Category[ 渡辺勝幸の活動報告 ] - つくる!宮城県議会議員渡辺勝幸のブログ【仙台市若林区】
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渡辺勝幸について

【現職】
宮城県議会議員【仙台市若林区選出】
 宮城県議会 環境福祉委員会 委員長。
 宮城県議会 不登校・ひきこもり対策調査特別委員会委員。
 宮城県議会 政務活動費運用検討会議座長。

自由民主党・県民会議
 事務局長。
 環境・エネルギー議員連盟 事務局長。
 芸術文化議員連盟 副幹事長。
 防衛議員連盟 幹事長。
 防災議員連盟 事務局長。
 日越交流宮城県議会議員連盟 幹事長代理。
 みやぎの印刷産業振興を考える議員連盟 事務局長。
 宮城オルレ・トレイル推進議員連盟 事務局長。
 宮城県議会行政書士議員連盟 事務局長。
日韓親善宮城県議会議員連盟 事務局次長。
宮城県スポーツ議員連盟 幹事。
  宮城県議会国際リニアコライダーの誘致議員連盟 副幹事長。
宮城県議会全国和牛能力共進会宮城大会を支援する議員連盟 幹事長。
北朝鮮に拉致された日本人を救出し支援する宮城県議の会 事務局長。
神道政治連盟宮城県本部議員連絡協議会 幹事。
岩手県議会・宮城県議会国際リニアコライダー建設実現議員連盟 理事。

自由民主党青年局 中央常任委員(東北ブロック)。
自由民主党宮城県支部連合会
 青年局長。
 県民運動本部 副本部長。
 憲法改正推進本部 事務局長。
 女性活躍推進本部 副本部長。

仙石線整備促進期成同盟会 顧問。
全日本不動産政治連盟宮城県本部 顧問。
宮城県理容生活衛生同業組合 仙台若林支部 顧問。
宮城県私立幼稚園PTA連合会 副会長。
宮城県薬剤師連盟 政策強化委員。
宮城県ドッジボール協会 副会長。
宮城県柔道整復師会 顧問。

宮城県障害者スポーツ協会 常任理事。
宮城県障害者スポーツ指導者協議会 会長。
みやぎパラボウリング協会 会長。
仙台市南地区交通安全協会六郷支部 顧問。
社会福祉法人ウェル千寿会 評議員。

東北大学大学院情報科学研究科 非常勤講師(情報技術経営論)。
起業集団「株式会社つくる仙台」 代表取締役。
ミラサポ(中小企業庁委託中小企業支援事業)専門家。
仙台東倫理法人会 監査。

仙台市立沖野中学校父母教師会 会長。
 若林区PTA連合会理事。
 若林区まちづくり協議会会員。
 沖野中学校区青少年健全育成連絡協議会会長。沖野中学校区災害対策委員会委員。
 仙台市地域ぐるみ生活指導連絡協議会幹事。
沖野東学区民体育振興会顧問。
沖野東小おやじの会沖父ちゃん会顧問。
仙台沖野ソフトボールリーグ顧問。

仙台市南地区交通指導隊六郷分隊 隊員。







【経歴】 昭和50年5月10日生まれ。宮城県仙台市若林区出身。44歳。

昭和57年 沖野幼稚園(仙台市若林区)卒園
昭和63年 青森市立筒井小学校卒業
平成3年 仙台市立沖野中学校卒業
平成 6年 宮城県仙台第一高等学校卒業(高46回。二年間応援団長を務める)
平成11年 慶應義塾大学法学部政治学科卒業
     国会議員政策担当秘書資格試験合格

平成12年 参議院議員市川一朗(宮城県選挙区)政策担当秘書
平成13年 慶應義塾大学大学院法学研究科政治学専攻修士課程修了
平成19年 参議院自民党秘書会幹事(平成22年まで)
平成22年 参議院議員市川一朗政策担当秘書を退職

平成23年 経済産業省後援 起業支援ドリームゲートアドバイザー(平成24年まで)。
     宮城県議会議員選挙(若林選挙区)に無所属で出馬(5,042票で落選)。

