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海のものとも山のものともいえぬ原子力発電の礎をつくる─安川第五郎(日本原子力発電社長)その6(終)─昭和時代の私の履歴書

昭和の偉人たちが何を考え、失敗にどう対処し、
それをいかに乗り越え、どんな成功を収めたのか、

日本経済新聞に掲載されている、
自伝コラム「私の履歴書」から
探ってみたいと思います。



私の履歴書─昭和の経営者群像〈9〉



安川は石炭界が深刻を極めていたその時期に、
石炭庁長官として安川は最前線に立つことになりました。

当時の石炭界の仕組みは、
国家統制のような形になっており、
日本石炭がその代行機関のようになっていました。

したがって労組がここを押さえれば、石炭事業は労組の自由になります。
しかもその日本石炭は組織が強く、
社長などは完全に浮いており、職員組合でどうにでもなるような状態だったのでした。

石炭庁としてはここに非常な悩みがあり、
それをコントロールするのになかなか苦心しました。


安川も何度となく長官室に押し込められて、
数時間炭鉱労組に取り囲まれ、
生産管理を認めろと半ば強制的に半ば脅迫的に迫られたこともあったのでした。


特に末弘厳太郎といった先生方が、
生産管理を合法的なようにいって新聞に論文を出したため、
組合の連中は末弘先生がこういわれたから合法的であるなどとしきりにいってきました。

末弘は安川の一年先輩でしたが、

「君は論文でも何でももう少し自重して出してもらわないと産業界に影響して非常に困る」

と一度文句を言ったそうです。


────────────────────────────────
【引用ここから】


この配給制度は戦争中の遺物としてやむを得ないとしても、
やはり不合理なことは不合理だと思う。

石炭がいいも悪いもなく、
トンいくらと決めてしまい、
生産費が、炭価よりオーバーしたら政府から補助金をもらう。

これでは、経営者は少しでも勉強してコストを安くしようという努力をしない。

また、うんと勉強したからといっても、
もうけは多くなりはしないし、
また怠けていても損する気づかいはない。

このままにしておけば石炭の生産は落ちるばかりだ。


【引用ここまで】
────────────────────────────────


安川は北海道から九州の炭鉱を回り、
各炭鉱労組の組合員や幹部と折衝をして石炭増産に努めましたが、

追放の問題が表面化し、辞めざるを得ませんでした。


安川は自分でも忘れていましたが、
福岡の玄洋社という政治結社の理事に名前を連ねていたのでした。

アメリカは玄洋社が今度の戦争に至るまでに一役買っているものと見ていたらしく、
その理事がこともあろうに石炭庁の長官におさまっているということで、
これはとんでもないとなります。

安川はわずか六か月で石炭庁を辞任するということになりました。



その後安川電機では会長に復帰してくれといってきましたが、
追放で辞めたのだから、二、三年は謹慎すべきと、
安川は表向きなにもせずぶらぶらしていました。

その後会長に復帰し、
昭和30年一万田大蔵大臣からの頼みで、
日銀政策委員に就任します。

一年ぐらいたって今度は、
原子力研究所の理事長になってくれという話が来ます。

昭和31年6月、正式の研究所理事長の辞令を受け、
11月の臨時国会で政策委員の後任が決まります。

研究所理事長になって間もない8月10日、
正力国務大臣とともに東海村に出張し、ここに原子炉が据えつけられるという場所で、くわ入れ式をやります。

そのころの東海村はいずれを見ても空漠たる感じで、
別に取柄のない所だったのでした。


原子力研究所は特殊法人でした。
はじめは国立にしたいという大蔵省の強い希望がありましたが、
国立では新しい思い切ったことをやるにはなかなかうまく運ばないと。

世界中でもまだ軌道に乗ったとはいえない新しい技術上の機関だから、
民間から優秀な人を集める必要が大いにある。

そこで準政府機関にしておく方がいいと安川は考えたのでした。


開所式は昭和32年9月18日、原子炉第一基の火入れを行いました。

そして日本原子力発電会社が誕生します。
原子力発電が海のものとも山のものともつかないこのとき、
ばらばらにやっていたのでは研究のロスはきわめて大きいと、

政府も一枚加わって各民間会社共同で生まれた会社でした。
日本原子力発電会社は以下のような性格を持っていました。


1、この会社それ自体が試験台となって、はたして、原子力発電というものは採算が合うかどうか、具体的に調べること。

2、人材養成。将来、各電力会社がどうしても原子力に手を出さないとやっていけないというとき、
いまのままでは各電力会社は手を付けるにも人材がないということになる。

3、日本が自力で、材料を集め、設備万端を整えて、原子力発電所を作れるようにするということ。
いまのままでは、いつまでたっても、英国、米国、あるいはソ連などから原子炉を購入せざるを得ない状態にある。
一日も早く、これを日本の独力でやれるようにしなくてはならない。
そのためには外国の色々なタイプのものを会社が購入し、いろいろの経験をし、研究をするということがまず先決。



安川は最後に人生を振り返り、
こう述べています。


若いころから自分ではけんかをしたことはなかった。
仕事上でも人生上でも何か障害があると、
それと争ってけんかして突破するということは一度もなかった。

すると百八十度くらい逆行して遠回りをする。

しかし、とどのつまりは、
結局、自分の思うつぼにいってしまう。


安川は争わないでいながら、
結局遠回りして自分の思うように物事を運んでいたわけです。




安川の功績はいくつかありますが、
この日本原子力発電会社の動きは現代においても参考になるのではないでしょうか。


原子力発電は私たち東北の人間にとって、
とりわけ福島県民にとっては言い表すことのできない存在となっていますし、
多くの方々が「原発ゼロ」であるべきと感じていることと思います。

しかしその代替エネルギーを考えたとき、
それは太陽光なのかもしれませんが、

この方式で新エネルギーを採算ベースで
軌道に乗せる努力をしていくためのヒントがここにあるように思いました。


原子力もこの安川の時代には、
採算に乗るわけがない、
この会社は初めから軌道に乗らないと言われていたようです。


そういった意味ではどんな事業にも分野にも「起業」の時期があるのだなという当たり前のことを感じます。

新しいエネルギーをどのようにしてつくるか、
安川のように、私たちの世代が努力しなければなりませんね。




次回から井植歳男(三洋電機社長)です。




私の履歴書─昭和の経営者群像〈9〉




昭和の高度経済成長を築きあげた経営者たちの私の履歴書。
過去の記事はこちらからどうぞ。




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