2011/08/31
市村清(理研光学社長)─昭和時代の私の履歴書
昭和の偉人たちが何を考え、失敗にどう対処し、それをいかに乗り越え、どんな成功を収めたのか、
日本経済新聞に掲載されている、
自伝コラム「私の履歴書」から
探ってみたいと思います。
私の履歴書─昭和の経営者群像〈6〉
市村 清(いちむら きよし、1900年4月4日 - 1968年12月16日)は、日本の実業家。
リコーを中心とする「リコー三愛グループ」の創始者。
昭和初期から43年の日本を代表する経営者の一人。
「人の行く裏に道あり花の山」を座右の銘とし、
常識の裏をかくアイディア社長として一世を風靡した。
現在も銀座4丁目交差点に建つ、
円柱・総ガラス張りの個性的な「三愛ドリームセンター」(1963年完成)も、
元々は市村の「お客を動かさず、建物を回して商品の方を動かしてはどうか」との発想に基づくものである。
産業界・学界で功労者を顕彰する市村賞にその名を遺す。
明治33年佐賀県生れ。
昭和4年理研感光紙代理店を経て
11年理研感光紙の代表取締役。
20年三愛創立、明治記念館、日本リースなど創立。
40年不振のリコーを再建。
43年新技術開発財団設立。
43年12月16日死去。
私の履歴書は昭和37年2月に連載している。