平成25年 公益社団法人仙台青年会議所地域共同開発委員会幹事。
     仙台東倫理法人会幹事(青年委員長)。
     沖野東小おやじの会沖父ちゃん会初代会長。
平成26年 東北大学大学院情報科学研究科講師(情報技術経営論・非常勤、現職)。
     公益社団法人仙台青年会議所会員開発委員会委員。公益社団法人日本青年会議所憲法論議推進委員会委員。公益社団法人日本青年会議所東北地区宮城ブロック協議会LOM協働委員会委員。
     仙台市立沖野東小学校父母教師会(PTA)会長(平成31年まで)。
平成27年 宮城県議会議員に初当選(若林選挙区。自民党公認。10,041票でトップ当選)。
     公益社団法人仙台青年会議所総務委員会副委員長。公益社団法人日本青年会議所日本の未来選択委員会委員。
     宮城県議会 経済商工観光委員会委員。宮城県議会 産業振興対策調査特別委員会委員。
平成28年 宮城県議会 議会改革推進会議委員。
宮城県議会 保健福祉委員会委員。宮城県議会 地域防災調査特別委員会委員。
宮城県議会 政務活動費運用検討会議 検討委員。
平成29年 宮城県議会 総務企画委員会 副委員長。
     宮城県議会 いじめ・不登校等調査特別委員会 委員。
平成30年 宮城県議会 スポーツ振興調査特別委員会 副委員長。
     宮城県議会 議会運営委員会 委員。宮城県議会 文教警察委員会 委員。
     宮城県議会 政務活動費運用検討会議 検討委員。
令和元年 宮城県議会議員に再選(若林選挙区。自民党公認。10,273票でトップ当選)。

【渡辺勝幸応援団から、平成30年政治活動についての講評】

【渡辺勝幸応援団から、平成29年政治活動についての講評】

【渡辺勝幸応援団から、平成28年政治活動についての講評】

【渡辺勝幸応援団から、平成27年政治活動についての講評】

【渡辺勝幸応援団から、平成26年政治活動についての講評】

【渡辺勝幸応援団から、平成25年政治活動についての講評】

【渡辺勝幸の東北大学での講義内容についてはこちらをクリック】

【渡辺勝幸メディア紹介履歴】

第371回宮城県議会(令和2年2月定例会)が閉会となりましたー「野党四会派による住民投票条例案の提案」について

2020年03月18日 23:59

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3月17日、
第371回宮城県議会(令和2年2月定例会)が閉会となりました

2月議会は新年度からの予算の審議ということで、
予算議会ともいわれ、重要な議会でもあります。

さらにこの議会では、宿泊税の導入議案が提案され、
議論の末、減免条例の提案、そして新型コロナウイルス対策もあり
結果として宿泊税条例を村井知事が撤回するという異例の事態になりましたし、

またこの新型コロナウイルス対策の補正予算が異例の日程で、
追加議案として提出されるなど、大変あわただしく厳しい議会でもありました。

さらには、県美術館の移転集約問題や、
臨時職員の報道(誤報)、
改正健康増進法施行を前に喫煙室の廃止問題など、
次から次へと課題が出てきたこともあり、

会派の事務局長としてこの議会は裏方での活動が多く、
早朝から晩まであわただしい一か月でした。

この議会では質問に立つこともありませんでしたし、
委員長として委員会運営をしていましたので、
表立って議会活動をすることができなかったのが残念でしたが、
引き続き今後も与えられた役割を確実に果たしていきたいと思います。



様々な議論のテーマがあった県議会でしたので、
新聞やテレビで取り上げられることが多かったのですが、
私がこの県議会2月定例会で最も大きな出来事であると感じているのが、


