Archives[ 2016年08月 ] - つくる!宮城県議会議員渡辺勝幸のブログ【仙台市若林区】
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渡辺勝幸について

【現職】
宮城県議会議員【仙台市若林区選出】
 宮城県議会 議会運営委員会 委員。
 宮城県議会 文教警察委員会 委員。
 宮城県議会 スポーツ振興調査特別委員会 副委員長。

自由民主党・県民会議
 医療・福祉議員連盟 事務局次長。
 環境・エネルギー議員連盟 事務局次長。
 芸術文化議員連盟 事務局次長。
 防災議員連盟 事務局次長。
 日越(ベトナム)交流宮城県議会議員連盟 事務局次長。
 観光・情報議員連盟 事務局次長。
 防衛議員連盟 事務局長。

北朝鮮に拉致された日本人を救出し支援する宮城県議の会 事務局長。
宮城県議会国際リニアコライダーの誘致議員連盟 事務局長。
神道政治連盟宮城県本部議員連絡協議会 幹事。
岩手県議会・宮城県議会国際リニアコライダー建設実現議員連盟 理事。

自由民主党宮城県支部連合会
 青年局長。
 県民運動本部 副本部長。
 憲法改正推進本部 事務局長。
 女性活躍推進本部 副本部長。
自由民主党宮城県参議院第一選挙区支部 顧問。
仙石線整備促進期成同盟会 顧問。
全日本不動産政治連盟宮城県本部 顧問。
宮城県理容生活衛生同業組合 仙台若林支部 顧問。
宮城県私立幼稚園PTA連合会 副会長。
宮城県障害者スポーツ協会 理事。
宮城県障害者スポーツ指導者協議会 副会長。
仙台市南地区交通安全協会六郷支部 顧問。
社会福祉法人ウェル千寿会 評議員。
宮城県薬剤師連盟 政策強化委員。
宮城県ドッジボール協会 副会長。
宮城県柔道整復師会 顧問。
東北大学大学院情報科学研究科 非常勤講師(情報技術経営論)。
起業集団「株式会社つくる仙台」 代表取締役。
ミラサポ(中小企業庁委託中小企業支援事業)専門家。
仙台東倫理法人会 監査。

仙台市立沖野中学校父母教師会 会長。
 若林区まちづくり協議会会員。
沖野東学区民体育振興会顧問。
沖野東小おやじの会沖父ちゃん会顧問。
仙台沖野ソフトボールリーグ顧問。

仙台市南地区交通安全協会六郷支部 顧問。
仙台市南地区交通指導隊六郷分隊 隊員。







【経歴】 昭和50年5月10日生まれ。宮城県仙台市若林区出身。43歳。

昭和57年 沖野幼稚園(仙台市若林区)卒園
昭和63年 青森市立筒井小学校卒業
平成3年 仙台市立沖野中学校卒業
平成 6年 宮城県仙台第一高等学校卒業(高46回。二年間応援団長を務める)
平成11年 慶應義塾大学法学部政治学科卒業
     国会議員政策担当秘書資格試験合格

平成12年 参議院議員市川一朗(宮城県選挙区)政策担当秘書
平成13年 慶應義塾大学大学院法学研究科政治学専攻修士課程修了
平成19年 参議院自民党秘書会幹事(平成22年まで)
平成22年 参議院議員市川一朗政策担当秘書を退職

平成23年 経済産業省後援 起業支援ドリームゲートアドバイザー(平成24年まで)。
     宮城県議会議員選挙(若林選挙区)に無所属で出馬(5,042票で落選)。

