Archives[ 2013年07月 ] - つくる!宮城県議会議員渡辺勝幸のブログ【仙台市若林区】
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渡辺勝幸について

【現職】
宮城県議会議員【仙台市若林区選出】
 宮城県議会 議会運営委員会 委員。
 宮城県議会 文教警察委員会 委員。
 宮城県議会 スポーツ振興調査特別委員会 副委員長。

自由民主党・県民会議
 医療・福祉議員連盟 事務局次長。
 環境・エネルギー議員連盟 事務局次長。
 芸術文化議員連盟 事務局次長。
 防災議員連盟 事務局次長。
 日越(ベトナム)交流宮城県議会議員連盟 事務局次長。
 観光・情報議員連盟 事務局次長。
 防衛議員連盟 事務局長。

北朝鮮に拉致された日本人を救出し支援する宮城県議の会 事務局長。
宮城県議会国際リニアコライダーの誘致議員連盟 事務局長。
神道政治連盟宮城県本部議員連絡協議会 幹事。
岩手県議会・宮城県議会国際リニアコライダー建設実現議員連盟 理事。

自由民主党宮城県支部連合会
 青年局長。
 県民運動本部 副本部長。
 憲法改正推進本部 事務局長。
 女性活躍推進本部 副本部長。
自由民主党宮城県参議院第一選挙区支部 顧問。
仙石線整備促進期成同盟会 顧問。
全日本不動産政治連盟宮城県本部 顧問。
宮城県理容生活衛生同業組合 仙台若林支部 顧問。
宮城県私立幼稚園PTA連合会 副会長。
宮城県障害者スポーツ協会 理事。
宮城県障害者スポーツ指導者協議会 副会長。
仙台市南地区交通安全協会六郷支部 顧問。
社会福祉法人ウェル千寿会 評議員。
宮城県薬剤師連盟 政策強化委員。
宮城県ドッジボール協会 副会長。
宮城県柔道整復師会 顧問。
東北大学大学院情報科学研究科 非常勤講師(情報技術経営論)。
起業集団「株式会社つくる仙台」 代表取締役。
ミラサポ(中小企業庁委託中小企業支援事業)専門家。
仙台東倫理法人会 監査。

仙台市立沖野中学校父母教師会 会長。
 若林区まちづくり協議会会員。
沖野東学区民体育振興会顧問。
沖野東小おやじの会沖父ちゃん会顧問。
仙台沖野ソフトボールリーグ顧問。

仙台市南地区交通安全協会六郷支部 顧問。
仙台市南地区交通指導隊六郷分隊 隊員。







【経歴】 昭和50年5月10日生まれ。宮城県仙台市若林区出身。43歳。

昭和57年 沖野幼稚園(仙台市若林区)卒園
昭和63年 青森市立筒井小学校卒業
平成3年 仙台市立沖野中学校卒業
平成 6年 宮城県仙台第一高等学校卒業(高46回。二年間応援団長を務める)
平成11年 慶應義塾大学法学部政治学科卒業
     国会議員政策担当秘書資格試験合格

平成12年 参議院議員市川一朗(宮城県選挙区)政策担当秘書
平成13年 慶應義塾大学大学院法学研究科政治学専攻修士課程修了
平成19年 参議院自民党秘書会幹事(平成22年まで)
平成22年 参議院議員市川一朗政策担当秘書を退職

平成23年 経済産業省後援 起業支援ドリームゲートアドバイザー(平成24年まで)。
     宮城県議会議員選挙(若林選挙区)に無所属で出馬(5,042票で落選)。

平成25年 公益社団法人仙台青年会議所地域共同開発委員会幹事。
     仙台東倫理法人会幹事(青年委員長)。
     沖野東小おやじの会沖父ちゃん会初代会長。
平成26年 東北大学大学院情報科学研究科講師(情報技術経営論・非常勤、現職)。
     公益社団法人仙台青年会議所会員開発委員会委員。公益社団法人日本青年会議所憲法論議推進委員会委員。公益社団法人日本青年会議所東北地区宮城ブロック協議会LOM協働委員会委員。
     仙台市立沖野東小学校父母教師会(PTA)会長(平成31年まで)。
平成27年 宮城県議会議員に初当選(若林選挙区。自民党公認。10,041票でトップ当選)。
     公益社団法人仙台青年会議所総務委員会副委員長。公益社団法人日本青年会議所日本の未来選択委員会委員。
     宮城県議会 経済商工観光委員会委員。宮城県議会 産業振興対策調査特別委員会委員。
平成28年 宮城県議会 議会改革推進会議委員。
宮城県議会 保健福祉委員会委員。宮城県議会 地域防災調査特別委員会委員。
宮城県議会 政務活動費運用検討会議 検討委員。
平成29年 宮城県議会 総務企画委員会 副委員長。
     宮城県議会 いじめ・不登校等調査特別委員会 委員。