「野党四会派による住民投票条例案の提案」


でした。

女川原発の再稼働の是非をめぐり、
みやぎ県民の声(民主系会派)、共産党県議団、
社民党県議団、無所属の会の四会派が、

「議員提案条例」としてこの議会に提出したものです。


なぜ私がこの議会の最も大きな出来事であると感じているのかというと、
宮城県議会の議会審議のあり方を
根底から変えるきっかけになると考えられるからです。


いままで、
県執行部ではなく議員が提案する条例は、

宮城県議会の慣例として「全会一致」、
つまり全会派が納得する形で議案を提出していました。


しかし今回、野党四会派は史上初めて、
四会派のみで議案を提出しました。

例えば、最近私が関わった「宮城県いじめ防止対策推進条例」(平成30年制定)は、
議員提案条例で議会に提出するまで、
特別委員会を設置しテーマについては2年かけて議論、
条例をつくるという議論は1年間、
全会派からなる委員会で進めました。

その際は参考人の意見を聞いたり、
執行部側の意見を聞いたりしながら、
条例の案文の字句修正も含め、
全会派の意見をできるだけ取り入れるという形で進めてきたところです。

条例の中には制定まで時間をかけないものもあり、
数か月で出来上がった条例もありましたが、
それでも全会派の意見を集約し調整してつくりあげてきたものでした。



今回、野党四会派の「住民投票条例」は、
2月13日に条例案の案文が自民党会派に文書として提出され、
翌日14日に議会に提出したいとの意向が示されたため、
わずか1日で!と驚きました。

自民党会派では様々な議論がありましたが、
条例の内容はともかくとして、

いままでできるだけ少数意見も取り入れる努力をして
一つの方向性をつくってきたのに、
なぜ他会派の議員の意見も聞かずに
議員提案条例を出すのか、という意見が多くありました。

私は14日にこの旨を会派として、
野党会派の代表の方にお伝えし、

「少数意見も含め」全会派の意見を集約してから提出するべきであり、
今までの条例制定の経過を考えると、

「一日で提出するというのはあまりにも拙速だ」

と厳しくお伝えしたところです。

結局14日の提出は見送られましたが、
翌週21日にあらためて自民党の会派としての意見を集約し、
野党四会派の会派代表に、

「全会派で議論をせずにすぐに議案を提出するというのは拙速すぎる。
 それぞれの会派の意見を聞いたうえで、結論を出すべきだ」

ということを自民会派政調副会長の横山議員とともに、
お伝えしたところです。


結局、こちら側の条例案についての意見交換をする場もなく、
自民会派の意向を無視する形で、
野党四会派で議員提案条例案の議案提出がなされてしまいました。


個人的な私の思いでいえば、
自民党を無視する形で議員提案条例案を提出したことはともかく、

公明党、21世紀クラブという少数会派に対しては説明すらなく、
もちろん意見交換をすることもなかったことについて納得がいきませんでした。

ふだんは少数意見を尊重しろと言う議員が多い会派の方が、
自分たちが議案を出すときには少数会派を無視するというやり方には、
納得がいきませんでした。

もちろんこのことも野党四会派の代表の方々にはお伝えしたところです。


結果としては、
議員提案条例は提出されたものの、
3月2日の議会運営委員会で、
3日開催の本会議での提案理由説明を省略し、
採決をするということを多数決で決め、
3日本会議でこの議員提案条例は賛成少数で否決されました。


3月3日の『河北新報』朝刊では、

「野党議員21人でつくる『脱原発をめざす県議の会』の佐々木功悦会長は取材に
『提案理由の説明さえできないのは数の暴力でしかない。断じて許されない』と非難した。」

と書かれました。

多数決の決定を「数の暴力」という表現をされていましたが、
自民会派の意見を集約し、
説明するということを何度もしたにもかかわらず、
一方的に議案を提出されたということは新聞の記述からは見えません。

私はことの経過をすべて新聞記者の方には
お伝えしているのですが、これも残念です。



ということで、今回私がこの件で思ったことをまとめてみますと、
以下の通りです。


●今まで条例をつくるときはすべての会派の意見をできるだけ取り入れ、
意見が衝突したときは取り入れられないことがあったとしても、
議論をする場は必ず設けてきた。
この慣例を否定したということに納得いかなかった。

●議員提案条例を原案を出して内容の議論もせず
わずか2週間で議会に提出するという「拙速さ」。

●自民会派と調整しなかったことはともかく、
会派の議員が五人未満の少数会派に今回は説明すらせず
条例案を出したという「少数意見の軽視」。


結果として、この過程は、
地方議会の動きとして重要であるにもかかわらず、
報道の内容は過程が表現されることなく
「数の暴力」という表現で終わってしまっていること。

