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東日本大震災から12年ー次の時代へ伝え続けること

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本日3月11日で、

東日本大震災からちょうど12年の月日が経ったことになります。


毎年と同じように今日は、
私の地元六郷地区の東六郷コミュニティ広場にある、
東日本大震災慰霊碑の前で、地元の皆さんと14時46分を迎えました。


若林区沿岸部であるこの六郷地区では、
沖野地区の5名を含め126名の方が津波により亡くなられました

このコミュニティ広場は、一昨年の春、
被災した旧東六郷小学校跡地に新たにつくられたものです。

今日、この広場では、少年野球の大会が開かれており、
地元の人たちと話していると、小学生たちの元気な声が聞こえるのはイイネという話を多くの人がしていました。

14時46分には、野球少年たちもきちんと一列に整列し、黙とうをささげていました。

そんな小学生たちも、
もう震災のことは直接知らない世代になってしまいました。



12年という月日は長かったような短かったような、
不思議な感覚ですが、

いまでもテレビや新聞等であのときの映像が目に入ると、
心が落ち着かなくなり、いろいろ思い出しますし、

旅立ってしまった同級生、
あの友人やこの友人などを思い出します。


新型コロナウイルス感染症の拡大により、
ここ数年はまた異なる状況になってきてはいますが、

やはり震災当時の厳しい状況、
そしてその後懸命にいろいろなことに取り組んだことを
あらためて思い出すきっかけとなるところです。



思い起こすと、平成23年は、
あの震災があり、
県政で復興を実現したいという思いから私は県議選に出馬、
そして「落選した」年でした。

そういう意味では、
私にとっては政治を志す大きなきっかけになった年から12年の月日が経ったともいえます。


月日の経過とともに、
ハード面の整備は進んできましたが、
まだまだ復興が完遂したとは言い切れません。

特に最近はソフト面での復興、心の復興に、
どう取り組んでいくかということが課題となってきています。


そして今後少子化が進み人口減少社会のなかで、
どのように地域を発展させていくか、非常に難しいところです。

被災地の課題はコロナ禍でさらに山積しているところですが、
この12年、震災からの復興のために、
全国、全世界から多くの方々にご協力をいただき、
国からの支援があったことでここまで何とか来ることができた、

このことにあらためて感謝申し上げながら、
東北から元気を発信し、
お返しをしていかなければならないと思っています。


特に防災政策、復興政策などは、
今後も相次いで災害が起きることが予想されるわが国においては、
横展開が重要であると思いますし、
いざというそのときに活用できなければなりません。

これからは、東日本大震災からの復興を完遂することに加えて、
今後各地で頻発する災害対策に震災における知見を活かすこと、
そして同時に震災で経験した被災の知見を被災地から発信し伝え続けること、

「支える側に回り、伝え続ける活動」

が、被災地の私たちに課された使命であると感じていますし、

若い世代、震災を知らない世代がこれからさらに増えていきますので、
風化しないための活動、次の時代に伝え続ける活動も今後重要となってくると思います。

もちろん、風化する、忘れてしまうことも、
私たちにとって心の安定という点では必要なことであるとも言えますが、
忘れてはならないこと、伝えなければならないことがあるのだろうと思うのです。

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ーーーーーーーーーーー

あのとき。

私は、震災直後の信号機が壊れた仙台港近くを通ることがありましたが、
車の誘導をしているパトカーは、

「沖縄県警察」でした。

岩沼市で見かけた給水車は、香川県の

「丸亀市」

の支援によるものでした。


地元の沖野中学校の避難所には、
震災後すぐに「京都市」から支援をいただきました。


沖縄のパトカーを仙台で見ることなどもうないでしょうし、
香川の給水車からこの宮城県で水をいただけるシーンを見ることも
もうないことでしょう。


震災からわずか数日で、
全国からこのような応援をたくさんいただいたことに、
とても驚きましたし、

その後も全国、全世界から応援をいただいたことは、
本当にありがたく、力強い心の支えだったと思い起こされます。


避難所で新学期に文房具がないということを知り、
このメルマガなどで発信し、
全国、全世界からほんとうにたくさんの文房具を万単位で
読者の皆さんから送っていただきました。


