2019/04/26
性善、人の本性は善である
この篇は、「性善」人の本性は善であるという問題について、
詳しく論ぜられています。
孟子の日ごろの議論は、
すべてこの性善という主張の上に立っています。
宋の程子は、
「性善論は、孟子以前の聖人がまだ発していないものである」
といっていますが、
しかし「性善」ということばは孟子に始まるものの、
その精神は、それ以前の聖人が、すでにこれを説いています。
『易経』の繋辞伝に
「一陰一陽をこれ道と謂ふ。
これを継ぐものは善なり。
これを成すものは性なり」、
陽が陰となり陰が陽となって、
間断することなく流行する宇宙の道理が道であり、
人がその道理をそのままに受け継いだものが善であり、
その善を成就具現したものが性、
すなわち人の本質である、とあり、
『詩経』の蒸民の詩に
「民の彜を秉る、是の懿徳を好む」、
人は天から与えられた彜、
すなわち不易の常性を執り持っているので、
美徳を好まぬものはない、とあり、
『書経』の康誥篇に
「天惟れ我に与ふる民の彜」、
天がわれわれ人に与えた不易の道、とあり、
『論語』に、「人の生くるや直」、
人が生きてゆけるのは、
その本性が直のものであり、
それに従って進むからである、
「性相近し」、人の生れつきは、だれもみな似たものである、
とある類は、みな、性善を語ったもので、
そうであるから前代の聖人が、
すでにこの精神を説いているのです。
ということを約150年前の日本において、
政治犯として牢屋の中にありながら、
囚人と看守に対して
熱心に教えた人がいたのでした。
その政治犯は間もなく
斬首刑になってしまいます。
そして時は立ち、
その政治犯の弟子たちが、
明治維新の原動力となり
日本を変えていったのでした。
⇒ この本をときどき繰り返し読んでいます。