Archives[ 2013年09月 ] - つくる!宮城県議会議員渡辺勝幸のブログ【仙台市若林区】
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渡辺勝幸について

【現職】
宮城県議会議員【仙台市若林区選出】
 宮城県議会 環境福祉委員会 委員長。
 宮城県議会 不登校・ひきこもり対策調査特別委員会委員。
 宮城県議会 政務活動費運用検討会議座長。

自由民主党・県民会議
 事務局長。
 環境・エネルギー議員連盟 事務局長。
 芸術文化議員連盟 副幹事長。
 防衛議員連盟 幹事長。
 防災議員連盟 事務局長。
 日越交流宮城県議会議員連盟 幹事長代理。
 みやぎの印刷産業振興を考える議員連盟 事務局長。
 宮城オルレ・トレイル推進議員連盟 事務局長。
 宮城県議会行政書士議員連盟 事務局長。
日韓親善宮城県議会議員連盟 事務局次長。
宮城県スポーツ議員連盟 幹事。
  宮城県議会国際リニアコライダーの誘致議員連盟 副幹事長。
宮城県議会全国和牛能力共進会宮城大会を支援する議員連盟 幹事長。
北朝鮮に拉致された日本人を救出し支援する宮城県議の会 事務局長。
神道政治連盟宮城県本部議員連絡協議会 幹事。
岩手県議会・宮城県議会国際リニアコライダー建設実現議員連盟 理事。

自由民主党青年局 中央常任委員(東北ブロック)。
自由民主党宮城県支部連合会
 青年局長。
 県民運動本部 副本部長。
 憲法改正推進本部 事務局長。
 女性活躍推進本部 副本部長。

仙石線整備促進期成同盟会 顧問。
全日本不動産政治連盟宮城県本部 顧問。
宮城県理容生活衛生同業組合 仙台若林支部 顧問。
宮城県私立幼稚園PTA連合会 副会長。
宮城県薬剤師連盟 政策強化委員。
宮城県ドッジボール協会 副会長。
宮城県柔道整復師会 顧問。

宮城県障害者スポーツ協会 常任理事。
宮城県障害者スポーツ指導者協議会 会長。
みやぎパラボウリング協会 会長。
仙台市南地区交通安全協会六郷支部 顧問。
社会福祉法人ウェル千寿会 評議員。

東北大学大学院情報科学研究科 非常勤講師(情報技術経営論)。
起業集団「株式会社つくる仙台」 代表取締役。
ミラサポ(中小企業庁委託中小企業支援事業)専門家。
仙台東倫理法人会 監査。

仙台市立沖野中学校父母教師会 会長。
 若林区PTA連合会理事。
 若林区まちづくり協議会会員。
 沖野中学校区青少年健全育成連絡協議会会長。沖野中学校区災害対策委員会委員。
 仙台市地域ぐるみ生活指導連絡協議会幹事。
沖野東学区民体育振興会顧問。
沖野東小おやじの会沖父ちゃん会顧問。
仙台沖野ソフトボールリーグ顧問。

仙台市南地区交通指導隊六郷分隊 隊員。







【経歴】 昭和50年5月10日生まれ。宮城県仙台市若林区出身。44歳。

昭和57年 沖野幼稚園(仙台市若林区)卒園
昭和63年 青森市立筒井小学校卒業
平成3年 仙台市立沖野中学校卒業
平成 6年 宮城県仙台第一高等学校卒業(高46回。二年間応援団長を務める)
平成11年 慶應義塾大学法学部政治学科卒業
     国会議員政策担当秘書資格試験合格

平成12年 参議院議員市川一朗(宮城県選挙区)政策担当秘書
平成13年 慶應義塾大学大学院法学研究科政治学専攻修士課程修了
平成19年 参議院自民党秘書会幹事(平成22年まで)
平成22年 参議院議員市川一朗政策担当秘書を退職