ありがたい気持ちが、
私たちの心にいまでも深く刻まれています。

みなさん、ありがとうございました。

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ーーーーーーーーーーー


そして思い起こすと、
私自身もあの日、
そしてあの日からいろいろなことが一変しました。

平成22年、23年は私の人生のどん底で、
大転換期であったかなと今になってみると感じます。

あのころは別れが多く、
涙を流すことも多く、
悲しい思いもたくさんしましたし、
つらい思いもたくさんしました。


しかしどんな窮地に陥っても、

「いまここにこうやって生きている、
 命があることだけでありがたいことだな」

と必ず思えたことで、
この厳しい時を乗り越えることができたように思います。


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ーーーーーーーーーーーー

これからは、
私たちが多くの方に、少しでもいいので、
全国の方々の力になれるよう努力をしていかなければなりません。


まだまだ復興は道半ばではありますが、
私たち東北の人間が、
日本のために、世界のためにどこかで役立てるよう、

そして役立つことで私たち自身が
幸せを感じられるように
なっていかなければならないと思っています。


この12年間、
いつ死んでもいいという思いで、
あらゆることに取り組んできましたが、

ここからさらに、宮城県政の最前線で、全力を尽くしていきたいと思います。

新しい宮城をつくる、
新しい日本をつくることを意識して、
この経験を必ず生かす政治を実現していきたいと思います。




東日本大震災から12年。

●全国の避難者等の数は、30,884人(令和5年3月7日現在復興庁調べ)
⇒ https://www.reconstruction.go.jp/topics/main-cat2/sub-cat2-1/20230307_kouhou.pdf

●全国の震災の死者数は、15,900人(令和5年3月10日警察庁発表)

●全国の震災による行方不明者は、2,523人(令和5年3月10日警察庁発表)

です。

震災から12年たった現在も、
まだ復興が終わったとは言えない現状ですし、

悲しみやつらさをたくさん抱えた12年でしたが、
それでもやはり、

「破壊されるものがあれば、
 そこには必ず創造されるものがある。」

そう信じながら同時に、

宮城県の政治家として
地域のみなさんの先頭に立って、

「つくる」

活動を継続していきたいと思います。


みんなで、がんばりましょう。




「東日本大震災から11年ー伝え続けること」(R4.3.11)
⇒ http://cuccanet.blog72.fc2.com/blog-entry-2953.html

「東日本大震災から10年、そして次の10年」(R3.3.11
⇒ http://cuccanet.blog72.fc2.com/blog-entry-2834.html

「震災から九年─支えることと伝えること」(R2.3.11)
⇒ http://cuccanet.blog72.fc2.com/blog-entry-2729.html

「震災から八年─政治を志して八年」(H31.3.11)
⇒ http://cuccanet.blog72.fc2.com/blog-entry-2728.html

「震災から七年─震災後に生まれた小学一年生がまもなく入学」(H30.3.11)
⇒ http://cuccanet.blog72.fc2.com/blog-entry-2459.html

「震災から六年─小学一年生は卒業式」(H29.3.11)
⇒ http://cuccanet.blog72.fc2.com/blog-entry-2298.html

「震災から五年─「復興・創生期間」ここからが勝負!」(H28.3.11)
⇒ http://cuccanet.blog72.fc2.com/blog-entry-2121.html

「東日本大震災から四年─破壊から創造を」(H27.3.11)
⇒ http://cuccanet.blog72.fc2.com/blog-entry-1726.html

「つくるの原点─震災から三年になりました」(H26.3.11
⇒ http://cuccanet.blog72.fc2.com/blog-entry-1354.html

「東日本大震災から二年─平了のハチマキというバンド」(H25.3.11)
⇒ http://cuccanet.blog72.fc2.com/blog-entry-981.html

「東日本大震災から一年がたちました」(H24.3.11)
⇒ http://cuccanet.blog72.fc2.com/blog-entry-607.html


東日本大震災から10年、そして次の10年

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本日3月11日で、

東日本大震災からちょうど十年の月日が経ったことになります。


毎年同じように今日は、
私の地元六郷地区の東日本大震災慰霊祭に参列しました。

若林区沿岸部であるこの六郷地区では、
百人以上の方が津波により犠牲となられました。

被災した旧東六郷小学校跡地は、
この春にコミュニティ広場として生まれ変わることになっています


十年という月日は長かったような短かったような、
不思議な感覚ですが、

いまでもテレビや新聞等であのときの映像が目に入ると、
涙が出てきてしまいますし、

旅立ってしまった同級生、
あの友人やこの友人などを思い出します。


特に今年は、「震災十年」ということで、
ドラマなども含め報道が多かったように感じます。

それぞれ思いがあり、大事な報道もあるとは思うのですが、
ちょっと精神的にきついものも多く、
涙が自然とあふれたり、当時のいろいろなことを思い出し、
具合が悪くなったりして、時々テレビを消していました。



