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性善、人の本性は善である

この篇は、
「性善」人の本性は善であるという問題について、
詳しく論ぜられています。

孟子の日ごろの議論は、
すべてこの性善という主張の上に立っています。

宋の程子は、

「性善論は、孟子以前の聖人がまだ発していないものである」

といっていますが、
しかし「性善」ということばは孟子に始まるものの、
その精神は、それ以前の聖人が、すでにこれを説いています。

『易経』の繋辞伝に

「一陰一陽をこれ道と謂ふ。
 これを継ぐものは善なり。
 これを成すものは性なり」、

陽が陰となり陰が陽となって、
間断することなく流行する宇宙の道理が道であり、

人がその道理をそのままに受け継いだものが善であり、
その善を成就具現したものが性、
すなわち人の本質である、とあり、

『詩経』の蒸民の詩に

「民の彜を秉る、是の懿徳を好む」、

人は天から与えられた彜、
すなわち不易の常性を執り持っているので、
美徳を好まぬものはない、とあり、

『書経』の康誥篇に

「天惟れ我に与ふる民の彜」、
天がわれわれ人に与えた不易の道、とあり、

『論語』に、「人の生くるや直」、
人が生きてゆけるのは、
その本性が直のものであり、
それに従って進むからである、

「性相近し」、人の生れつきは、だれもみな似たものである、
とある類は、みな、性善を語ったもので、

そうであるから前代の聖人が、
すでにこの精神を説いているのです。





ということを約150年前の日本において、
政治犯として牢屋の中にありながら、

囚人と看守に対して
熱心に教えた人がいたのでした。

その政治犯は間もなく
斬首刑になってしまいます。


そして時は立ち、
その政治犯の弟子たちが、

明治維新の原動力となり

日本を変えていったのでした。





⇒ この本をときどき繰り返し読んでいます。






『講孟箚記』の執筆と講義を継続する吉田松陰

安政三年三月、春の着物ができ上がりましたが、
川辺にみそぎしようとする心をも絶ち、
新緑の林には花が盛りでありますが、

野辺のそぞろ歩きをも忘れ、
戸を閉じて書を読みつつ、
ひとり昼が長くなったことを喜び、
客を断って生活を簡素にし、
世間のわずらわしさからのがれていることを幸いと思う。

慎みの身をこのようにすごしていたところ、
今月二十一日の夕、
父兄親戚の人々が会合して、
わたくしに『孟子』の講義を再開することを勧められ、
同時に『箚記』の筆をも続けることとなり、
その執筆の年月日を記して、
これを千万年の後までも、長く伝えることとなりました。

二十一回猛士、みずから以上の経緯を記すものであります。





ということを約150年前の日本において、
政治犯として牢屋の中にありながら、

囚人と看守に対して
熱心に教えた人がいたのでした。

その政治犯は間もなく
斬首刑になってしまいます。


そして時は立ち、
その政治犯の弟子たちが、

明治維新の原動力となり

日本を変えていったのでした。






この本をときどき繰り返し読んでいます。





臣下に一点の私心もなければ王を追放してかまわない

朱子の註に、

「三仁、すなわち箕子・微子・比干は貴戚でありながら
 紂王に対してこれを行うことができませんでしたが、
 漢の霍光は異なる姓でありながら、
 これを昌邑王に対して行いました。
 しかしこれは、貴戚・異姓の問題でなく、
 両者の委任された職責と、それにともなう権力とに大小の差があった結果であって、
 一つの立場のみに立って論ずべきことではありません」

とあります。

この説は非常によい。


殷の伊尹が異姓の大臣でありながら王の太甲を追放し、
劉向が漢の一族でありながら権臣の横暴さえ抑えることができなかったのも、
みな、委任と権力とがちがっていたからであります。