平成23年 経済産業省後援 起業支援ドリームゲートアドバイザー(平成24年まで)。
     宮城県議会議員選挙(若林選挙区)に無所属で出馬(5,042票で落選)。

平成25年 公益社団法人仙台青年会議所地域共同開発委員会幹事。
     仙台東倫理法人会幹事(青年委員長)。
     沖野東小おやじの会沖父ちゃん会初代会長。
平成26年 東北大学大学院情報科学研究科講師(情報技術経営論・非常勤、現職)。
     公益社団法人仙台青年会議所会員開発委員会委員。公益社団法人日本青年会議所憲法論議推進委員会委員。公益社団法人日本青年会議所東北地区宮城ブロック協議会LOM協働委員会委員。
     仙台市立沖野東小学校父母教師会(PTA)会長(平成31年まで)。
平成27年 宮城県議会議員に初当選(若林選挙区。自民党公認。10,041票でトップ当選)。
     公益社団法人仙台青年会議所総務委員会副委員長。公益社団法人日本青年会議所日本の未来選択委員会委員。
     宮城県議会 経済商工観光委員会委員。宮城県議会 産業振興対策調査特別委員会委員。
平成28年 宮城県議会 議会改革推進会議委員。
宮城県議会 保健福祉委員会委員。宮城県議会 地域防災調査特別委員会委員。
宮城県議会 政務活動費運用検討会議 検討委員。
平成29年 宮城県議会 総務企画委員会 副委員長。
     宮城県議会 いじめ・不登校等調査特別委員会 委員。
平成30年 宮城県議会 スポーツ振興調査特別委員会 副委員長。
     宮城県議会 議会運営委員会 委員。宮城県議会 文教警察委員会 委員。
     宮城県議会 政務活動費運用検討会議 検討委員。
令和元年 宮城県議会議員に再選(若林選挙区。自民党公認。10,273票でトップ当選)。

