2013/05/15
なぜ、まず最初に身を修め家を斉えなければならないのか?
孟子によれば「王道」と「覇術」はちがうもの。「王道」とは、
格物(物事の道理を徹底的に究明する)
致知(知を推し極める)
誠意(意識を誠実のものたらしめるよう努力する)
正心(心を正す)
修身(身を修める)
斉家(家庭内をきちんと修める)
より、
治国・平天下に至るもので、
この順序を失ってはなりません。
一方「覇術」というものはこれと反対です。
たとえばその昔桓公という王様がいましたが、
この桓公の君主としての態度を見ると、
お気に入りの寵愛する女性数人、
寵愛し任せている男三人などがいました。
そのため、桓公が死んだ後になって、
五人の公子が公位の相続を争ってしまい、
桓公の遺骸を埋葬することができず、
それが腐敗して虫が生じてしまうほどでした。
かくして数年間、国は混乱が相次ぎ、
平和な年がないという状態になってしまいます。
一方、桓公の補佐をしていた管仲の臣としての態度を見ると、
大きな家を建て、身分を越えた諸侯の生活をしていました。
桓公・管仲の力によって、
諸侯を糾合し、周室の権威を再興して天下の秩序を打ち立てた功績を挙げたとはいえ、
家を修めるとか、家を斉えるという道においては、
全く得るところはありませんでした。
ゆえに、この二人が死んでしまうと、
国の政治は崩れてしまい、
再び収拾することができなくなってしまいました。
だから、王者が政治を行うに当たっては、
身を修め家を斉える問題を最初の仕事とするのです。
身を修め家を斉えることを最初の仕事とすることは、
一見、迂闊の態度のようですが、
その態度は子孫に伝わって何代経っても動揺しないのみならず、
ますます盛んになるものです。
「業を創め統を垂るるには、継ぐべきを為すなり」
という言葉も、このことをいったものです。
豊臣秀吉のような人物も、
非常な大豪傑で、当時を鼓舞したものでしたが、
修身・斉家を忘れたがために、
後継者秀頼の運命はかくのごとくでした。
畏れ多くも、
毛利藩について見てみると、
藩祖元就公以来、
大義を重んじ、親族に厚き態度を守って今日に至っています。
そうであるから、長門周防の二国は領土狭小ではありますが、
藩祖の築いた永遠の基業は、少しも動揺を見ないのです。
我が藩の風を豊臣氏と比べると、
その優劣は言うまでもないでしょう。
これが王道・覇術の区別であります。
ということを約150年前に、
政治犯として牢屋の中で、
囚人と看守に対して
熱心に教えた人がいたのでした。
その政治犯は間もなく
斬首刑になってしまいます。
そして時は立ち、
その政治犯の弟子たちが、
明治維新の原動力となり、
日本を変えていったのでした。
この本をときどき繰り返し読んでいます。
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