また宋の孝宗が崩じた時、
その子の光宗は病のために喪に服することができず、

結局、宋の同族の臣である趙汝愚が光宗の子である
嘉王を立てて天子の位に即けたのですが、

これは、天子の一族の臣であって、
同族内の問題を処理したものであります。


以上から考えて、
貴戚であるか異姓であるかの区別なく、

大臣たるものは国家を憂うること、
右のごとくでなければなりません。


そして、君をかえることと位を去ることとは、
みな権に属することであって、
大臣たるものの常経からいえば、
君の非を諫めて容れられぬ時は、
死して諫める道があるのみであります。


しかしながら、易と去と死、
別の君を立てると、その位を去ると、死して諫めるとの
三様の臣があるならば、
その国がいかに衰えたとしても、なお恃みとするところがあります

しかるに遺憾に堪えぬことは、
世の暗君庸主が、このような臣こそ恃みとすべきであることがわからずに、
これを忌み避けることばかり知っていることであります。

明主の態度はこれと違い、
このような臣を育てて後世にのこし、
永く国家守護の柱とするのです。


「孟子の本章の論に対して、
 これは君の位を奪い、あるいはこれを弑することの端緒を開く恐れがあって、
 聖人賢者のことばでない、削り去るがよろしい、
 という先輩がありますが、どうでありますか。
 また君がどのような場合に、臣下がどのようでありますなら、
 別の君を立ててもよいのでありますか。」

と、わたくしにたずねるものがありました。

以下は、それに対する、
わたくしの考えです。


孟子のことばのうちに、

「伊尹の志あれば可なり」

とあります。

この一語のうちにすべてが尽くされています。

伊尹の志は、国家を憂え民衆を憂うるのみであって、
一点の私心もありませんでした。

この志に誤りなきことをみずから確信し、
天地宗廟に対し少しも懼れるところがなく、
天下後世に対し少しも愧じるところがなく、

また天地宗廟も天下後世も、
すべてが伊尹に私心がないことを信じて、
その志を非難するものがありませんでした。


これが伊尹の志であったのでした。

霍光や趙汝愚においても、
彼らが君を廃立しようとする際に当って、
一点の私心もありませんでした。

そうであるからその行動も、
みずから信ずることをなし、
人もそれを信じたものであって、
これもまた伊尹の志に外なりませんでした。


これに反して、曹操や司馬懿は、
智謀と術策とをふるって当時の世を思いどおりにあやつったとはいえ、
天下後世、彼の心を信ずるものはないのであります。

そうであるから彼らを奸雄と呼んで、
永く乱臣賊子の見本としているのです。

まことに謹むべきことであります。


しかしながら、曹操・司馬懿のごとき臣下があるということは、
君主自身の罪であり、君主にとって最大の恥であります。

まして、君にその非を言上する際の態度は、
君に戒懼の心を起さしめることを肝要とします。


そうであるから、この章を削り去ることを必要としないのです。





ということを約150年前の日本において、
政治犯として牢屋の中にありながら、

囚人と看守に対して
熱心に教えた人がいたのでした。

その政治犯は間もなく
斬首刑になってしまいます。


そして時は立ち、
その政治犯の弟子たちが、

明治維新の原動力となり

日本を変えていったのでした。






⇒ この本をときどき繰り返し読んでいます。




昔の人を友とせよ

この章は、ひろく「友道」、
友人の道について論じたものですが、

その結論は「尚友」、
古人を友とするということにあります。


本文にいう「一郷の善士は」云云、
一村における優れた人物は、その村内の優れた人物を友とし、
一国における優れた人物は、その国内の優れた人物を友とし、
天下における優れた人物は、天下の優れた人物を友とします