【渡辺勝幸応援団から、平成30年政治活動についての講評】

【渡辺勝幸応援団から、平成29年政治活動についての講評】

【渡辺勝幸応援団から、平成28年政治活動についての講評】

【渡辺勝幸応援団から、平成27年政治活動についての講評】

【渡辺勝幸応援団から、平成26年政治活動についての講評】

【渡辺勝幸応援団から、平成25年政治活動についての講評】

【渡辺勝幸の東北大学での講義内容についてはこちらをクリック】

【渡辺勝幸メディア紹介履歴】

焼けなかった町─じいちゃんが小学生の時に読んでいた本その10

2013年09月25日 18:00

私の娘も小学生です。

早いものだと思いながら、
自分の小学生のときと同じことをやっているなと思うときもあります。

父も母も、祖父も祖母も、
かつて小学生でした。

そんなとき、
自分のじいちゃんが小学生のころに読んでいた本のことを知りました。


当然戦前日本のお話です。

その本の中からこれはいいなというお話を
みなさんにシェアしたいと思います。




大正12年9月1日、
東京では朝からむし暑く、

ときどきにわか雨が降ったり、
また急にはげしい日がさしたりしました。


ちょうど、お昼になろうとする時でした。

気味のわるい地鳴りとともに、
家もへいも、一度にはげしく震動しました。

がらがらと倒れてしまった家も、たくさんありました。


やがて、倒れた家から、火事が起りました。

あちらにも、こちらにも、
火の手があがって、見る見るうちに、
一面の火の海となりました。


水道は、地震のためにこわれて、
火を消すこともできません。

火は二日二晩つづいて、
東京の市中は、
半分ぐらい焼けてしまいました。



ところで、
この大火事のまん中にありながら、

町内の人たちが、
心をあわせてよく火をふせいだおかげで、
しまいまで焼けないで残ったところがありました。


この町の人たちは、
風にあおられて四方からもえ移って来る火を、
あわてずよくおちついて、
自分たちの手でふせいだのです。


まず、
指図する人のことばにしたがって、
人々は二列に並びました。

第一列のはしの人が、
井戸から水を汲んで、
バケツやおけに移すと、

人の手から手へとじゅんじゅんに渡して、
ポンプのところへ送りました。

第二列の人たちは、
手早く、からになったバケツやおけを井戸の方へ返して、
新しい水を汲みました。



そのうちに、
こういう列の組が、
いくつもできました。

みんな、
一生けんめいに水を運びました。

また、ほかの一隊は、手分けをして、
火の移りやすい店のかんばんを取りはずしたり、

家々の窓をしめてまわったりして、
火の移らないようにしました。



こうして、夜どおしこんきよく火をふせぎました。

年よりも子どもも、男も女も、
働ける者は、みんな出て働きました。

自分のことだけを考えるような、
わがままな人は、
一人もいませんでした。


次の日の晩おそくなって、
やっと火がもえ移る心配がうすらいで来ました。

みんなは、それに力づいて、
とうとうしまいまで働きつづけました。


見渡すかぎり焼野の原になった中に、
この町だけは、
りっぱに残りました。






おしまい。




自分のじいちゃんが小学生のころに読んでいた本。


この年になっても、
勉強になるなあと思えるお話がたくさんありますし、

子どもたちに伝えられたらさらにいいなと思って、
不定期にみなさんに紹介したいと思います。





じいちゃんが小学生の時に読んでいた本


九州の電気・交通をまとめ、衆議院議員に─松永安左エ門(電力中央研究所理事長)その7─昭和時代の私の履歴書

2013年09月24日 18:00

昭和の偉人たちが何を考え、失敗にどう対処し、
それをいかに乗り越え、どんな成功を収めたのか、

日本経済新聞に掲載されている、
自伝コラム「私の履歴書」から
探ってみたいと思います。



私の履歴書─昭和の経営者群像〈9〉



松永は、大阪市電路線の敷設に絡み、
投獄の憂き目にあってしまいました。

しかし、その活動意欲が衰えることはありませんでした。


松永の功績の一つに、
北九州の電気、交通両業を一つにしたということが挙げられます。


[ 続きを読む ]

すべての偉大な人々は謙虚である

2013年09月23日 18:00

人生のどん底にあり、
打ちひしがれた状況にあっては、

誰しも自信を失ってしまい、
何もかもが苦しい人生になります。


しかしそんなどん底を経験した後は、
徐々に人生が好転し、

いろいろなことがうまく回転し始め、
成功が続けば続くほど、
大いなる自信を取り戻したりするものです。



しかし、
普通の人間はここで、

「謙虚さ」

を失ってしまうようです。


起業家も起業直後はなかなかうまくいかず、
大いに悩みますが、

当たり始めるとほとんどの場合、
自身を過剰に持ってしまい、謙虚さを失います。


政治家も同様で、
初当選した後の気持ちが、
二期、三期と当選を重ねていくにつれ、
変質してしまう人がけっこういます。

政治家の場合は、
顔つきが変わってしまうことが多いですね。




しかしどの業界であれ、
本当に偉大な人は「謙虚さ」を失うことはありません。




偉大な経営者は、
多くの経験を積めば積むほど、

「経営」そのものの幅の広さ、
奥行きの深さがわかってくるものだ


といわれています。

常に、
もうこれで達成したと思うのではなく、

さらによりよい手法、
よりよい経営道を求めるという姿勢が、
その人を大きくしていくのでしょう。





日本のトヨタの「カイゼン」は、
世界的にも経営論として有名なものですが、

この「カイゼン」に、
偉大なる秘密があるように感じます。


つまり改善とは、
成功しても反省する、
ということであり、

謙虚さを失わないコツであるともいえるでしょう。


大成功し、
世間の人々からも称賛され、
大得意になったとき、


それでも「改善」すべきは何か?


