バリバリ働く30代を過ごすも、公職追放で松下を退職─井植歳男(三洋電機社長)その5─昭和時代の私の履歴書 - つくる!宮城県議会議員渡辺勝幸のブログ【仙台市若林区】

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渡辺勝幸について

【現職】
宮城県議会議員【仙台市若林区選出】
 宮城県議会 保健福祉委員会委員。
 宮城県議会 地域防災調査特別委員会委員。
 宮城県議会 議会改革推進会議委員。
 宮城県議会 政務活動費運用検討会議 検討委員。
 宮城県議会 決算特別委員会理事。

自由民主党・県民会議
 事務局次長。
 医療・福祉議員連盟 事務局次長。
 環境・エネルギー議員連盟 事務局次長。
 芸術文化議員連盟 事務局次長。
 防災議員連盟 事務局次長。
 日越(ベトナム)交流宮城県議会議員連盟 事務局次長。
 観光・情報議員連盟 事務局次長。
宮城県議会全国和牛能力共進会宮城大会を支援する議員連盟 副幹事長。
北朝鮮に拉致された日本人を救出し支援する宮城県議の会 事務局長。
宮城県議会国際リニアコライダーの誘致議員連盟 事務局長。
神道政治連盟宮城県本部議員連絡協議会 幹事。

自由民主党宮城県支部連合会
 県民運動本部 副本部長。
 憲法改正推進本部 事務局長。
 女性活躍推進本部 副本部長。
 青年局 局長代理。

仙石線整備促進期成同盟会 顧問。
全日本不動産政治連盟宮城県本部 顧問。
宮城県理容生活衛生同業組合 仙台若林支部 顧問。
宮城県私立幼稚園PTA連合会 常任委員長。
宮城県障害者スポーツ指導者協議会 副会長。
仙台市南地区交通安全協会六郷支部 顧問。
社会福祉法人ウェル千寿会 評議員。
宮城県薬剤師連盟 政策強化委員。

東北大学大学院情報科学研究科 非常勤講師(情報技術経営論)。
起業集団「株式会社つくる仙台」代表取締役。
ミラサポ(中小企業庁委託中小企業支援事業)専門家。
仙台東倫理法人会 監査。

仙台市立沖野東小学校PTA会長。
 沖東夏まつり実行委員会委員長。沖野学園学校支援地域本部協議会副会長。沖野中学校区青少年健全育成連絡協議会副会長。仙台市PTA協議会研修交流委員会委員。若林区まちづくり協議会会員。仙台市立沖野東小学校施設開放管理運営委員会委員長、学校保健委員会副委員長、学校関係者評価委員。沖野中学校区災害対策委員会委員。
沖野東学区民体育振興会参与。沖父ちゃん会(沖野東小おやじの会)顧問。沖野学区連合町内会大運動会実行委員会委員。仙台沖野ソフトボールリーグ顧問。






【経歴】 昭和50年5月10日生まれ。宮城県仙台市若林区出身。41歳。

昭和57年 沖野幼稚園(仙台市若林区)卒園
昭和63年 青森市立筒井小学校卒業
平成3年 仙台市立沖野中学校卒業
平成 6年 宮城県仙台第一高等学校卒業(高46回。二年間応援団長を務める)
平成11年 慶應義塾大学法学部政治学科卒業
     国会議員政策担当秘書資格試験合格

平成12年 参議院議員市川一朗(宮城県選挙区)政策担当秘書
平成13年 慶應義塾大学大学院法学研究科政治学専攻修士課程修了
平成19年 参議院自民党秘書会幹事(平成22年まで)
平成22年 参議院議員市川一朗政策担当秘書を退職

平成23年 経済産業省後援 起業支援ドリームゲートアドバイザー(平成24年まで)
     宮城県議会選挙(若林選挙区)に無所属で出馬

平成24年 林英臣政経塾塾生(東北七期)、大阪維新の会維新政治塾塾生、公益社団法人仙台青年会議所 会員開発委員会委員
平成25年 公益社団法人仙台青年会議所地域共同開発委員会幹事。仙台東倫理法人会幹事(青年委員長)。沖父ちゃん会(沖野東小おやじの会)初代会長
平成26年 東北大学大学院情報科学研究科講師(情報技術経営論・非常勤。現職)。
公益社団法人仙台青年会議所会員開発委員会委員。公益社団法人日本青年会議所憲法論議推進委員会委員。公益社団法人日本青年会議所東北地区宮城ブロック協議会LOM協働委員会委員。

