2015年07月28日 18:00
思い起こすと、
この五年は私にとって、
波乱万丈な五年だったなあと思います。
失業、震災、落選。
起業、維新の会、仙台市長選、
そして現在。
様々なことがありました。
最近ひさしぶりにお会いする先輩方からよく言われるのが、
「渡辺君、あんたは四年間よくがんばったねえ」
という言葉です。
何をがんばったと評価されているのかよくわかりませんが、
大変そうだなあと思われているのは確かなようです。
確かに、ふりかえると何度か、
「もうだめだ」
と思えるようなことがたくさんありました。
自分が思いつめるタイプだったら、
こういうところで死を選ぶんだろうなと、
そう思えることも少なからずありました。
しかし、最悪の手段を取らずに、
前を向いていくことができた一つの理由に、
『私の履歴書』
をたくさん読んでいたから、
ということが言えるように思います。
「私の履歴書」とは、
日本経済新聞の一コーナーであり、
昭和31年から約60年間続いている名物コーナーです。
著名人が、出生から連載時に至るまでの半生を描く
履歴書風の自伝であり、
各界のこれはという人物の人生を、
たどることができる、
非常に面白い読み物です。
ちなみに過去に二回登場したことがある人物はたった一人で、
それは「松下幸之助」でした。
現在は、女優の浅丘ルリ子さんの連載ですね。
この多くの著名人の人生を読んでいくと、
人生には必ず山と谷があって、
その山と谷が大きければ大きいほど
楽しい人生を送れるということがよくわかります。
山もない、谷もない、
そんな人生はありえないということもよくわかります。
そう考えると、
いま私の人生は谷ですので、
この谷が長ければ長いほど、
次の山は大きな大きな仕事をする機会になる、
そうであるならば何とかいま、
持ちこたえるよう頑張り、
そして山になったときの財産となるような種をいまこそまかなければならない、
そう思えるわけです。
もし「私の履歴書」を知らず、
このように多くの人々の人生に触れていなければ、
谷は再起不可能なものであり、
もはやここまでと最悪の判断をしていたかもしれませんね。
そういう意味では、
多くの歴史上の人物の困難や苦労を、
出来るだけ知っておき、
自分が困難や苦労に出会ったとき、
まだまだこれからだと思えるようにしておきたいものですね。
もしかすると、
ここからさらなる苦難が
私には待ち受けているのかもしれませんが、
それでもやはり、
前を向いて生きていけるのは、
多くの先人たちのおかげだということをあらためて感じる次第です。
この五年は私にとって、
波乱万丈な五年だったなあと思います。
失業、震災、落選。
起業、維新の会、仙台市長選、
そして現在。
様々なことがありました。
最近ひさしぶりにお会いする先輩方からよく言われるのが、
「渡辺君、あんたは四年間よくがんばったねえ」
という言葉です。
何をがんばったと評価されているのかよくわかりませんが、
大変そうだなあと思われているのは確かなようです。
確かに、ふりかえると何度か、
「もうだめだ」
と思えるようなことがたくさんありました。
自分が思いつめるタイプだったら、
こういうところで死を選ぶんだろうなと、
そう思えることも少なからずありました。
しかし、最悪の手段を取らずに、
前を向いていくことができた一つの理由に、
『私の履歴書』
をたくさん読んでいたから、
ということが言えるように思います。
「私の履歴書」とは、
日本経済新聞の一コーナーであり、
昭和31年から約60年間続いている名物コーナーです。
著名人が、出生から連載時に至るまでの半生を描く
履歴書風の自伝であり、
各界のこれはという人物の人生を、
たどることができる、
非常に面白い読み物です。
ちなみに過去に二回登場したことがある人物はたった一人で、
それは「松下幸之助」でした。
現在は、女優の浅丘ルリ子さんの連載ですね。
この多くの著名人の人生を読んでいくと、
人生には必ず山と谷があって、
その山と谷が大きければ大きいほど
楽しい人生を送れるということがよくわかります。
山もない、谷もない、
そんな人生はありえないということもよくわかります。
そう考えると、
いま私の人生は谷ですので、
この谷が長ければ長いほど、
次の山は大きな大きな仕事をする機会になる、
そうであるならば何とかいま、
持ちこたえるよう頑張り、
そして山になったときの財産となるような種をいまこそまかなければならない、
そう思えるわけです。
もし「私の履歴書」を知らず、
このように多くの人々の人生に触れていなければ、
谷は再起不可能なものであり、
もはやここまでと最悪の判断をしていたかもしれませんね。
そういう意味では、
多くの歴史上の人物の困難や苦労を、
出来るだけ知っておき、
自分が困難や苦労に出会ったとき、
まだまだこれからだと思えるようにしておきたいものですね。
もしかすると、
ここからさらなる苦難が
私には待ち受けているのかもしれませんが、
それでもやはり、
前を向いて生きていけるのは、
多くの先人たちのおかげだということをあらためて感じる次第です。
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