ということを考えるのが、
偉大なる道へのコツなのではないでしょうか。


私も大成功したときには、
このことを思い出したいと思います。




人生の長期目標をつくる時には平成32年を照準とする

2013年09月22日 18:00

多くのみなさんが様々な人生の目標を持っておられることと思います。
夢や志というものといってもよいかもしれません。

もし目標がなければ、
ぜひ今しっかりと考えてみてはいかがでしょうか。

いやいやもう私は100歳を越えたから、
目標なんて、とおっしゃる先輩もいるかもしれませんが、

そんな方はお子さんやお孫さんの目標と
あわせて考えてみてはいかがでしょうか?

年齢は関係ないと私は思っています。



そして私たち日本人が、
これから人生の長期目標をつくるとき、


平成32年(2020年)


に照準を合わせるのがよいと思っています。


これはもちろん、


東京2020オリンピック・パラリンピック



が開催されるからですが、

過去の歴史を考えてみても、
おそらく日本人のほとんどが、

この平成32年に向かって力を合わせ、
多くの諸課題を乗り越えていくんだろうと私は思っています。


国家としてもそうでしょうし、
政治も行政も、そして多くの企業も、

平成32年に照準を合わせ動いていくものと思われます。


そうであるならば、
私たち日本人の一人一人の人生の目標も、

これに合わせ、山を登るのがよいのだろうと思います。



私の人生でいえば、
平成32年はちょうど45歳。

まだまだ最前線で戦っている世代だと思います。


私自身の目標は、

平成32年までこの日本に「新しい政治をつくる」ことが目標です。

抽象的な目標ですが、
具体詳細は自分のなかでしっかりつくりあげていきます。



対外的にも、
日本人が平成32年に向けて果たすべき役割は大きいと思っています。


20世紀は欧米の時代でした。
ヨーロッパとアメリカが国際社会をリードし、
産業の面でも軍事の面でも文化の面でも、
世界の先頭を走ってきていました。

一方、21世紀はアジアの時代と言われております。

中国、東南アジア、インド、中東と、
人口の面でも、経済の面でも、
21世紀は東洋が大きな力を持つと、
多くの識者が客観的データを基に主張しているところです。


つまり文明の転換期がまさにいま。


そして、東洋と西洋の両方を、
和をもって取り入れてきたのが日本です。

そして本来の日本は、

「おもてなし」だけではなく、

「思いやり」

「がまん」

「ゆずりあい」

あるいは自然を大事に自然と共生する暮らしなど、
これからの時代を先取りする精神を持っているのが、
日本であると言えます。


私たち日本人が本来原点として持っていた、

「日本らしさ」

を発揮すれば、

西洋と東洋を超越した、

新しい世界秩序を生み出すことができる。



まさに現代の私たち日本人は、
そんな瞬間に生きていると言えるでしょう。


すばらしいことです。

そして2020年に東京が選ばれたのは、必然であったとも言えるでしょう。


私たち日本人の一人一人が、

この「日本の時代」を迎えるにあたって、


もう一度日本の原点に立ち返り、
世界のなかで果たすべき役割をしっかりと担わなくてはなりません。


そして、日本人にはその責任があるのです。
この時代に日本人として生まれたことに感謝しながら、

平成32年に向かって、
私たち日本人の一人一人が自らの人生設計をもう一度しっかりと見直し、


「日本の時代」


である、これから、
そして一つの分岐点となる平成32年に向けて、

それぞれのお立場で、お仕事で、
しっかりとがんばっていかなければなりませんね。


いまからすばらしい時代が来ると思うと楽しみです。
あと7年間、国にも個人にも、
様々な逆風、逆境があることとは思いますが、

それを乗り越え、
果たすべき役割をみんなで果たしていきましょう。



The 1975の「Girls」─昭和50年の音楽

2013年09月21日 18:00


The 1975 - Girls




