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2016/06/17
同志の友がいなくてよいはずはない
治国・平天下の根本は、
まず自己の身と心の修養にあるとされています。
しかし孟子の書のこの章には、
突如として「父子の道」が述べられています。
これもまた治国・平天下の根本は、
人の道を明らかにするにあり、
人の道のうちの大きなものは
「父子の関係にあるから」なのです。
子供を交換しあって教育するという意見は
大いによいものであって、
世を善くしたいという志がある人物は、
このように心がけるべきです。
わたくし(吉田松陰)が考えるに、
志ある人物は必ず志を同じゅうする友があり、
師を同じゅうする朋があるもので、
この朋友と、
常に善を責めあい、
志を磨きあって、
不義に陥らぬようにする。
これが、いわゆる「執友」なのです。
執友とは同志の友。
執友があればこそ、
子供を交換して教育するということもできるのです。
『礼記』に、始終、
「父執」という語が出てくるのによっても、
このことがわかります。
それゆえに、
自分にもしも師がなく志がないならば
執友もないわけであるから、
子供を交換しあって教育する道もないことになります。
宋の蘇詢の言葉に、
「どんなに地位も権力もない人物であっても、
必ず密友があって、
心を開いてくれ、危急を救ってくれるものである」
といっていますが、
この密友が、すなわち執友のことです。
ああ、士たるもの、
このような友がなくてよかろうか。
よいはずがない。
ということを約150年前の日本において、
政治犯として牢屋の中にありながら、
囚人と看守に対して
熱心に教えた人がいたのでした。
その政治犯は間もなく
斬首刑になってしまいます。
そして時は立ち、
その政治犯の弟子たちが、
明治維新の原動力となり
日本を変えていったのでした。
この本をときどき繰り返し読んでいます。