とは、
その人物の才能・徳望の高下によって、
交わるところの友人の範囲にも広狭の差があることの
大体を特にいっただけであって、

村における優れた人物は絶対に国における優れた人物を友とするな
国における優れた人物は絶対に天下における優れた人物を友とするな、

というのではありません。


そもそも「その詩を頌し、その書を読みて、その世を論ず」、

天下の優れた人物を友としてなお足らず、
遡って、古人の詩を唄い、古人の書を読み、
さらに古人の活躍した時代までも論究することこそ、
孟子の学則なのです。


孟子のいう「詩」とは、
『詩経』以下歴代の歌詞のことであります。

「書」とは、
『書経』以下歴代の論議・弁説のことであって、
かの「右史はことばっを記録する」というものがこれに当たり、

『国語』『戦国策』『説苑』等の書物がこれに属します。

「世を論ずる」とは、当時の記録を読んで、
古人の行跡を考究することであって、

かの「左史は行いを記録する」というものがこれに当たり、
『左伝』等の書物がこれに属します。

『史記』『漢書』以下のいわゆる史書は、
左史の職責である行いの記録と、
右史の職責であることばの記録とがまざって
一つになったものであるといわれています。

古書は以上の三体、すなわち
「ことばを記したもの」
「行いを記したもの」
「その両方を合せて一つになっているもの」
の三者に分類することができます。


以上のうちにおいて、
まず読むべきものは「詩」「書」であり、
それによって、古人の目標や議論の大体がわかるのであります。

しかしながら、人の目標とか議論というものは、
それが生まれた時代と土地について考察しなければ
真の意味は理解しがたいもので、
すべてを一様に見るべきではありません。

それ故に、その世を論ずるのです。

『孟子』のうちに
「禹・稷・顔淵、及び曾子・子思は、立場をかえたならばみな同じことをしたであろう」

といい、

「前代の聖人も後代の聖人も、その考えるところは同一である」

といっている類のことばによって、
これを知ることができます。


さらに、
ことばが優れていて、
行いがそれに及ばないものもありますし、

行いが優れていて、
ことばがそれに及ばないものもありますから、

かれこれ対照比較することによって、
大いに益を得ることです。

以上によって、
だいたい、孟子の学則を知ることができるのです。

「詩」を唄い「書」を読むことは、
かりにいうならば、今の経学がこれに当たり、

「世を論ずる」ことは、
かりにいうならば、今の史学がこれに当たります。

それ故に、孟子の学問は、経学と史学を兼ねたものであります。






ということを約150年前の日本において、
政治犯として牢屋の中にありながら、

囚人と看守に対して
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この本をときどき繰り返し読んでいます。


わが身が修まってはじめてわが国が治まる

この章の本旨は、かりに

「賢を悦ぶ」
「賢を養ふ」
「賢を尊ぶ」

という三つの問題を三つの段階として読むならば、
おのずから明白となります。


「賢を悦ぶ」ということは、
賢者の高い徳やりっぱな行いを悦ぶだけのことであり、

「賢を養ふ」とは、
米肉を絶やさずに贈ることにすぎません。

「賢を尊ぶ」ということになると、
その賢者の高い徳やりっぱな行いを悦び、
さらに米肉を絶やさずに贈る上に、

ともに天位を共にし、
天職を治め、天禄を食むものであります。


しかるに、今の世の君主たるものに、
これを行っている人物は実に少ない。

しかしながらこのことは、
われわれ自身、みずから反省する時、
いかに困難であるかを理解することができます。



今、わたくしは読書が好きですので、
読書によって右の問題を考えてみましょう。

書物は、聖人賢者の言行を書き記しているものですから、
好んで読書するということは、
「賢を悦ぶ」ことと同様といえます。


しかしながら、学者の共通の欠点として、

書物は書物であり、
自分は自分である、

自分は書物と関係なく、
書物は自分と関係ない、

といって、聖人賢者のことばを我がことばとし、
聖人賢者の行いを我が行いとすることができない、


これは、『孟子』に見える、
魯の穆公が賢を悦ぶのみで、
賢を養うこともできず、
賢を尊ぶこともできなかったのと
同類の話といわなければなりません。


そうであるから学者に、
聖人賢者のことばを我がことばとし、
行いを我が行いとするものが少ないことによって、
君主の、賢を養い賢を尊ぶことがむつかしいものであることを、理解すべきであります。


それ故に、主君に、賢を養い賢を尊ぶことを諫めようと思うならば

まず自分自身が、聖人賢者の言行を
みずからの言行としなければなりません。


わが身が修まってはじめてわが国が治まるといい、
立派な人だけが君主の心の非を正すことができるというものは、
みなこの意味なのです。






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