【渡辺勝幸応援団から、平成30年政治活動についての講評】

【渡辺勝幸応援団から、平成29年政治活動についての講評】

【渡辺勝幸応援団から、平成28年政治活動についての講評】

【渡辺勝幸応援団から、平成27年政治活動についての講評】

【渡辺勝幸応援団から、平成26年政治活動についての講評】

【渡辺勝幸応援団から、平成25年政治活動についての講評】

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王道と覇道とのちがいとは?

2013年07月26日 18:00

世の人々のなかには、


「王は天子のことであって、
 覇は諸侯のことである」


と思っている人がいます。


しかし孟子のいうところはちがいました。


領土がわずかの小領主でも王者でありうる。

身分が低い民衆であっても、そのなかに王者と覇者とがあるのです。


たとえばお金持ちの大商人が、
金銀財宝の力を持っていて、

恩を売り込み評判を得ようと、
貧しい人や乞食の世話をするのは、

「覇道」

である。


一方、自分は貧しくても、
そのわずかな食べ物を親戚や古くからの知人に分けてともに飲食する。

あるいは、
父母の面倒を見、妻子を養った余力で、
貧乏の人々を恵み救うということ。

これらは「王道」である。



しかし世の中の道義が衰えてしまったために、
天子・諸侯の上で覇者を求めても全くないという状態で、
わずかに見出されるのみ。

まして、
王道が得難いことはいうまでもありません。


道徳の教えが荒廃した結果、
士農工商、すなわち一般の人々の上において覇者を求めても、
これまたわずかにあるだけで多くはいません。

まして王者が得難いことはいうまでもありません。


悲しいことです。












ということを約150年前に、
政治犯として牢屋の中で、

囚人と看守に対して
熱心に教えた人がいたのでした。

その政治犯は間もなく
斬首刑になってしまいます。


そして時は立ち、
その政治犯の弟子たちが、
明治維新の原動力となり、
日本を変えていったのでした。






この本をときどき繰り返し読んでいます。



孫正義、ビルゲイツ、スティーブジョブズに共通する19という数字

2013年07月25日 18:00

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孫正義。
ビルゲイツ。
スティーブジョブズ。


この三人は、世界に名だたる起業家であると言っていいと思います。

多くの人がこの名前を知っていますし、
どんな会社を起こしたのかも多くの方が知っていることでしょう。


この三人に共通する「19」という数字を知っていますか?


その答えは、この三人ともに、


「19」歳で起業をした


ということです。


19歳で若くして起業したということにまず驚きますが、
そこから彼らは紆余曲折を経ながらも、
起業したその会社はいまだに世界を変えるような会社となっています。


なぜ19歳という若さで起業できたのか?


それぞれ3人とも理由はちがいますが、
共通するのは、


早い段階で志を立てているかどうか


というところにあると思います。


自分でビジネスをやろうと、
人よりも早い段階で志を立てて、
決意を固めていなければ、
19歳で起業することはできません。


準備があってコトを成し遂げることができる。
若くから成功するためには、早い段階で志を立てる、
夢をはっきりと描くことが必要なのだと思います。



最近、つくる仙台には、
20代の若い方々が直接いろいろな相談にいらっしゃいますが、
何をやるべきか見えていない方には、ぜひとも、
まずは志を具体的に立ててみることをおすすめしています。




起業集団つくる仙台



【再録】「安全第一」の標語は、100年前には「安全第三」だった!?