このことに残念な思いでいながらも、
一方で議会を終えて冷静に考えてみると、


「これも一つの宮城県政の転換点であるともいえるのではないか」


と感じる次第です。


国政においては小選挙区制度が導入されて以来、
党派性が非常に強くなってきており、
同時に国民の意見も時代を経て多様性が強くなってきています。

すべての意見を集約するということは難しいことですし、
「話し合い」は、ある意味では、
旧時代の政治の象徴でもある「談合」と対比されることもあります

「話し合い」ですべての意見を集約するという時代から、
即時性、スピード、決断力が政治にも求められる時代になっている

そう考えると、今までの慣例にとらわれて、
全会一致の努力をするよりは、
ある程度の意見集約をしたのちに、
スピード感をもって多数決で決めていく。

新型コロナ対策のように決断力が求められる事態になると、
とりわけそのことを感じます。

こうしたことがいまこのとき、
地方議会にも必要になっている時代なのかもしれないと考えたところです。



いずれにしても、この
「議員提案条例をめぐる宮城県議会2月定例会」は、
宮城県政の大きな転換点になる可能性もありますし、

地方議会の在り方を考えさせられる大きなテーマであったなあ
と振り返って感じるところです。



ということで、2月議会は閉会しましたが、
新型コロナ対策で臨時議会が開かれる可能性は大きく、
臨戦態勢で県政の課題について引き続き取り組んでまいる所存です


地元若林区の課題解決に尽力しながら、
宮城県全体、日本全体の課題を踏まえ、
引き続き全力でぶつかっていきたいと思います。



震災から九年─支えることと伝えること

2020年03月11日 17:12

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本日3月11日で、

東日本大震災からちょうど九年の月日が経ったことになります。

毎年同じようにこの日は、
私の地元六郷地区の東日本大震災慰霊祭に参列しています。
この地区では私のご近所の方々含め132名の方が犠牲となられました。


昨年3月2日に、被災した旧東六郷小学校跡地において
六郷東部地区地域モニュメント完成式典・除幕式が開催され、
地元六郷地域で震災時に犠牲となった方々の鎮魂、
慰霊を表象するモニュメントが完成しました。


