fc2ブログ

慶應義塾を謳歌するも父の死により壱岐へ帰る─松永安左エ門(電力中央研究所理事長)その2─昭和時代の私の履歴書

昭和の偉人たちが何を考え、失敗にどう対処し、
それをいかに乗り越え、どんな成功を収めたのか、

日本経済新聞に掲載されている、
自伝コラム「私の履歴書」から
探ってみたいと思います。



私の履歴書─昭和の経営者群像〈9〉


松永は、家庭でハンガーストライキをしてでも、
慶應義塾に行き、福沢諭吉の門下生となりたいと思ったのでした。

坊ちゃんとして親類縁者にあたたかく見守られていた少年が、
家庭を離れ、全く新しい環境の下、都の英才たちに伍していこうというのでした。

慶應入学が決まると、
未知の世界に対する若干の不安と感傷をもちながら遊学の途につきます。

当時山陽線はまだ開通しておらず、
神戸までは持ち船で、それから汽車に乗り、
約一週間を要して東京につき、
無事福沢門に入学したのは憲法発布の記念すべき年の秋のことでした。


東京では最初、
遠縁に当たる山内善三郎家に寄寓します。

山内は海軍に納入する機械油の精製、販売を業としていました。


学校では後年それぞれ名を成した連中があり、
松永の級だけで、全校の学問、スポーツ、演説会などを独占、

松永は演説もやりましたが弥次大将でもあり、
おもしろくてたまらない生活が続きました。

福沢諭吉もよく演説をし、
この思い出が戦災を免れた三田の演説館でした。


15歳で上京してからの3年間は、全く夢のうち。
学校はおもしろく、一面渡米の志をますます強くし、英語の勉強に力を入れます。


しかし不測の父の死去にあい、
休学のやむなきに至ったのは18歳の暮れのことでした。

父38歳。


これにより松永の米国留学の希望は挫折しました。
それまでは大きな不幸も知らず、順調だっただけに、
腹立たしいほど残念でありました。

危篤に間に合ったのみで、ただの一言も交わし得ず死別し、
運命が急転したのは一生の悲痛事でした。



かくて松永は、

三代目安左エ門を襲名し、
18歳で主人公の生活に入ります。

再び壱岐の生活に戻ったのでした。

明治も半ばを過ぎ、
日本の資本主義の揺籃期、
都市ではボツボツ近代産業が興りつつありました。

壱岐の物産なども京阪神の相場が電報ですぐわかり、
生産農家もその相場によって取引するようになっていました。

松永は、博多にあった支店の印通寺屋を通ずる中国貿易でした。


父のあとを継いでから一年半後には日清戦争が勃発、
上海貿易ではかなりの利益をあげます。

同時に、道楽の味も覚えたのでした。


元来、松永家は商売のほか、土地もかなりありました。
自分のうちの畑と知らずすいかどろぼうをやって番人にどなられたこともありました。

土地の管理、漁場経営などに相当手がかかったため、
松永は酒造業、海産物取扱い、呉服業などは一切やめる決心をします。

そして、
家業を整理し徴兵検査を終えた松永は、
21歳の秋、再び慶應義塾に戻ります。

予科コースを終えていたので、
別科に入り、さらに本科にかわりました。

恩師福沢諭吉先生に親近したのはこのころでした。



────────────────────────────
【引用ここから】

先生についての思い出は限りがない。

先生は、冬の寒い日でも、例の股引き姿で、朝の五時ごろから散歩に出られるのが日課で、
三田から芝、時には日比谷までまわられたが、そのお供をして回るのである。

そのころは元奥平藩邸であった三田の塾の寮にいたが、先生のうちの鶏を失敬し、鍋にして寮生仲間でつつき、
それがバレたとき、先生は犯人一同を自宅に招待して下され鶏どろぼうのことは最初ひとこともおっしゃらず一同かえって冷や汗を流したこともあった。


時には先生のご家族と同じ馬車にのって、芝居のお供をしたが、
こんなときにはひどく得意に感じていたことであった。

先生のご養子で、私の人生航路に大きな方向づけをした福沢桃介と仲よくなったのもこの散歩のお供からである。

桃介は私より八つ年上で、米国留学を終えて北海道炭鉱汽船に就職していたが、お供組にまじっていた。


普通、塾生が数人、まれには十数人が散歩のお供についていくが、
途々先生からお話があり、ときには質問され、

学生の議論を批判されるというふうで、
散歩も教育の場であった。

私はつとめて先生に接近した。
先生のお話のうち、若いころはさほど気にとめなかったことでも、経験を経るにしたがって生きてきたし、大きな意義がわかってくることが多かった。