平成25年 公益社団法人仙台青年会議所地域共同開発委員会幹事。
     仙台東倫理法人会幹事(青年委員長)。
     沖野東小おやじの会沖父ちゃん会初代会長。
平成26年 東北大学大学院情報科学研究科講師(情報技術経営論・非常勤、現職)。
     公益社団法人仙台青年会議所会員開発委員会委員。公益社団法人日本青年会議所憲法論議推進委員会委員。公益社団法人日本青年会議所東北地区宮城ブロック協議会LOM協働委員会委員。
     仙台市立沖野東小学校父母教師会(PTA)会長(平成31年まで)。
平成27年 宮城県議会議員に初当選(若林選挙区。自民党公認。10,041票でトップ当選)。
     公益社団法人仙台青年会議所総務委員会副委員長。公益社団法人日本青年会議所日本の未来選択委員会委員。
     宮城県議会 経済商工観光委員会委員。宮城県議会 産業振興対策調査特別委員会委員。
平成28年 宮城県議会 議会改革推進会議委員。
宮城県議会 保健福祉委員会委員。宮城県議会 地域防災調査特別委員会委員。
宮城県議会 政務活動費運用検討会議 検討委員。
平成29年 宮城県議会 総務企画委員会 副委員長。
     宮城県議会 いじめ・不登校等調査特別委員会 委員。


【渡辺勝幸応援団から、平成30年政治活動についての講評】

【渡辺勝幸応援団から、平成29年政治活動についての講評】

【渡辺勝幸応援団から、平成28年政治活動についての講評】

【渡辺勝幸応援団から、平成27年政治活動についての講評】

【渡辺勝幸応援団から、平成26年政治活動についての講評】

【渡辺勝幸応援団から、平成25年政治活動についての講評】

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離島を知れば日本がわかる―島を守れ―新島へお墓参り その3(終)

