2015年04月15日 18:00
昔の中国には、
井田の法や十分の一税の法がありました。
戦国時代になっては
いかに税が苛刻になったか、
容易に察せられます。
しかるに今、
突然この収穫の十分の一に当たる税をかけるだけにして、
そのうえ関所の通行税や
市場の商品税をも止めようとすることは、
簡単に実行できることではないのです。
だいたい、国家の経費には限度がありますから、
非常な節約を行うのでなければ、
数百年来続けてきた税法を軽減することは困難です。
宋の大夫の戴盈之が孟子に向かって、
来年を待って減税を断行しようといったことは、
大勇断と言わねばなりません。
しかるに孟子は、
かえってこれを、
「毎日隣の鶏を盗むものが、これを月に一羽に減らし、
来年を待って止めよう」
というのに等しいと批判したのは、ひど過ぎはしないでしょうか。
私(吉田松陰)が考えるのに、
井田の法、十分の一税が廃れて久しくなった今日、
大勇断をふるって非常な節約を行うのでなければ、
なかなか減税はできないことであるのに、
戴盈之が気楽にこれを言ったのは、
これは口先だけのことで、
心の底からのものではありません。
それゆえに、孟子はこれを否定したのでした。
試しに、斉の宣王が親に対する三年の喪を、
その期間を短くしようと思った話の趣旨を比べることによって、
これを理解することができるでしょう。
あるとき、
宣王が喪の期間を短くしようと思ったので、
公孫丑が孟子に、
「三年間服さないでも、期、すなわち一年間服するならば、
止めるよりはましでありましょうか。」
とたずねたところ、孟子は、
「それは、ちょうど、
兄のひじをねじり上げようとしているものに向かって、
そのように強くねじることはいけないから、
ゆっくりするのがよかろうというものだ。
それは弟たるものに教える道ではない。
その弟に対しては、
根本の教えである、
孝弟の道
を教える外に方法はあるまい。
それと同様に、子たるものが
親の喪を短くすることが誤りであることを理解したならば、
必ず三年の喪を勤めるようになるはずである。
一年で止めるべき道理はない」
と答えたのでした。
この章において、
現行の過酷な税法が道理に反していることを知ったならば、
ただちにそれを止めるべきで、
来年を待つべきではない、
というのがこの章の本意なのです。
以上から見て、
戴盈之が真に民を愛する真心があって、
節約を行い、国の経費を補充し、
少しでも税金を減らし、
実際の恩恵が民に及ぶようにするならば、
たとえただちに十分の一を税とし、
関税・市税を廃止するという善政を実行することができず、
昔のよい時代のやり方に及ばなかったとしても、
「わずかに税金を軽くするのでも、
しないよりはまさっている」
といったでしょう。
それゆえ、孟子が戴盈之を責めたのは、
「来年を待って」
といったことを責めたのでなく、
口先だけの言葉で、
心の底から出たものでなかったことを責めたのです。
ということを約150年前の日本において、
政治犯として牢屋の中にありながら、
囚人と看守に対して
熱心に教えた人がいたのでした。
その政治犯は間もなく
斬首刑になってしまいます。
そして時は立ち、
その政治犯の弟子たちが、
明治維新の原動力となり、
日本を変えていったのでした。
この本をときどき繰り返し読んでいます。
井田の法や十分の一税の法がありました。
戦国時代になっては
いかに税が苛刻になったか、
容易に察せられます。
しかるに今、
突然この収穫の十分の一に当たる税をかけるだけにして、
そのうえ関所の通行税や
市場の商品税をも止めようとすることは、
簡単に実行できることではないのです。
だいたい、国家の経費には限度がありますから、
非常な節約を行うのでなければ、
数百年来続けてきた税法を軽減することは困難です。
宋の大夫の戴盈之が孟子に向かって、
来年を待って減税を断行しようといったことは、
大勇断と言わねばなりません。
しかるに孟子は、
かえってこれを、
「毎日隣の鶏を盗むものが、これを月に一羽に減らし、
来年を待って止めよう」
というのに等しいと批判したのは、ひど過ぎはしないでしょうか。
私(吉田松陰)が考えるのに、
井田の法、十分の一税が廃れて久しくなった今日、
大勇断をふるって非常な節約を行うのでなければ、
なかなか減税はできないことであるのに、
戴盈之が気楽にこれを言ったのは、
これは口先だけのことで、
心の底からのものではありません。
それゆえに、孟子はこれを否定したのでした。
試しに、斉の宣王が親に対する三年の喪を、
その期間を短くしようと思った話の趣旨を比べることによって、
これを理解することができるでしょう。
あるとき、
宣王が喪の期間を短くしようと思ったので、
公孫丑が孟子に、
「三年間服さないでも、期、すなわち一年間服するならば、
止めるよりはましでありましょうか。」
とたずねたところ、孟子は、
「それは、ちょうど、
兄のひじをねじり上げようとしているものに向かって、
そのように強くねじることはいけないから、
ゆっくりするのがよかろうというものだ。
それは弟たるものに教える道ではない。
その弟に対しては、
根本の教えである、
孝弟の道
を教える外に方法はあるまい。
それと同様に、子たるものが
親の喪を短くすることが誤りであることを理解したならば、
必ず三年の喪を勤めるようになるはずである。
一年で止めるべき道理はない」
と答えたのでした。
この章において、
現行の過酷な税法が道理に反していることを知ったならば、
ただちにそれを止めるべきで、
来年を待つべきではない、
というのがこの章の本意なのです。
以上から見て、
戴盈之が真に民を愛する真心があって、
節約を行い、国の経費を補充し、
少しでも税金を減らし、
実際の恩恵が民に及ぶようにするならば、
たとえただちに十分の一を税とし、
関税・市税を廃止するという善政を実行することができず、
昔のよい時代のやり方に及ばなかったとしても、
「わずかに税金を軽くするのでも、
しないよりはまさっている」
といったでしょう。
それゆえ、孟子が戴盈之を責めたのは、
「来年を待って」
といったことを責めたのでなく、
口先だけの言葉で、
心の底から出たものでなかったことを責めたのです。
ということを約150年前の日本において、
政治犯として牢屋の中にありながら、
囚人と看守に対して
熱心に教えた人がいたのでした。
その政治犯は間もなく
斬首刑になってしまいます。
そして時は立ち、
その政治犯の弟子たちが、
明治維新の原動力となり、
日本を変えていったのでした。
この本をときどき繰り返し読んでいます。
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