思い起こすと、平成23年は、
あの震災があり、
県政で復興を実現したいという思いから私は県議選に出馬、
そして「落選した」年でした。

そういう意味では、
私にとっては東日本大震災で被災したというだけではなく、
政治を志す大きなきっかけになった年から十年の月日が経ったともいえます。


震災から十年が経過し、
ハード面の整備は進んできていますが、
まだまだ復興が完遂したとは言い切れません。

特に最近はソフト面での復興に、
どう取り組んでいくかということが課題となってきています。


今年度末で国の復興長期計画十年は終了となりますので、
ここからが宮城県にとって、
東北にとって本当の勝負になります。

コロナ禍においては、
大変難しいかじ取りになるわけですが、
コロナ禍において復興を完遂させる、

そして今後少子化が進み人口減少社会のなかで、
どのように地域を発展させていくか、非常に難しいところです。

被災地の課題はコロナ禍でさらに山積しているところですが、
この十年、震災からの復興のために、
全国、全世界から多くの方々にご協力をいただき、
国からの支援があったことでここまで何とか来ることができた、

このことにあらためて感謝申し上げながら、
東北から元気を発信し、
お返しをしていかなければならないと思っています。

特に防災政策、復興政策などは、
今後も相次いで災害が起きることが予想されるわが国においては、
横展開が重要であると思いますし、
いざというそのときに活用できなければなりません。

これからは、東日本大震災からの復興を完遂することに加えて、
今後各地で頻発する災害対策に震災における知見を活かすこと、
そして同時に震災で経験した被災の知見を
被災地から発信し伝え続けること、

「支える側に回り、伝え続ける活動」

が、被災地の私たちに課された使命であると感じています。

全国、全世界に、これから少しずつ
恩返しをしていかなければなりません。


ーーーーーーーーーーー

あのとき。

震災直後の信号機が壊れた仙台港近くを通ったとき、
車の誘導をしているパトカーは、

「沖縄県警察」でした。

岩沼市で見かけた給水車は、香川県の

「丸亀市」

の支援によるものでした。


地元の沖野中学校の避難所には、
震災後すぐに「京都市」から支援をいただきました。


沖縄のパトカーを仙台で見ることなどもうないでしょうし、
香川の給水車からこの宮城県で水をいただけるシーンを見ることも
もうないことでしょう。


震災からわずか数日で、
全国からこのような応援をたくさんいただいたことに、
とても驚きましたし、

その後も全国、全世界から応援をいただいたことは、
本当にありがたく、力強い心の支えだったと思い起こされます。


避難所で新学期に文房具がないということを知り、
このメルマガなどで発信し、
全国、全世界からほんとうにたくさんの文房具を万単位で
読者の皆さんから送っていただきました。


ありがたい気持ちが、
私たちの心にいまでも深く刻まれています。

みなさん、ありがとうございました。



ーーーーーーーーーーー


そして思い起こすと、
私自身もあの日、
そしてあの日からいろいろなことが一変しました。

平成22年、23年は私の人生のどん底で、
大転換期であったかなと今になってみると感じます。

あのころは別れが多く、
涙を流すことも多く、
悲しい思いもたくさんしましたし、
つらい思いもたくさんしました。


しかしどんな窮地に陥っても、

「いまここにこうやって生きている、
 命があることだけでありがたいことだな」

と必ず思えたことで、
この厳しい時を乗り越えることができたように思います。

いま思うと、震災がなかったら、
宮城県のために力を尽くそうと、
いまほど思っていなかったかもしれません。


ーーーーーーーーーーーー

これからは、
私たちが多くの方に、少しでもいいので、
全国の方々の力になれるよう努力をしていかなければなりません。


まだまだ復興は道半ばではありますが、
私たち東北の人間が、
日本のために、世界のためにどこかで役立てるよう、

そして役立つことで私たち自身が
幸せを感じられるように
なっていかなければならないと思っています。


この十年間、
いつ死んでもいいという思いで、
あらゆることに取り組んできましたが、

ここからさらに、宮城県政の最前線で、
全力を尽くしていきたいと思います。


そして次の十年は、新しい宮城をつくる、
新しい日本をつくるための十年間と捉え、
この経験を必ず生かす政治を実現していきます。




東日本大震災から十年。

●全国の避難者等の数は、約4万1千人(令和3年2月26日現在復興庁調べ)
⇒ https://www.reconstruction.go.jp/topics/main-cat2/sub-cat2-1/20210226_kouhou1.pdf