2016年08月15日 09:25

私の父方は代々宮城県なのですが、
私の母方は東京都新島村で代々神主をしていました。


昨年の選挙でお世話になりました親戚にご挨拶、
そして母の実家である東京都新島村の十三社神社に、
当選報告・さらに厄払いに行ってまいりました。




本日は8月15日、
70年以上前、わが国は非常事態にありました。


新島も同様の非常事態であり、
私の祖父はちょうど今の私と同じぐらいの年代でしたが、
島を守るために命を懸けていました。


祖父の自伝によれば、
戦時中新島には、
島の住民の倍、六千人余りの大部隊が駐屯。

新島の住民は山形や伊豆方面に疎開し、
わずかに残った地元の男子は特警として各部隊に配置され、
山中に立てこもったようです。

残された猫がさびしげに家族を呼ぶ声が聞こえるのみ。



祖父には召集令状も来ず、
民間人としてただ一人新島に残り、
神職として平常通り勤務に務めていました。

神社の疎開も考えられましたが、
戦況も悪化、新島周辺に敵機や潜水艦が来襲、
焼夷弾も落ちてくる状況のなか、

祖父は、この非常のときこそ国土を守り、
郷土の鎮守として神明の力を発揮すべきと考え、

東京都長官に神社の疎開をしないことを報告、
駐屯の軍隊と共に
新島を守ることに心を決めたのでした。


新島駐屯司令官の横田中将と、
戦況の情報を聞きながら、

「死ぬときは共に死のう」

と手を取り合いお互いに励ましあったそうです。



新島には飛行場があり、
平地も多い地形ですので、
重要拠点と目されていたらしく、

硫黄島陥落後、
次に米軍が来るのは新島だろうと、
島の防衛機能を高めていたようです。




そう考えてみると、
沖縄で戦ってくださった御英霊、
硫黄島で戦ってくださった御英霊、
戦争で犠牲になられた多くの御霊のおかげ、

そして8月15日に終戦となったことにより、

空襲はもちろんあったものの、
新島で激しい戦闘が行われることはありませんでした。



もし戦争が長引いていたら、
新島が激戦地となっていたら、

私の祖父は犠牲となっていたでしょうし、
戦後に生まれた私の母の命もなかったことでしょうから、

私が生まれることはなかったのだと思います。


沖縄戦、硫黄島の激戦の話を聞くたびに、
私はこの身は仙台にいながらも、
ありがたく思っているところです。


祖父は戦後、
神社制度の変更に伴い、
また苦労をしたようですが、
後半生は島の発展に力を尽くしました。




近年、領土・領海問題が
大きくニュースで取り上げられています。

中国の南シナ海進出や、
尖閣諸島への軍事的圧力、

韓国の竹島上陸問題、
北朝鮮の秋田沖へのミサイル発射。


わが国がいくら平和を守る国であり、
日本人が平和を愛する国民であったとしても、

他国の侵略があった場合にどうするかということ、
他国の侵略を受けないための方策については、
しっかりと考えていかなければなりません。


そう考えると、
新島だけではなく、

日本には大小多数の島々が存在しています。

この離島の保全・管理を
国が責任を持ってやることが、
平和を守るための基礎になるのではないかと思います。


ときどき、

「俺は東京に住んでいるんだから、
 太平洋の小さな島ぐらい中国にあげればいい」

という人がいますが、

小さな島を一つ落とすと、
そこが本土に対する侵略の拠点になってしまうわけです。


戦争が起きないように、
平和を守るために、

争いの前に勝負をつける、
戦ってはいけないなと思わせることが
真の平和を守るためには重要なことです。




さて現在政府には、
総合海洋政策本部が設置されています。

平成19年に成立した海洋基本法に基づき、
内閣総理大臣を本部長として、

海洋に関する施策を集中的かつ総合的に推進する機関として設置されました。


また、近年国防の点からも、
南西諸島の防衛強化ということで、
離島防衛の強化が図られてきています。



大きな視点で見れば、
日本という国そのものが「島」です。

四方を海に囲まれ、
自然と共に平和に暮らしてきたのが、
わが国の歴史でした。


そう考えると、
どんな小さな島であっても、
離島の重要性を認識し、
島を守ることが、

わが国の平和、安定につながっていくのではないかと、
戦後71年目の8月15日に感じているところです。


ぜひみなさんにおかれましても
『島』についての関心を深めていただければ幸いです。







その1 伊豆七島新島の十三社神社で当選報告・厄払い、そしてお墓参り
その2 出羽三山(山形県鶴岡市)天宥法印と新島村
その3 離島を知れば日本がわかる―島を守れ

出羽三山(山形県鶴岡市)天宥法印と新島村―新島へお墓参りその2

2016年08月14日 23:59

私の父方は代々宮城県なのですが、
私の母方は東京都新島村で代々神主をしていました。


昨年の選挙でお世話になりました親戚にご挨拶、
そして母の実家である東京都新島村の十三社神社に、
当選報告・さらに厄払いに行ってまいりました。




私のご先祖様は、
神主兼地役人として
村長のような仕事をしていたようです。


その新島は江戸時代になり、
流刑地となりました。
いわゆる島流しですね。

1668年から1871年までに罪人として、
新島に流されてきた数は1,333人。

政治犯や重罪の者が流されてきたようです。



よく考えてみると、
私は昔からガラの悪い人にかわいがられたり、
そういう人に話を聞いてもらえたりすることがあるので、

血筋なのかもしれません(笑)。


新島に初めて流されてきたのが政治犯。

出羽国(山形県)羽黒山の
高僧であった、

天宥法印

でした。

いまでも山形県鶴岡の偉人ということで、
郷土史などでも取り上げられているようです。




―――――――――――――――――――――
【引用ここから】




天宥社(鶴岡市)概要:

天宥社は羽黒山中興の祖と言われる天宥法印を祀った神社です。

天宥法印は寛永7年(1630)、
25歳で第50代羽黒山別当に就任、

当時出羽三山は戦国時代の争乱や兵火により衰微し、
各登山口が別個の勢力として統一制を欠き往時の勢いはありませんでした。

天宥は幕府の実力者である天海大僧正が天台宗だった為、
真言宗だった出羽三山全山を天台宗に改宗し
幕府の庇護を得ようと画策、

寛永18年(1641)には天海僧正に弟子入りし、
天海の「天」の字を賜り宥誉から「天宥」に改称しています。

天宥は布教制度を確立し、
日光東照宮(栃木県日光市:徳川家康の霊廟、
創建には天海大僧正が大きく関わっています。)の分霊を勧請し東照社を創建、

さらに堂宇の再建と改修、参道の石段の整備た石灯籠の設置、
須賀の滝の造園など数々の実績を残しています。


又、新田開発や植林など産業にも力を入れ
羽黒山の発展に尽力を尽くしました。

しかし、半ば強行に改革を進めていた事もあり、
寛文8年(1668年)、反対派からの工作などで幕府の裁定で敗訴、
さらに外護者だった庄内藩主酒井氏とも対立した為に

新島(東京都新島村)に流され7年後、
新島で82歳で入寂しています

(天宥が出羽三山から排斥後は記録が無く長く不詳でしたが、
 昭和に入りようやく新島に流された事が判明しています。
 新島では島民に学問などを教えていたそうで文化的発展に尽力しています)。

