2014/01/31
側近が上司に進言するタイミングはいつがよいか?
その昔、中国斉の国である地方の長官をやっていた男がいました。
その長官はその職をやめて、
士師になることを申請します。
長官は日本の代官と同じような役職で、
その任地に住んでいました。
そのため都に遠く、
王様に進言をする機会をなかなか得ることができませんでした。
そこで、士師の官位を願ったのでした。
士師は、都に住む官職なので、
王に対し意見を申し上げることが意のままにできたのでした。
しかしその後孟子は、
この男に対し、
「あなたが士師となってから数月になるのに、
未だ諫めを王に申し上げることができないのか」
と責めています。
この「未(いまだ)」という一字が、
極めて意味が深い。
唐の時代の韓退之『争臣論』、
宋の?陽永叔『范司諫に上つる書』は、
みなこの「未」という字の精神を敷衍してできたものです。
この男が、士師の職を願い出た当初は、
もちろん、心に国家の利害得失を極言しようと思っていて、
そのためにしたことでした。
しかし任命されて数カ月にもなりながら、
全く一言もいわないのは、
1、官を拝命したばかりでその職務についてよく知っていないため、言葉を発する余力がなかったのか
2、または同僚や先輩に遠慮するところがあってまだ発せぬのか
3、または小さな問題は多いが未だ申し上げる値打ちがなく、問題の大きいものが生じた時、申し上げようと思っているのか
まずはこの3つのうちの理由からでしょう。
孟子はこの男の心中を推察して、
この「未」の字を下したのです。
そして孟子が彼に注意したことは、
時機を待って申し上げようと思ったならば、申し上げる機会はないものだ、
事の大小を問わず、一日も早く申し上げよ、
ということでした。
表現は婉曲ですが、意味は実に適切です。
今の世の要職にある人物もまた、
君主に対し、未だ思うところを申し上げることができないものでしょうか。
ということを約150年前の日本において、
政治犯として牢屋の中にありながら、
囚人と看守に対して
熱心に教えた人がいたのでした。
その政治犯は間もなく
斬首刑になってしまいます。
そして時は立ち、
その政治犯の弟子たちが、
明治維新の原動力となり、
日本を変えていったのでした。
この本をときどき繰り返し読んでいます。
私渡辺の経験からいうと、
たしかに進言はすぐになすべきですが、
君主から進言を受け入れるべき人物とみなされる力を備えることもまた必要だと思います。