【引用ここまで】
────────────────────────────


福沢諭吉の逸話は限りないですが、
私の履歴書に門下生として当時の話が出てくるのは貴重ですね。

福沢桃介との関係は、
松永にとって人生のキーパーソンであるといえるでしょう。


福沢の社会観、革命観についても
松永は以下のように言及しています。




────────────────────────────
【引用ここから】

また私(編集注:松永)は、社会も、人も、物も、時々刻々に変化があり、永劫不変というものはない。

したがって革命などということも恐るべきものではなく、民主主義制度などは徐々に社会を革命していくためのものと考えているが、ある日先生はこんなこともいわれた。

「近ごろ、社会主義ということが叫ばれ、反対者も多い。

 もちろん秩序を乱し、公安を害し、犠牲者を出すことはよくない。

 といっても、いつまでも押えきれるものではない。

 こういう問題は、やはり進む。

 四畳半くらいのへやに何十人もおれば空気が濁る。

 濁ればどうするか。

 窓をあけて空気を入れかえねばならぬ。

 新しい空気になれば窓をしめる。

 またしばらくすれば濁る。

 濁ればそこにいる人の意見がどうあろうと、
 あけて悪い空気は抜かねばならぬ。

 世の中も同じ、
 好むと好まざるにかかわらず、
 窮屈になったらちょっと窓をあけねばならぬ。

 人間生活はそんなことの繰り返しである。」


これは先生の革命観の一つといえる。
そのころすでにロシア革命は必至であると予想しておられた。

【引用ここまで】
────────────────────────────




松永が青年期に、
福沢諭吉という先生に出会えたのは、
大きな人生の糧となったのだろうと推測します。

どんな大人物も、
偉大なる師がいます。

そして大人物になっても、
常に学ぼうとする姿勢を保ち続けているものですね。




続きはまた来週に。




私の履歴書─昭和の経営者群像〈9〉




昭和の高度経済成長を築きあげた経営者たちの私の履歴書。
過去の記事はこちらからどうぞ。


関連記事

コメント

非公開コメント

ご支援御礼(令和元年10月)

渡辺勝幸は令和元年10月に行われた宮城県議選に若林選挙区から立候補し、10,273票という貴重な票をいただき、宮城県議会議員に二回目の当選を果たしました。今後ともふるさと宮城の復興完遂のために尽力してまいりますので、どうぞよろしくお願いいたします。

宮城県議選若林選挙区(令和元年10月27日執行・投票率28.18%)
当 渡辺勝幸    自民現  10,273
当 三浦奈名美   立民新 7,634
当 福島一恵    共産現 7,047
次 高橋克也    自民新 6,486

アクセスランキング

[ジャンルランキング]
地域情報
132位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
東北地方
20位
アクセスランキングを見る>>

最新記事

カテゴリ

全記事表示リンク

月別アーカイブ

メルマガを毎日書いています!

【仙台発!】政治家であり起業家である渡辺勝幸の日刊メルマガ。9年以上、3,300日以上連続でメルマガを書いています。政治経済の裏事情、起業家、経営者向けのおトク最新情報を、独自の視点と素早く貴重な情報で、意識の高い経営者、ビジネスパーソンに毎日お届け。1通20円ですが、得られる情報はメディアにないものとなります。失業、起業、震災、選挙落選、そして当選とここ数年波乱万丈な人生を送っている筆者が、東北の真の復興のための活動報告も。著者は宮城県議会議員(仙台市若林区)44歳。起業集団株式会社つくる仙台経営(起業支援、創業スクール事業)、東北大学大学院講師。
メルマガ購読・解除
 

ご支援御礼(平成27年10月)

渡辺勝幸は平成27年10月に行われた宮城県議選に若林選挙区から立候補し、10,041票という貴重な票をいただき、宮城県議会議員に初当選しました。今後ともふるさと宮城に強い経済をつくるために尽力してまいりますので、どうぞよろしくお願いいたします。

宮城県議選若林選挙区(平成27年10月25日執行・投票率31.28%)
当 渡辺勝幸    自民新  10,041
当 福島かずえ   共産新 9,433
当 細川雄一    自民現 7,490
次 千葉あさこ   民主新 5,849

渡辺勝幸後援会事務所

渡辺勝幸後援会事務所
984-0816 仙台市若林区河原町1-7-29-101
TEL 022-398-6266 FAX 022-398-6269

最近の講演報告・講演実績

検索フォーム

アクセスランキング

ご支援御礼

渡辺勝幸は平成23年11月に行われた宮城県議選に若林選挙区から立候補し、5,042票という貴重な票をいただきましたが、落選いたしました。残念な結果ではありましたが、今後ともふるさと宮城の復興のために尽力してまいりますので、どうぞよろしくお願いいたします。

宮城県議選若林選挙区(平成23年11月13日執行・投票率34.65%)
当 細川雄一    自民現 7,728
当 本多祐一朗   社民現 6,536
当 千葉達     自民現 6,031
  福島かずえ   共産新 6,000
  渡辺勝幸    無新  5,042
  菊地ゆきお   み新 2,903
  小野寺かずたか 無新 978


120216 gaitorokuchonomeAkXOfoVCMAAmJYo 早朝街頭を続けています。平成24年1月撮影。

渡辺勝幸の政治活動を応援していただける方は、まず無料の「渡辺勝幸後援会メールマガジン」にご登録ください!

【渡辺勝幸応援団よりのお願いです】
渡辺勝幸後援会に入る方法

このブログについてご説明

このブログは、渡辺勝幸が3,300日以上毎日書いているメルマガ「日本一元気になるビジネスマガジン」の過去記事を中心に構成しています。メルマガでは、ブログに書けない話なども書いていますので関心のある方はぜひどうぞ。メルマガ登録はこちらから。

メルマガを3,300日以上毎日書いています

【仙台発!】政治家であり起業家である渡辺勝幸の日刊メルマガ。 9年以上、3,300日以上連続でメルマガを書いています。 政治経済の裏事情、起業家、経営者向けのおトク最新情報を、独自の視点と素早く貴重な情報で、 意識の高い経営者、ビジネスパーソンに毎日お届け。 1通20円ですが、得られる情報はメディアにないものとなります。 失業、起業、震災、選挙落選、そして当選とここ数年波乱万丈な人生を送っている筆者が、東北の真の復興のための活動報告も。 著者は宮城県議会議員(仙台市若林区)44歳。 起業集団株式会社つくる仙台経営(起業支援、創業スクール事業)、東北大学大学院講師。

Powered By FC2ブログ

今すぐブログを作ろう!

Powered By FC2ブログ

QRコード

QRコード

Facebookページに「いいね!」

「いいね!」するだけで、つくる仙台の日々の更新情報が届きます。たまに「ここだけの情報」をお伝えします!