現在の社殿は平成4年(1992)に建てられたものですが
古くから崇敬され神仏分離令前は御霊社に祀られていたそうです。

社殿の前には新島より寄進された石灯籠が立っています。


【引用ここまで】
―――――――――――――――――――――


天宥さんは様々な改革を行い、
地域のために力を尽くした人でしたが、

政治の流れが変わり、
新島へ島流しとなりました。


いまでいえば政権交代に伴って、
浪人になってしまったようなものでしょうか。


私のご先祖様は江戸で天宥さんのことを聞いていたので、
えらい人が島にくるということで、

特別待遇で出迎えたようです。


当時で75歳という高齢にも関わらず、
新島では読み・書き・そろばん・農業技術を教え
島民から大変慕われていたのだとか。


現在、山形県鶴岡市羽黒町と東京都新島村では
交流が深まっているそうで、
私の伯父も羽黒山へ招かれることがあるそうです。


よく考えてみると、
新島から仙台はずいぶん離れているのですが、
こうした歴史やご縁を考えるにつけ、

私も一度は出羽三山、とくに天宥社には
お参りに行かなければならないなあと思います。

今年の一月、
出羽三山神社仙台地方山伏勧進大祈願祭にお招きいただきましたが、
やはり直接行ってご挨拶しなければと。



地域を盛り上げるために、
反対をいとわず改革政策を推進し、
地域に様々な事業をつくる、

そんな天宥さんの念子、思いを
平成のいま、私は大きく感じとっています。


時代を超えても、
生き様は感じとれるものなのだなあと
あらためて思っているところです。


天宥さんのお墓参りもしながら、
歴史の息吹を感じていました。





その1 伊豆七島新島の十三社神社で当選報告・厄払い、そしてお墓参り
その2 出羽三山(山形県鶴岡市)天宥法印と新島村
その3 離島を知れば日本がわかる―島を守れ

伊豆七島新島の十三社神社で当選報告・厄払い、そしてお墓参り─新島へお墓参り その1

2016年08月13日 23:59

私の父方は代々宮城県なのですが、
私の母方は東京都新島村で代々神主をしていました。


昨年の選挙でお世話になりました親戚にご挨拶、
そして母の実家である東京都新島村の十三社神社に、
当選報告・さらに厄払いに行ってまいりました。

そしてお墓参り。
私の母方のご先祖様にお会いできましたので、

子供たちにとって、
二人のおじいちゃん、二人のおばあちゃんのご先祖様に
ご報告することができました。

これでコンプリートです。

私の亡き祖父母を含め、
ご先祖様が子供たちに会いたがっていたであろうと、
ずっと気になっていたので、

四方向のタテイトがつながった実感がありました。

これで悔いはないですね。



数日の滞在でしたが、
私の原点、そしてわが国の原点を確認するという意味でも、
また日本の離島の存在意義についても
感じるところが多い旅となりました。





東京都新島村は、

東京都心の南約160kmの太平洋上に位置しており、
人口は約2,700人。

浜松町駅から竹芝桟橋へ向かい、
東海汽船の客船「さるびあ丸」で夜23時に出港、翌朝7時30分に到着します。

このさるびあ丸は、
東京-横浜(金土のみ)-大島-利島を経由して毎日就航。
5000トン級の貨客船となっています。

空路としては、
調布飛行場から新島空港へ約30分で到着。
あっという間です。

飛行機は定員19名のドルニエ228。

ドルニエ228は民間機の他にも、
軍用機や沿岸警備用として
ヨーロッパ、アフリカ、アジアの軍及びコーストガードに採用されているのだそうです。。


新島村は温泉、ビーチなどの観光業が主で、
東京から気軽に遊びに行くことができますので、
ぜひ一度はお越しください。



新島村観光情報サイト
https://www.niijima.com/kankou/


新島には、東京都で唯一「日本の水浴場88選」に
選定された海水浴場「前浜海水浴場」があります。

ここも含めて新島の全ての海水浴場は水質ダブルAとのことで、
たしかにいつもきれいな海です。


また世界に誇るサーフィンポイント羽伏浦もあります。

新島村は2020東京オリンピックサーフィン競技の開催地に立候補。
波の大きさ、パワー、透明度、混雑もなく、
どれをとっても日本有数のポイントとしてサーファーにはよく知られているのだそうです。



