私の今年の政治活動は、
振り返るとさまざまなことがありましたが、
大阪へ行き、維新政治塾に通うことで多くを学んだなと感じます。
日本の政治がこのままではいけない、
なんとかしなければならないという強い思いをもってこの一年取り組んでまいりました。
同時に、東日本大震災で大変な被害を被った東北の復興、
これを原点に取り組むという決意は揺るがない思いでいました。
そして私を支えてくださる多くの方から、
渡辺は国政をめざすべきだ、
いままでの経験を生かして衆院選への出馬をという有難い声をいただきました。
同時に、今回の維新の候補者選考について、
維新に対する厳しいご意見や怒りの声もたくさんいただきました。
維新とはいったいなんだったのか。
この声は私自身もこの戦いが終わった後に
ゆっくりと考えたいテーマです。
「渡辺の選挙をしたい」とたくさんの方に言っていただけたことは、
私にとって誇りであり、この一年やってきた甲斐があったとうれしく思いました。
そして日本維新の会から少なからぬ評価を頂けたということも、
私にとってうれしいことでした。
しかしまだまだ政治家の候補者になる段階でもないというタマゴの状況、
現状ではまだまだだということなのだと思います。
私自身はいろいろと悩みましたが、
落下傘候補として日本のどこかで立候補して国政をめざすということは、
現在の私にはできませんでした。
子供のころから思い出深いこの仙台で、
そしてこの仙台を中心とした東北が、
震災以降非常に困難なときを迎えている。
いまから仙台を離れることは私の選択肢にはありません。
もちろん、落下傘候補のシステム自体を否定するわけではありません。
「地縁、血縁など地元のつながりに縛られると大きな判断ができない」
という橋下さんの意見は、もっともであると思います。
そういう意味では、私も考え方が古いのかもしれませんが、
いまの私には自分が政治家になることよりも、
仙台で、このまちで、
よりよい日本を、よりよい仙台をつくる活動を、
これからも続けていきたいと思っています。
私は、維新八策の考え方、
つまり日本の政治が改革をしていかなければならない、
このことについては、強く賛同しています。
8か月間、ともに維新政治塾で学んだみなさんとともに、
これからも新しい政治をつくる、
その思いは3,326人の維新塾にかかわったみなさんとともにあり続けたい、
そんな思いでいます。
そして今回の衆議院選挙にあたり、
私を応援してくださるいろんな方の声を聞いたうえで、
私は以下のように活動しようと思っています。
日本維新の会 衆議院千葉第一選挙区支部長(千葉市中央区稲毛区美浜区)
田沼隆志さんの応援をします。
田沼さんと私は、同い年、
大学生のころからの友人であり、
ともに学生ながら政治について酒を酌み交わしながら
夜明けまで熱く議論した仲でもあります。
その後、彼はアクセンチュアという世界的なコンサルティング会社で活躍し、
私は国会議員の政策秘書となりました。
お互いに忙しい日々で、たまに動静を知るぐらいでしたが、
30歳になったころでしょうか、
平成19年の千葉県議選(稲毛区)に田沼さんは無所属で出馬します。
定数2の選挙区、自民と民主の指定席に果敢に挑戦しますが、
残念ながら敗退します。
その後二年半、田沼さんは浪人生活を送りました。
しかし彼は政治活動を継続し、
持ち前の粘り強さと真摯な姿勢、明るさをもって前へ進んだのでした。
いま思うと、あの時の彼は大変だったことと思います。
そして平成21年の秋のある日、
突如として千葉市に汚職事件が起き、
当時の千葉市議会議長が逮捕されました。
すぐに稲毛区で千葉市議補選となります。
その時、電話で話した時の田沼さんの声が忘れられません。
長い浪人生活で力をつけ、
思っていたよりも早く力を発揮するときが来た。
そんな勢いと彼の気迫を感じました。
この補選で田沼さんはトップ当選を果たし、
平成23年の統一地方選でもトップ当選を果たしました。
いまでは地元で多くの方々から、
強く期待されている若き政治家です。
昨年の私が出馬した宮城県議選では、
真っ先に応援してくれ、
落選直後には、
「今日から街頭に立つんだ!」
と激励してくれました。
彼の経験から出た言葉だったのだろうといまでは思いますが、
あの言葉がなかったら、私はこの一年街頭に立つことができたかどうかわかりません。
また彼は、
林英臣政経塾でともに学ぶ同志でもあり、
大阪では維新政治塾でともに学んだ同志でもあります。
千葉JCメンバーでもあり、
稲毛区倫理法人会顧問でもあります。
土地はちがいますが、
なぜか相通ずるものを感じるのは長年の時がそうさせたのか、
相通ずる価値観を持っていたからなのか。
いずれにしても、
私自身はまだまだ政治家になるには力不足、
しかしわずかながらもいま持っている力を、
同志の成功のために使うべき。
そう考えると、