九年という月日は長かったような短かったような、
不思議な感覚ですが、

いまでもテレビや新聞等であのときの映像が目に入ると、
涙が出てきてしまいますし、

旅立ってしまった同級生、
あの友人やこの友人などを思い出します。



平成23年、あの震災があり、
県政で復興を実現したいという思いから私は県議選に出馬、
そして「落選した」年でした。

そういう意味では、
私にとっては東日本大震災で被災したというだけではなく、
政治を志す大きなきっかけになった年から九年の月日が経ったともいえます。


震災から九年が経過しましたが、
まだまだ復興が完遂したとは言い切れません。

特に最近はソフト面での復興にどう取り組んでいくかということが課題だなと
県政の様々な場面において感じるところです。



令和2年度末で国の復興長期計画十年は終了となりますので、
ここからが宮城県にとって、
東北にとって本当の勝負になります。

宮城県政においては、
宿泊税の議論が今議会の大きなテーマとなり、
結果として新型コロナウイルス対策もあり、
知事による議案撤回となりました。

復興需要が急速に収束していくなかで、
例えば宮城県の観光予算は令和元年度で約24億円となっていますが、

国からの東北観光復興対策交付金で約6億円、
復興関係基金等繰入金で約9億円となっており、
もともと県単独の観光対策一般財源は約8億円。

つまり現在宮城県の観光を盛り上げる予算約24億円が、
一般財源を維持できたとしても来年度からは
約8億円、3分の1になる、これが現状です。

宿泊税は白紙になりましたので、
観光予算は来年度から大幅減ということになります。


観光政策のみならず、
令和3年度からの県予算運営はこれと同様に
大変厳しいものになっていくことが想定されます。


もちろん、この9年、
震災からの復興のために全国、全世界から多くの方々にご協力をいただき、
国からの支援があったことでここまで何とか来ることができたのですが、

今後さらに新型コロナウイルス感染症対策も
大きなテーマとなってくるでしょうし、
相次ぐ我が国の災害対策にも
全国的に注力していかなければなりません。


これからは、まだまだ途上である
東日本大震災からの復興を完遂することに加えて、

今後各地で頻発する災害対策に震災における知見を活かすこと、
そして同時に震災で経験した被災者の知見を被災地から発信し伝え続けること、

「支える側に回り、伝え続ける活動」

が、被災地の私たちに課された使命であると感じています。

全国、全世界に、これから少しずつ
恩返しをしていかなければなりません。


ーーーーーーーーーーー

あのとき。

震災直後の信号機が壊れた仙台港近くを通ったとき、
車の誘導をしているパトカーは、

「沖縄県警察」でした。

岩沼市で見かけた給水車は、香川県の

「丸亀市」

の支援によるものでした。


地元の沖野中学校の避難所には、
震災後すぐに「京都市」から支援をいただきました。


沖縄のパトカーを仙台で見ることなどもうないでしょうし、
水不足で有名な香川の給水車から
この宮城県で水をいただけるシーンを見ることも、
もうないことでしょう。


震災からわずか数日で、
全国からこのような応援をたくさんいただいたことに、
とても驚きましたし、

その後も全国、全世界から応援をいただいたことは、
本当にありがたく、
力強い心の支えだったと思い起こされます。


避難所で新学期に文房具がないということを知り、
このメルマガなどで発信し、
全国、全世界からほんとうにたくさんの文房具を万単位で
読者の皆さんから送っていただきました。


ありがたい気持ちが、
私たちの心にいまでも深く刻まれています。


ーーーーーーーーーーー


そして思い起こすと、
私自身もあの日、
そしてあの日からいろいろなことが一変しました。

平成22年、23年は私の人生のどん底で、
大転換期であったかなと今になってみると感じます。


あのときは涙を流すことも多く、
悲しい思いもたくさんしましたし、
つらい思いもたくさんしました。


しかしどんな窮地に陥っても、

「いまここにこうやって生きている、
 命があることだけでありがたいことだな」

と必ず思えたことで、
この厳しい時を乗り越えることができたように思います。


いま思うと、震災がなかったら、
宮城県のために力を尽くそうと、
いまほど思っていなかったかもしれません。


ーーーーーーーーーーーー

これからは、
私たちが多くの方に、少しでもいいので、
全国の方々の力になれるよう努力をしていかなければなりません。


まだまだ復興は道半ばではありますが、

私たち東北の人間が、
日本のために、世界のためにどこかで役立てるよう、

そして役立つことで私たち自身が
幸せを感じられるように
なっていかなければならないと思っています。


この九年間、
いつ死んでもいいという思いで、
あらゆることに取り組んできましたが、

ここからさらに、
宮城県政、復興の最前線で
全力を尽くしていきたいと思います。




東日本大震災から九年。

●全国の避難者等の数は、約4万8千人(令和2年2月28日現在復興庁調べ)
⇒ https://www.reconstruction.go.jp/topics/main-cat2/sub-cat2-1/20200228_hinansha.pdf

●全国の震災の死者数は、15,899人(令和2年3月10日警察庁緊急災害警備本部発表)

●全国の震災による行方不明者は、2,529人(令和2年3月10日警察庁緊急災害警備本部発表)
⇒ https://www.npa.go.jp/news/other/earthquake2011/pdf/higaijokyo.pdf

です。


まだまだ何も終わっていませんが、

「破壊されるものがあれば、
 そこには必ず創造されるものがある。」

そう信じながら同時に、

宮城県の政治家として
地域のみなさんの先頭に立って、

「つくる」

活動を続けていきます。


ともに、がんばりましょう。




「震災から八年─政治を志して八年」(H31.3.11)
⇒ http://cuccanet.blog72.fc2.com/blog-entry-2728.html

「震災から七年─震災後に生まれた小学一年生がまもなく入学」(H30.3.11)
⇒ http://cuccanet.blog72.fc2.com/blog-entry-2459.html