十三社神社では現在私の伯父が、宮司を務めており、
家族で参拝、祝詞をあげていただきました。

神様に当選の報告と厄払い、
家内安全を祈願。


この十三社神社は、
新島の総鎮守、東京都神社庁の管轄。
伊豆諸島最大規模の神社であり、社格は郷社、正一位。

主祭神は、
事代主命(主神、通称恵比寿神)であり、
以下の同族12神を祀っています(合祀)。

大三王子明神
弟三王子明神
御蔵沢明神
泊御途口大后明神
野伏若御子明神
早嶋太前御前明神
若郷宮造明神
淡井姫后明神
冨蔵根后明神
鵜渡根后明神
鉈折御子明神
瀬戸明神
また、この他に天照皇大神、八幡大神、春日大神、東照宮を配祀。


境内社には、祖霊社、久須志神社、須賀神社、夜種神社、
末社(境外社含む)の総数は20社を数えます。



十三社神社(東京都神社庁)
http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/syoukai/27_thosho/27001.html




須賀神社もあったので、
連坊の須賀神社とのご縁を感じますね。

平たく言えば、
たくさんの神様がいるところです。

祝詞をあげていただきながら、
たくさんの神様が集まり、
パワーをいただいているような気がしました。


いかなる困難があっても、
まっとうにやっていれば、
たくさんの神様、ご先祖様が助けて下さる。

そんな確信のようなものを抱きました。


小さいころはよく来ていましたが、
しばらくぶりということもあり、
元気な親戚一同と楽しく過ごすことができました。


伯父さんの神職姿も久しぶりに見ましたが、
袴が紫の紋入りになってました。
ありがたいことです。


距離にすると500キロ近く、
行きは船でしたので半日かけての旅でしたが、
行ってよかったなあと思いました。





その2 出羽三山(山形県鶴岡市)天宥法印と新島村
その3 離島を知れば日本がわかる─島を守れ


ネットワーク時代は『組織の拡大』が肝になる ─ブリッツスケール:劇的な成長を遂げる唯一の方法 ─リンクトイン創業者リード・ホフマン氏─DIAMOND Harvard Business Review

2016年08月11日 23:59

リンクトイン創業者のリード・ホフマン氏が、


『DIAMOND Harvard Business Review (ハーバード・ビジネス・レビュー) 2016年8月号』に、


「ネットワーク時代は『組織の拡大』が肝になる
 ブリッツスケール:劇的な成長を遂げる唯一の方法」



というインタビューを受けていますので、
これをみなさんにシェアしたいと思います。

[ 続きを読む ]

自身の責任としてやり遂げる決意

2016年08月10日 23:59

「責(せめ)無きのみ」

この責という字は、
言責の責と同じであって、責任の意です。


「責無し」というのは、
そのいうところを、

自身の責任として
やり遂げるという決意がないこと。


いったい、人が気楽に言葉を口にするのは、
それを自身の責任とするのだという決意がないからなのです。

もしもそれを実行することを自身の責任と考えるならば、
気楽に言葉を口にすることはできないはずです。


『論語』に、

「君子は、口はたとえ下手であっても、
 実行には機敏でありたいと願っている」


とあるのも、意味が似ているのです。





ということを約150年前の日本において、
政治犯として牢屋の中にありながら、

囚人と看守に対して
熱心に教えた人がいたのでした。

その政治犯は間もなく
斬首刑になってしまいます。


そして時は立ち、
その政治犯の弟子たちが、

明治維新の原動力となり

日本を変えていったのでした。






⇒ この本をときどき繰り返し読んでいます。











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