田沼さんの応援に行かなければと思い至りました。
わが国の政治がいかにあるべきか、
若者も高齢者も男性も女性も、
真剣に考え、投票行動をしていかなければならないと思います。
自分が投票しなかったぐらいで、
世の中に大きな影響はないよと思われる方もいるかもしれませんが、
そんなことはありません。
政治家の側も投票率を上げる努力をしなければなりませんが、
私たち有権者も、よりよい日本の政治をつくるために、
そして100年後の日本人に笑われないためにも、
この一票を大事にしていきたい、
そう思っています。
これからもよりよい日本のため、よりよい仙台のために、
がんばっていきたいと思っております。
引きつづき、渡辺勝幸へのご支援をどうぞよろしくお願いいたします。
田沼たかしのサイトより引用します。
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【引用ここから】
「日本維新の会 衆議院千葉第一選挙区支部長」就任のご報告
私、田沼隆志は、平成24年11月21日、「日本維新の会」に入党し、「日本維新の会 衆議院千葉第一選挙区支部長」に就任、国の大改革に挑戦することになりました。
鹿児島県知覧にて、特攻隊の青年達の実物の遺書に、魂を打ち抜かれ、日本のために我が身を捧げようと決意したのが30歳。
まじめで、優しい、人が信じあう日本の心を取り戻したい。若者に、誇りある日本の歴史を知ってもらい、世のため人のために尽くせる日本人を育てたい。教育再生。自立した、強く温かい日本を作りたい。ゼロから思い切って会社を辞め、この世界に入りました。
落選、浪人、予期せぬ補選、連続のトップ当選と、6年余りの紆余曲折の中で、私なりに一生懸命、日本のために、千葉市からできることをやってきました。
当選以来毎回のフルパワーでの議会質問。駅立ち750回以上。年間数十万部の「田沼新聞」発行。ブログやtwitter、Facebookでの発信を毎日。継続。約束を守る。無所属の立場で、しがらみを作らずに。
志一本でしたが、多くの方に育てて頂き、ここまで来ることができました。感謝でいっぱいです。
しかし市議会では限界があります。いじめや学級崩壊を防ぐ現場作りもできない。日本を好きになれる歴史教科書、規範意識を育む公民教科書採択を求めても、まともな議論はゼロ…。教育委員会の無責任体質を、私はもう見過ごせません…! 法律、体制を変えなくてはならない。国政での議論前進が不可欠です。
この改革は既成政党にはできません。できるならもうやっている。もう私は信じられません。戦後ずっと続いた問題なのです。
日本維新の会は「教育委員会制度の廃止」まで踏み込みました。これは戦後の失敗を正面から総括する提案。感銘しました。教育に限りません。日本はもう、これくらい大胆な改革が、不可欠です。日本国全体が沈没寸前なのです。巨額の借金、払っても返ってこない年金、生活保護3兆円、少子超高齢化、生産人口減少、経済成長は20年ゼロ、硬直した行政や統治機構… なにより、自分さえよければよいという“依存精神”が蔓延してしまっています。これでは未来は描けません。
この閉塞した体制を打破するには、新しい政治集団、第三極による政治の変革が、不可欠です。自立、責任、競争を理念とする政治集団が、力をもち、日本のあらゆるところに広がっている“依存精神”を正していく必要があります。中央依存の統治機構を分権改革し、他国依存の安全保障も自立を目指す。国民も、行政依存から自助自立へと転換できるよう、政治が導かなければなりません。
官僚依存や組合・業界依存の既成政党では、大胆な提案も、実行もできない。維新の会は、嫌われることを覚悟で、これまでの常識を打ち破る大胆な提案をしています。そこに私は、日本を思う真剣さを感じ、放っておけなくなるのです。政権交代では未来は開けない、犠牲になる覚悟、本気さが、未来を開くのです。私は立志以来6年余り、一貫して、無所属でやってきましたが、その真剣さに心打たれ、維新の会に合流することを決めました。
私は日本が好きです。多くの先人の犠牲の積もったこの国を、恥かしくない国にしたい。私の子供は0歳9カ月です。可愛くて仕方ないです。この子が育ったとき、この国が力を失っていたら、親として合わせる顔がない。日本がこのまま沈没していくのを、私は見過ごすことができません。まだ日本に力のあるうちに、思い切った改革をしなければなりません。日本再生、それは未来への責任。子供が笑う国を、なんとしても作りたいのです。
真実を知ってしまった以上、行動しないわけにはいかない。ゆえに維新の挑戦を、ぜひ我が身をもって、応援したいと思います。一世一代の大勝負。ご理解と、ご支援を、よろしくお願い致します。
平成24年11月21日
田沼隆志
【引用ここまで】
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