●全国の震災の死者数は、15,899人(令和3年3月10日警察庁緊急災害警備本部発表)

●全国の震災による行方不明者は、2,526人(令和3年3月10日警察庁緊急災害警備本部発表)
⇒ https://www.npa.go.jp/news/other/earthquake2011/pdf/higaijokyo.pdf

です。

震災から十年たった現在も、
まだ復興が終わったとは言えない現状ですし、

悲しみやつらさをたくさん抱えた十年でしたが、
それでもやはり、

「破壊されるものがあれば、
 そこには必ず創造されるものがある。」

そう信じながら同時に、

宮城県の政治家として
地域のみなさんの先頭に立って、

「つくる」

活動を続けていきます。


ともに、がんばりましょう。




「震災から九年─支えることと伝えること」(R2.3.11)
⇒ http://cuccanet.blog72.fc2.com/blog-entry-2729.html

「震災から八年─政治を志して八年」(H31.3.11)
⇒ http://cuccanet.blog72.fc2.com/blog-entry-2728.html

「震災から七年─震災後に生まれた小学一年生がまもなく入学」(H30.3.11)
⇒ http://cuccanet.blog72.fc2.com/blog-entry-2459.html

「震災から六年─小学一年生は卒業式」(H29.3.11)
⇒ http://cuccanet.blog72.fc2.com/blog-entry-2298.html

「震災から五年─「復興・創生期間」ここからが勝負!」(H28.3.11)
⇒ http://cuccanet.blog72.fc2.com/blog-entry-2121.html

「東日本大震災から四年─破壊から創造を」(H27.3.11)
⇒ http://cuccanet.blog72.fc2.com/blog-entry-1726.html

「つくるの原点─震災から三年になりました」(H26.3.11
⇒ http://cuccanet.blog72.fc2.com/blog-entry-1354.html

「東日本大震災から二年─平了のハチマキというバンド」(H25.3.11)
⇒ http://cuccanet.blog72.fc2.com/blog-entry-981.html

「東日本大震災から一年がたちました」(H24.3.11)
⇒ http://cuccanet.blog72.fc2.com/blog-entry-607.html


震災から九年─支えることと伝えること

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本日3月11日で、

東日本大震災からちょうど九年の月日が経ったことになります。

毎年同じようにこの日は、
私の地元六郷地区の東日本大震災慰霊祭に参列しています。
この地区では私のご近所の方々含め132名の方が犠牲となられました。


昨年3月2日に、被災した旧東六郷小学校跡地において
六郷東部地区地域モニュメント完成式典・除幕式が開催され、
地元六郷地域で震災時に犠牲となった方々の鎮魂、
慰霊を表象するモニュメントが完成しました。