「震災から六年─小学一年生は卒業式」(H29.3.11)
⇒ http://cuccanet.blog72.fc2.com/blog-entry-2298.html

「震災から五年─「復興・創生期間」ここからが勝負!」(H28.3.11)
⇒ http://cuccanet.blog72.fc2.com/blog-entry-2121.html

「東日本大震災から四年─破壊から創造を」(H27.3.11)
⇒ http://cuccanet.blog72.fc2.com/blog-entry-1726.html

「つくるの原点─震災から三年になりました」(H26.3.11
⇒ http://cuccanet.blog72.fc2.com/blog-entry-1354.html

「東日本大震災から二年─平了のハチマキというバンド」(H25.3.11)
⇒ http://cuccanet.blog72.fc2.com/blog-entry-981.html

「東日本大震災から一年がたちました」(H24.3.11)
⇒ http://cuccanet.blog72.fc2.com/blog-entry-607.html



中学校PTA会長の卒業式祝辞-令和元年度仙台市立沖野中学校卒業式祝辞

2020年03月07日 16:43

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令和2年3月7日、
「令和2年度仙台市立沖野中学校第35回卒業式」にお招きいただいておりました。

しかし今年は、新型コロナウイルス感染症の影響により、
卒業式は縮小開催となり、本来PTA会長として祝辞を述べるところですが、
残念ながら出席することはできませんでした。

残念なことですし、ともに卒業をお祝いしたかったのですが、
お祝いの気持ちだけお伝えをしたいと思います。

開催縮小が決まる前の段階で、
PTA会長の卒業式祝辞は完成していたこともあり、
卒業生のみなさんには印刷して配布されるとのことで、
卒業をお祝いする気持ちが少しでも、
文字として共有されていればうれしく思います。

令和初めての卒業式。

この春全国各地でご卒業される皆様、
そして保護者の皆様に心よりお祝いを申し上げます。

ご卒業、おめでとうございます!

ーーーーーーーーーーーーーーーーー


祝  辞


冷たい風が吹く今年の冬もようやく終わりを告げ、
日ごとに春の暖かさが感じられるようになりました。

沖野中学校三年生のみなさん、ご卒業、誠におめでとうございます。

また、保護者の皆様、お子様のご卒業、誠におめでとうございます。

そして、校長先生をはじめとする教職員の皆様、保護者の皆様には、
三年間本校のPTA活動にご協力をいただきましたことに、
この場をお借りして心より御礼を申し上げます。

入学式の時には、みなさんまだ子供の雰囲気で、
学生服のサイズもちょっと大きめだったように感じましたが、
三年間ですっかり大人になったその姿に、
親としては頼もしく感じるとともに、
ちょっぴりさみしさも感じるところではないでしょうか。


さて、みなさんは国語の時間に、
中国思想の大家である孔子について学んだことがあると思います。

孔子は、「吾十有五にして学に志す」と語りました。

これは、孔子が人生を振り返って述べた言葉で、
十五歳のときに立志、目標をもって生きることが大事である
ということを語ったものです。

古来、その十五歳にわが国では「元服」という成人式を行いました。

この元服から髪型を変え、名前を改めたりすることもあったとのことで、
この日から大人の仲間入りを果たす、
一人の成人として、大人の自覚と責任感が求められることになったわけです。