2013年07月24日 18:00

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「安全第一」

という標語があります。


いままわりを見渡してみれば、どこにでもある標語ですが、
100年前この標語は、「安全第三」でした


安全第一 (safety-first)は、
アメリカで誕生した標語です。

1900年代初頭、
アメリカ国内では不景気のあおりを受け、
労働者たちは劣悪な環境の中で危険な業務に従事していました。

その結果、多くの労働災害に見舞われていたのでした。



当時、世界有数の規模を誇っていた製鉄会社、
USスチールの社長であったエルバート・ヘンリー・ゲーリーは
労働者たちの苦しむ姿に心を痛めていました。

熱心なキリスト教徒でもあった彼は
人道的見地から、当時の


「生産第一、品質第二、安全第三」


という会社の経営方針を抜本的に変革し、


「安全第一、品質第二、生産第三」


としたのでした。


この方針が実行されると、
不思議なことに労働災害はたちまち減少しました。

品質・生産も上向いた景気の波に乗り、
この安全第一という標語はアメリカ全土に、
そして世界中に広まったのでした。


「安全第一」


は、アメリカ発の生産管理の方法で、


「働く人が無事なら品質は二の次」などという意味ではなく、


「労働者の安全を優先すれば士気が上がり、結果的に品質も向上する」


という発想から100年前に生まれた標語なのでした。




100年前には「安全第三」が世の中の当たり前、
スタンダードな考えだったわけです。

USスチールのゲーリーは、
おそらく当時、たたかれたことでしょう。

安全を守っても生産が増えなければ会社がつぶれるだろう!

とか、

安全第一の理想はいいけれど、品質が落ちるだろうね。

とか、

きっといろんなことを言われたことと思います。


それでもゲーリーは、
安全第一をスローガンに掲げたのです。


これはおそらく、
まずは信頼関係の構築が大事だ
ということなのではないかと思います。

会社が「生産第一」という方針であれば、
安全は後回しでも生産をしなければと追い立てられますが、

会社が「安全第一」という方針であれば、
ああ俺たちは会社に大事にされているんだなと
そこに信頼関係が生まれることでしょう。

そこで士気が上がります。


もちろんそうした方針があって、
実際に安全が第一の工程が実行されていなければなりませんが。

この標語が広まったということは、
安全が第一の工程を実行したことで、
生産が結果として本当に上がったからこそ、
多くの人々に広まり、受け入れられたのだろうと思います。



信頼関係の構築と実行がよい結果をつくる、
非常に興味深い100年前の事例だと思いました。








(第657号 平成24年7月2日(月)発行)

【再録】続く苦難を相談相手がいたことで助けられる─梁瀬次郎(ヤナセ社長)その6─昭和時代の私の履歴書

2013年07月23日 18:00

昭和の偉人たちが何を考え、失敗にどう対処し、
それをいかに乗り越え、どんな成功を収めたのか、

日本経済新聞に掲載されている、
自伝コラム「私の履歴書」から
探ってみたいと思います。



私の履歴書─昭和の経営者群像〈8〉



梁瀬次郎のお話の続きです。


戦後紆余曲折を経て梁瀬は英文タイプライターの輸入をはじめました。
このビジネスが大当たりし、
本業よりも稼ぎ、梁瀬は得意の絶頂にいました。

しかしそれもつかの間、
大きな落とし穴が待ち受けていたのでした。


[ 続きを読む ]

国も会社も人も勝ち続けるのがむずかしいのはなぜか

2013年07月22日 18:00

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歴史を振り返ってみると、

どんなに強い国も、
売り上げナンバー1の会社も、
超人気のアイドルも、

勝ち続けることは非常に難しいということがわかります。



しかしその勝ち続ける期間には、差があります。

長期政権を築くこともあれば、
三日天下というものもあります。

現在強い者は弱い者を永遠に打ち負かし続けることができそうなものですが、
歴史はそうはなっていません。


なぜ勝ち続けることが難しいのか?

それは、


強者はなぜか必ずおごり高ぶりだらしなくなり、
弱者ほど努力をしなくなってしまうからです。




がんばらなくても生きていけるので、
創意工夫、努力をする力が低下してしまうわけです。


がんばらないでも給料を毎月必ずもらえる会社ならば、
社員はがんばらなくなってしまい、
会社の力が弱くなり、
強かった会社も次第に弱くなっていきます。



ということは逆に言えば、
いま自分は弱いなと思っていたり、
弱い会社に勤めていたとしても、

あきらめないで創意工夫、努力をすれば、
必ず強い会社に勝つ日が訪れます。


現在、わが国日本は世界に冠たる経済大国ではありますが、
勝ち続けることはできないという前提のもと、

おごり高ぶらず、
創意工夫、努力、
常に戦う強い気持ちを持ち続けなければならないと思っています。



祗園精舎の鐘の声、
諸行無常の響きあり。
娑羅双樹の花の色、
盛者必衰の理をあらはす。
おごれる人も久しからず、
唯春の夜の夢のごとし。
たけき者も遂にはほろびぬ、
偏に風の前の塵に同じ。

(『平家物語』)








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