾からは日本の政治を変えようと切磋琢磨する同志たちが応援に駆けつけ、事務所には地域の女性達の明るい声が響き渡る。この4年間で、あらたに応援する人の輪は想像以上の広がりだった。渡辺はもう迷うことなく、自身のヴィジョンを訴えつづけた。
渡辺は稀有な政治家だ。主張する志を一言で言えば「新しい宮城をつくる」というシンプルなものだ。渡辺は、それが現実の局面の中でいかに困難なことかも熟知している。だからこそ、センセーショナリズムに陥ることなく、対話と地道な努力を重視してきた。そして、政策立案と実行能力に長けた渡辺を信頼しているのも地域の有権者だった。その結果が、10,041票という結果に結びついたのだろう。
ついに渡辺が活躍するときがきた。震災という困難を乗り越え、必死で生きる多くの市民は、願うような期待を渡辺に託している。そのような市民の想いを力に、宮城の未来がより輝くための政治を渡辺は実現するしかない。
(文・佐藤由樹)
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