また、幕末維新の時代に、橋本左内という人物がいました。

皆さんも聞いたことがある坂本龍馬や西郷隆盛と同世代で、
大変優秀な人物であったそうです。

福井県出身の左内は十六歳で大坂に出てオランダ語や西洋医学を学び、
やがて福井藩主を支え、江戸末期、諸藩の中心人物となりました。

しかしこの橋本左内は二十六歳でこの世から去り、
明治維新の中核となることはできなかったのでした。

西郷隆盛が亡くなったとき、西郷の所持品の中に、
二十年以上前にこの橋本左内からもらった手紙があったそうで、
二人の強いきずなを感じさせます。


この橋本左内が、十五歳のときに、
自分を戒めるために記した『啓発録』という文章があります。

まさにみなさんと同じ年のころに人生について真剣に考えていた、
そんな文章ですので、ご紹介したいと思います。

『啓発録』は五か条からなります。


一、 稚心を去る

稚心とは幼い心のことで、いわゆる子供じみた様子のことです。

この稚心が害となる理由は、稚心を除かないと士気が振るわず、
いつまでも腰抜けのまま終わってしまうためです。


二、気を振ふ

「気を振るう」とは、元気や勇気を出せということです。

人に負けたくない、遅れまいとする積極的な心、
もし屈辱的で恥ずかしいことがあれば残念でならないと思うこと。

負けん気が人の成長には重要であるということです。


三、志を立つ

志のない者は、魂の抜けた虫と同じだ。

いつまでたっても成長することがない。

だが志を一度立ててしまえば、
それからは日夜成長していくようになると左内は書いています。


四、学に勉む

同じように勉強しても、志があるのとないのとではちがいます。

目的を持って努力すると意欲が高まり、成長も早くなります。

左内は、学問に一所懸命励むのは、読書して自分の知識を広め、
心胆を練り上げることにあり、それが重要だといっています。


五、交友を択ぶ

左内はまた、よい友達を択べ、と言いました。

目標を持ち、学に勉める友達がいれば、
共に成長しあっていけるものです。


以上が、橋本左内の『啓発録』の内容です。

まず稚心を去ることで大人の自覚を持ち、
氣力を高めて、努力を志に集中させる。

そして、勉強して志に水を与え、
友人と切磋琢磨し合うことで共に成長していく。

皆さんと同じ十五歳の橋本左内が伝えたかったことを、
これからの人生、ぜひ中学校を卒業してからも心に留めておいてほしいと思います。


みなさんには無限の可能性があります。

なんとなくこういうことがしたい、ああいうことをやってみたいなあ、
そんな夢や希望を持つことです。

すべては志から始まります。


そして、校長先生をはじめ、三年間皆さんがお世話になった先生方は、
すべて、「先生になって子供たちのために力を尽くそう」という「志」を持ち、
たくさんの勉強をして努力し、その夢を実現した方々です。

その先生方は、みなさんのためにこの三年間、
夜遅くまで、ときに休みの日も働いていらっしゃいました。

ぜひ皆さん、今日は三年間の感謝の気持ちを先生方にお伝えしてください。


今年の三月十一日で、
あの東日本大震災から九年の月日が過ぎ去ることになります。

残念なことに、これからも災害は突然やってくることでしょう。

昨日まで当たり前と思えたことが一瞬で消えることもある、
そう思えば、みなさんが今日この日、
元気に卒業式を迎えられることはとてもありがたいことです。

これからぜひとも大きな夢や目標、
そして志をもって、感謝の気持ちを忘れずに、
すてきな大人になってほしいと思います。


本日、ここに、仙台市立沖野中学校を卒業するみなさんが、
今後大いに活躍することを心よりお祈り申し上げまして、
これを卒業の祝辞といたします。



令和二年三月七日

仙台市立沖野中学校 父母教師会 会長 渡邊 勝幸



【渡辺勝幸ご報告】今年令和2年度も東北大学大学院で起業とITを教えることになりました!

2020年02月20日 23:59

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みなさまにご報告ですが、
私渡辺勝幸は今年、令和2年度も、

東北大学大学院(仙台市青葉区)で、
「起業とIT」についての講義をする機会をいただきました。

東北大学大学院情報科学研究科の非常勤講師ということで、

「情報技術経営論」

について、大学院生に対し講義をすることになります。


今期で7年目になります。

起業集団つくる仙台の代表として、
仙台を中心とする起業支援をしてまいりましたし、
宮城県議会議員として経済政策にも関わっておりますので、

ここで得た経験を生かし、
学生さんたちに対して

「起業家精神」

をお伝えできればと思っております。


また、私が公務日程のときには、
つくる仙台の起業家支援企画に携わっていただいたり、
仙台を中心に大活躍している起業家の方々に、
ゲストスピーカーとしてお話をしていただき、