平成27年 宮城県議会議員【仙台市若林選挙区】に初当選。宮城県議会経済商工観光委員会委員、産業振興対策調査特別委員会委員。

公益社団法人仙台青年会議所 総務委員会副委員長。公益社団法人日本青年会議所 日本の未来選択委員会委員。



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バリバリ働く30代を過ごすも、公職追放で松下を退職─井植歳男(三洋電機社長)その5─昭和時代の私の履歴書

2013年04月30日 18:00

昭和の偉人たちが何を考え、失敗にどう対処し、
それをいかに乗り越え、どんな成功を収めたのか、

日本経済新聞に掲載されている、
自伝コラム「私の履歴書」から
探ってみたいと思います。



私の履歴書─昭和の経営者群像〈9〉


井植は震災を乗り越え、
徴兵も終え、松下に復職、結婚をしますが、

新婚早々妻を病で失ってしまいます。


打ちひしがれた井植を見て、
二つちがいの亀山の姉が何くれとなく励ましてくれたのでした。

無二の親友ともいえた彼女は、
いつも天下国家を論じ、社会、人情を語るという風で、
親類中からも男に生まれなかったことを、しきりに惜しまれていました。

その夫武雄に妹ひで子がおり、
姉の計らいで自然と縁談が進んだのでした。

昭和2年10月8日、大阪海老江に家を借り、
親しい人に集まってもらい杯を交わしました。

井植は所帯を持ちますが、
毎日仕事に明け暮れ、
落ち着いた家庭生活など望むべくもありませんでした。


昭和2年の金融恐慌から、年ごとに不況が深刻になっていきましたが、
松下の事業だけが拡張に次ぐ拡張でした。

しかもこのころの松下は病弱で、
床につきがちだったので、井植は忙しい日々を送ります。


昭和4年12月に長女登起子が生まれますが、
すぐに名古屋へ支店建設に出かけます。

半年で大阪へ戻り、翌年東京へ転勤、
7年2月、長男敏誕生。

8年大阪へ。


工場を建設し、支店をつくり、また工場へ。

井植家は結婚して十年の間に、実に十回も宿がえしたのでした。


新婚旅行はもちろん、二人で落ち着いて憩うことなく、
ただ一度、東京に勤務中、日帰りで箱根へ遊んだだけ。

妻はグチ一つこぼさず、実によく辛抱をします。

井植は振り返り、自分が事業一途に今日まで来られたのも、
全く彼女のおかげだったと述べています。




昭和10年12月、それまで個人経営だった松下電器製作所は株式会社となり、
井植はその専務に就任します。

満33歳の誕生日も間近で、まさに働き盛り。


いくつかの子会社の役員も兼務し、
それが9つにもなります。

内地はもちろん、満州、朝鮮、台湾を毎日文字通り飛び回ります。

松下無線の社長として、二年間にラジオ生産台数を日本一に。
乾電池会社でも、専売局のタバコに迫るほど高い占有率を上げます。



しかしそのころ、
日本は太平洋戦争に突入しました。

民需品は統制でつくれなくなり、
昭和17年、政府は木造船を計画、松下に製造を命じてきました。

井植は流れ作業で船を組み立てることを思いつき、実行します。

軍と交渉をしていた井植は、
この戦争がいよいよいけないことがわかってきます。

戦争に負けた場合の自分の身のふり方を考え、
心構えを用意しました。

そしてアメリカの放送を聞き、
いよいよポツダム宣言を受けるらしいことを知ります。
家族や親戚をみな故郷の淡路へ送り届けました。
一週間ほどして戦争となりました。

終戦の玉音放送は、松下本社の講堂で社員全員そろって聞きました。
終わると、井植は考えを述べました。


「みなの努力にもかかわらず、戦争は残念ながら負けた。
 しかし、戦争はやめても人間として生きていくことをやめるわけではない。
 これにくじけることなく、今後はわれわれ産業人の手によって国家の再建と繁栄に尽くしたいと思う」


井植はこう命じたのでした。

そして日本経済や社会情勢がどうなるか、調べさせます。
報告はかんばしくありませんでしたが、
終戦の年の暮れには早くも民需への転換が終わり、
翌年末には若干の利益すら計上できるようになります。



しかし、この一年あまりの間に、
GHQから松下に対し、財閥指定、軍需会社の生産責任者としての公職追放の指令が出ていました。

幹部がみなやめてしまえば、
せっかく再建のめどがつき始めた会社も収拾がつかなくなってしまいます。

幸い、GHQは一人は残ってもよいという意向をもらします。

そうなれば、義兄松下幸之助が残るのが当然であると、
井植は退社を決意したのでした。

時に井植43歳、まだ若い年齢でした。




続きはまた来週に。




私の履歴書─昭和の経営者群像〈9〉




昭和の高度経済成長を築きあげた経営者たちの私の履歴書。
過去の記事はこちらからどうぞ。


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