英マンチェスターの4人組バンド、The 1975。

昭和50年生まれの私としては、
西暦1975年のこの年に関係のあるバンド名かな
とひかれて聞いてみると、

なかなかかっこいい曲。


新曲の「Girls」もいい感じですね。



──────────────────────────────
【引用ここから】


1975年は、セックス・ピストルズが結成され、トーキング・ヘッズが初ギグをプレイした年だ。

しかし彼らのバンド名は、その年月日自体とは何の関係もない。

マットがその名前を見つけたのは、19歳の時にマヨルカ島北部の不用品セールで知り合った「社公的なアーティスト」から貰った、ビート文学の書物の巻末だった。

「彼が自宅の中を案内してくれたんだけど、そこはまるでヘンテコな60年代の雑貨屋みたいだったんだ。
 ジミ・ヘンドリックスと撮った写真もあってね。
 この人、めちゃくちゃクレイジーじゃん!って思ったよ。
 彼はケルアックとか色々、ビート文学の本をたくさん僕にくれてね。
 家に帰ってから僕はそれを読んでいたんだけど、そのうちの1冊の巻末の表紙裏に、ある走り書きがあったんだ。
 『Fuzz Against Junk』っていう(アクバル・デル・ピオンボ著の、ビート時代の麻薬押収を題材とした)本の裏に、狂気じみた走り書きが書いてあった。

 まるで遺書みたいな内容で、その末尾に『ザ・1975年、6月1日』って記してあったんだ。

 それを読んで、かなりゾクゾクっときたんだよ。
 『ザ』って冠詞がそこについていることに興奮した。
 それが僕の頭から離れなくなったんだ。
 バンド名として理想的だと思ったんだよね」。


彼らがThe 1975と名乗る覚悟ができたのは、2011年12月を迎える頃だ。

そして彼らは、(北ロンドンに位置する)クラウチ・エンドのチャーチ・スタジオで共同プロデューサーのマイク・クロッシーと共に行った、
陰鬱なエレクトロ・ポップの名曲「The City」のデモ・レコーディングを踏まえて、それを軸とするEPを制作。

その『Facedown EP』は、都会のザラつき感や朦朧としたトリップ感に満ちている。


【引用ここまで】
──────────────────────────────

The1975-BIOGRAPHY(UNIVERSAL MUSIC JAPAN)




1975は、関係ないんだそうです。
しかし何かがあった年だとピーンときたんでしょうね。

1975年を調べてみると、

ジョン・レノンの「スタンド・バイ・ミー」、
エルトン・ジョンの「フィラデルフィア・フリーダム」、
ウイングスの「あの娘におせっかい」などがヒットを記録した年なのだそうです。

そしてこの年日本でデビューしたアーティストは以下の通り。


1月
1日 - タケカワユキヒデ「走り去るロマン」…公式デビュー
20日 - 片平なぎさ「純愛」

2月
5日 - ハイ・ファイ・セット「卒業写真」/風「22才の別れ」

4月
1日 - 細川たかし「心のこり」
25日 - 岩崎宏美「二重唱 (デュエット)」/シュガー・ベイブ「DOWN TOWN」

5月
10日 - 岡田奈々「ひとりごと」

7月
15日 - 南こうせつ『かえり道』…ソロデビュー

8月
5日 - ジョニー大倉「いつになったら」…ソロデビュー

9月
21日 - 矢沢永吉「アイ・ラヴ・ユー、OK」…ソロデビュー
25日 - 中島みゆき「アザミ嬢のララバイ」

10月
1日 - 山崎ハコ『飛・び・ま・す』
不明 - 憂歌団「おそうじオバチャン」

11月
1日 - 内藤やす子「弟よ」/森田童子「さよならぼくのともだち」


昭和50年はけっこう大物が生まれている年ですね。

その時代に生まれた音楽を、
次の世代がカッコいいと感じてリバイバルされるのは、
なんだかいい流れだなと思います。

アーティスト冥利に尽きるでしょうね。



1975 [Import]
The 1975 | 形式: CD





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