大学らしからぬ講義を今年も展開していく所存です。


また、こうしたテーマでの講演は、大学に限らず、
随時お引き受けいたしております。

公務がなく、時間が合えば、
全国どこにでもお伺いしますのでご連絡ください。



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【以下昨年のシラバスです】

■授業の目的・概要及び達成目標等
・授業の目的
 起業家学。会社の作り方、ゼロから事業はいかにしてつくられるか、起業成功のエッセンスを学ぶことにより、ビジネスで成功する極意を習得し、受講者が修士終了後社会に出たときに即戦力として活躍できることを目的とする。

到達目標
・情報科学を基礎として起業することに理解を深める。

■授業計画
下記の内容を順に講義する

・起業に必要なものは何か─逆境こそチャンス
・起業戦略と新規事業立案戦略
・安倍政権の成長戦略
・問題把握、現状分析と客観視
・会社の作り方
・実際に事業を「つくる」
・日本の起業家の歴史
・世界の起業家の歴史
・起業がうまくいくチームは「桃太郎」
・集客、営業の基本─ドラッカーの「顧客の声を聞く」
・値決めは経営
・公益経済と共通価値の実現(ポーターの経営論)
・プレゼンを学ぶ
・起業家ヒアリング(起業支援、復興起業、シニアビジネス、ネットショップなど)

■成績評価方法及び基準
レポートで評価する

■教科書、参考書
資料を配付する予定

■関連ウェブサイト
■オフィスアワー(面談可能時間)
非常勤講師のため、授業開始日に説明する。

【シラバスここまで】
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東北大学大学院情報科学研究科
⇒ http://www.is.tohoku.ac.jp/

シラバス
⇒ http://syllabus.is.tohoku.ac.jp/syllabus/syllabus.aspx



「岩手・宮城・福島の産業復興事例30 2019-2020」(復興庁)

2020年02月16日 21:17

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「岩手・宮城・福島の産業復興事例30 2019-2020」(復興庁 令和2年2月14日公表)
⇒ http://www.reconstruction.go.jp/topics/main-cat4/sub-cat4-1/jireishu2019.html


復興庁は、被災地の事業者による様々な挑戦を
「岩手・宮城・福島の産業復興事例集30 2019-2020」
(令和2年2月14日公表)としてまとめ、
テーマごとに事例を合計30社掲載して公表しました。

ぜひそれぞれの事業についてご覧いただければと思います。

それぞれの土地でそれぞれの復興が進んでいます。
まもなく震災から9年。

街並みやインフラが戻り、
ようやく再スタートを切ることができた時期であるといえるかもしれません。

30社のうちの一つに、
宮城県山元町の東日本復興芝生生産事業株式会社が取り上げられています。

詳細はこのレポートを読んでいただければと思いますが、
「復興芝生」を事業としていま拡大展開している企業です。

震災から約1年たったころ、
この会社の社長である大坪さんは
津波で塩が入ってしまった土地に、
芝生の苗を植えたそうです。

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【引用ここから】

「津波の影響で土地に塩が入ってしまったわけだけど、
芝生はその塩に強くて、砂地でもしっかり育つ。
これはいけるんじゃないか」

と、芝生栽培に興味を持った。

そして、本当にこの地が芝生の生育に適しているのか、実験を始める。
専門家をはじめ各方面に相談しながら、
芝生の成長の様子を確認。
確信を得て、2013年4月には賛同者5人と共に、
東日本復興芝生生産事業を立ち上げた。

【引用ここまで】
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そして昨年令和元年10月に、
利府町にある宮城スタジアムにこの復興芝生が導入され、
約7600平米のピッチが張り替えられました。

県としても、宮城スタジアムは
オリンピックサッカー会場ともなっていますので、
「復興五輪」にふさわしいことだと思います。

復興庁の監修委員によれば、
「しっかりしたマーケティングと分かりやすいコンセプトの勝利」
「品質を維持して付加価値高い産業モデルに」

とのコメントがなされています。


本レポートでは、こうした山元町の事例だけではなく、
被災三県で30社の産業復興事例が掲載されています。

被災県に住む私たちのみならず、
全国でビジネスの参考になることがあるのではないかと思いますので、
ぜひご覧いただければと思います。






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