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【再録】日本人にかえれ─出光佐三

昭和の偉人たちが何を考え、失敗にどう対処し、
それをいかに乗り越え、どんな成功を収めたのか、

日本経済新聞に掲載されている、
自伝コラム「私の履歴書」から
探ってみたいと思います。


私の履歴書─昭和の経営者群像〈5〉


出光佐三のお話の続きです。


出光は恩人の一人として、内池廉吉博士をあげています。

出光が学校を卒業して商売人になろうとした卒業間際、
内池博士は

「これから商人というものはなくなる」

といいます。
これから商人になろうとしているのに、これには出光も驚かされます。

「ただし一つだけ残るだろう、それは生産が非常に複雑になり、
 消費も無論複雑になる。

 この複雑な生産者と消費者の間に介在して、
 双方の利益を図る配給者としての商人が一つ残る。
 これは学理である」

それならそれをやろうと出光は決めました。

生産者、消費者にどうしたら利益を与えるかというと、
いちばん手っ取り早い話が経費の節約。

いろいろな関門、問屋、卸屋、小売という経費を節約するということ。




また、戦争中、
軍の中に少数の野心家がいて石油に関しても非常な野心をもっていました。
石油事業を軍の手にとりあげようとしたのでした。

日本の業者は英米のカルテルとそれまで何十年と戦ってきたので、
英米の石油を無視して世界に石油は存在しないと分かっていました。

出光は当時の商工省に行って、
いったいどこの油をもってきて、英米と闘うつもりかといいます。
他社は次々と国策会社をつくりますが、出光は一人でがんばります。

その結果、出光は軍からにらまれて日本から放り出されてしまいました。
満州や中国で仕事を続けます。

しかし、陸軍の兵器部の連中があらゆる圧迫を加え、
出光がタンクを造るとそこに砂やら石を入れられたりしたのでした。


そのうち日米戦争になります。
出光のタンクにはガソリンがいっぱい入っていたので、
軍の態度も変わってきます。

次第に戦況も激しくなり、南方の占領地の石油配給をどうするかという問題が生じます。
そのころ陸軍省の石油課長が変わったというので、
出光は挨拶に行きました。

出光は、
「いま南方の石油の配給について軍のやっているのをみていると、
 人間ばかり多く使って仕事は少しも進まない。」

と話します。そのとき軍は南方に大きな石油配給会社を作って
二、三千人の人を配置しようとしていました。


「そんなことをしても機構は動きはしない。
 人間は自分のする仕事が直接目に見えないと、
 仕事をする気にならないものだ。

 第一線の本当に働く人だけで仕事をやったらいいだろう。
 人間があまり多いと、自分の持分が分からなくなる。
 そうしたときは働かない」

出光はこう言い、南方の石油配給は出光が引き受けることになったのでした。


まもなく、
戦争が終わり、外地の社員が千人ほど帰ってきます。

出光の外地にあった財産は無一文になり、
内地には250万ほどの借金が残っているという状態でした。

重役会議では人員整理という話が出ましたが、
出光は反対、社員は解雇しないという主義、こういう時こそ実行しなければダメだ、と。

事業はすべて人間が基礎であるという主義でやってきたので
一人の人員整理もしませんでした。


「電気の修繕みたいなことや
 海軍の使っていたタンクの底のドロみたいな油をくみ出す仕事までやり、
 皆が苦労して石油の配給ができるようになるまで頑張った。」



出光の認識では、
戦前日本はわれわれの先覚者が安い油を作って世界石油カルテルの独占から逃れていた、
しかし
石油カルテルは悪いものかというと決して悪いものではないと指摘しています。

これがあったから世界の石油資源が開発され
市場も大きくなって今日の石油事業が存在するのだと言っています。


こちらがスキを与えると独占されて高く売りつけられる。
こちらも実力をしっかり持っていなければならないのだと。


イランは石油を売るところがない。
全部の石油の売る市場は石油カルテルに独占されている。
誰も買う人がいない。


そこでイタリアと出光がいったのでした。

イラン石油輸入は当時評判となりましたが、
金融業者、船舶業者にあらゆる圧迫がありました。

そこに東海銀行やいろいろな銀行が出てきてひと肌脱いでくれ、
なんとかうまくいきました。


その後、イランの油をめぐっては、イギリスが因縁をつけてきて、
裁判にまでなります。

このとき出光は法廷でこのように証言したのでした。

「この問題は国際紛争を起こしております。
 それだから私としては日本国民の一人として
 俯仰天地に恥じない行動をもって終始することを
 裁判長にお誓いします」






平成23年6月20日、全国紙に一面を使った、
出光の全面広告が出ました。
広告をご覧になった方もいらっしゃるかも知れませんね。

出光は創業100周年ということで、
出光佐三のことば、



「日本人にかえれ」



を全面に大書した広告を出しました。

実際、出光の書いた本に同名のタイトル「日本人にかえれ」という本があります。
以下に広告の文章を引用してみましょう。

──────────────────────
【以下引用】

「日本人にかえれ。」
これは、創業者出光佐三の言葉です。

日本人が古くから大切にしてきた和の精神・互譲互助の精神、
自分たちの利益ばかりを追求するのではなく、世のため人のためにことを成す。
佐三の信念によって、出光はいまも、
そうした日本人らしさを心に活動しています。

東日本大震災に襲われた日本に向け、
海外から届いたたくさんの励ましの言葉。
その中にも、佐三が大切に考えていた日本人らしさを称賛するものがありました。
その数々の言葉によって、私たちは勇気づけられ、日本人であることの誇りをあらためて認識することができました。

一方で、震災を経たいま、
本当のゆたかさとは何か、
私たちは何を大切にして生きていくべきなのか、
これからの日本人のあるべき姿はどのような姿か、
一度ゆっくり立ち止まって、
向き合う必要があるのではないでしょうか。

本日、出光は創業100周年を迎えました。
これからの100年、私たちに何ができるのか。
世界が日本に注目するいま、
私たちはこれまでの歩みを振り返り、
新たな一歩を踏み出し、
次の100年の社会づくりに貢献する企業を目指してまいります。
私たちは、日本人のエネルギーを信じています。

出光創業100周年


【引用ここまで】
──────────────────────

出光の経営は大家族主義といわれます。

自分の家族が仲がよかったこともあったでしょうし、
日田重太郎のような突然8,000円を無償でくれるような人に出会えたことも
大いに影響を与えたことでしょう。

戦後の困難な時期も雇用を維持したことなどは、
まさに大家族主義ですね。

また、日田からの条件は、
「独立を貫徹せよ」でした。

軍部に対する対応、英米のカルテルに対する対応は
独立を貫徹した態度と言えるでしょう。

いまでこそ創業100周年大企業の出光ですが、
創業期の苦しみやいろんな人に支えられて大きくなったのだということが
よくわかります。

日本人にかえれ、
言葉をかみしめたいと思います。





出光佐三の言葉(出光公式サイト)



私の履歴書─昭和の経営者群像〈5〉



昭和の高度経済成長を築きあげた経営者たちの
私の履歴書。過去の記事はこちらからどうぞ。






(第309号 平成23年7月20日発行)
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