九年という月日は長かったような短かったような、
不思議な感覚ですが、

いまでもテレビや新聞等であのときの映像が目に入ると、
涙が出てきてしまいますし、

旅立ってしまった同級生、
あの友人やこの友人などを思い出します。



平成23年、あの震災があり、
県政で復興を実現したいという思いから私は県議選に出馬、
そして「落選した」年でした。

そういう意味では、
私にとっては東日本大震災で被災したというだけではなく、
政治を志す大きなきっかけになった年から九年の月日が経ったともいえます。


震災から九年が経過しましたが、
まだまだ復興が完遂したとは言い切れません。

特に最近はソフト面での復興にどう取り組んでいくかということが課題だなと
県政の様々な場面において感じるところです。



令和2年度末で国の復興長期計画十年は終了となりますので、
ここからが宮城県にとって、
東北にとって本当の勝負になります。

宮城県政においては、
宿泊税の議論が今議会の大きなテーマとなり、
結果として新型コロナウイルス対策もあり、
知事による議案撤回となりました。

復興需要が急速に収束していくなかで、
例えば宮城県の観光予算は令和元年度で約24億円となっていますが、

国からの東北観光復興対策交付金で約6億円、
復興関係基金等繰入金で約9億円となっており、
もともと県単独の観光対策一般財源は約8億円。

つまり現在宮城県の観光を盛り上げる予算約24億円が、
一般財源を維持できたとしても来年度からは
約8億円、3分の1になる、これが現状です。

宿泊税は白紙になりましたので、
観光予算は来年度から大幅減ということになります。


観光政策のみならず、
令和3年度からの県予算運営はこれと同様に
大変厳しいものになっていくことが想定されます。


もちろん、この9年、
震災からの復興のために全国、全世界から多くの方々にご協力をいただき、
国からの支援があったことでここまで何とか来ることができたのですが、

今後さらに新型コロナウイルス感染症対策も
大きなテーマとなってくるでしょうし、
相次ぐ我が国の災害対策にも
全国的に注力していかなければなりません。


これからは、まだまだ途上である
東日本大震災からの復興を完遂することに加えて、

今後各地で頻発する災害対策に震災における知見を活かすこと、
そして同時に震災で経験した被災者の知見を被災地から発信し伝え続けること、

「支える側に回り、伝え続ける活動」

が、被災地の私たちに課された使命であると感じています。

全国、全世界に、これから少しずつ
恩返しをしていかなければなりません。


ーーーーーーーーーーー

あのとき。

震災直後の信号機が壊れた仙台港近くを通ったとき、
車の誘導をしているパトカーは、

「沖縄県警察」でした。

岩沼市で見かけた給水車は、香川県の

「丸亀市」

の支援によるものでした。


地元の沖野中学校の避難所には、
震災後すぐに「京都市」から支援をいただきました。


沖縄のパトカーを仙台で見ることなどもうないでしょうし、
水不足で有名な香川の給水車から
この宮城県で水をいただけるシーンを見ることも、
もうないことでしょう。


震災からわずか数日で、
全国からこのような応援をたくさんいただいたことに、
とても驚きましたし、

その後も全国、全世界から応援をいただいたことは、
本当にありがたく、
力強い心の支えだったと思い起こされます。


避難所で新学期に文房具がないということを知り、
このメルマガなどで発信し、
全国、全世界からほんとうにたくさんの文房具を万単位で
読者の皆さんから送っていただきました。


ありがたい気持ちが、
私たちの心にいまでも深く刻まれています。


ーーーーーーーーーーー


そして思い起こすと、
私自身もあの日、
そしてあの日からいろいろなことが一変しました。

平成22年、23年は私の人生のどん底で、
大転換期であったかなと今になってみると感じます。


あのときは涙を流すことも多く、
悲しい思いもたくさんしましたし、
つらい思いもたくさんしました。


しかしどんな窮地に陥っても、

「いまここにこうやって生きている、
 命があることだけでありがたいことだな」

と必ず思えたことで、
この厳しい時を乗り越えることができたように思います。


いま思うと、震災がなかったら、
宮城県のために力を尽くそうと、
いまほど思っていなかったかもしれません。


ーーーーーーーーーーーー

これからは、
私たちが多くの方に、少しでもいいので、
全国の方々の力になれるよう努力をしていかなければなりません。


まだまだ復興は道半ばではありますが、

私たち東北の人間が、
日本のために、世界のためにどこかで役立てるよう、

そして役立つことで私たち自身が
幸せを感じられるように
なっていかなければならないと思っています。


この九年間、
いつ死んでもいいという思いで、
あらゆることに取り組んできましたが、

ここからさらに、
宮城県政、復興の最前線で
全力を尽くしていきたいと思います。




東日本大震災から九年。

●全国の避難者等の数は、約4万8千人(令和2年2月28日現在復興庁調べ)
⇒ https://www.reconstruction.go.jp/topics/main-cat2/sub-cat2-1/20200228_hinansha.pdf

●全国の震災の死者数は、15,899人(令和2年3月10日警察庁緊急災害警備本部発表)

●全国の震災による行方不明者は、2,529人(令和2年3月10日警察庁緊急災害警備本部発表)
⇒ https://www.npa.go.jp/news/other/earthquake2011/pdf/higaijokyo.pdf

です。


まだまだ何も終わっていませんが、

「破壊されるものがあれば、
 そこには必ず創造されるものがある。」

そう信じながら同時に、

宮城県の政治家として
地域のみなさんの先頭に立って、

「つくる」

活動を続けていきます。


ともに、がんばりましょう。




「震災から八年─政治を志して八年」(H31.3.11)
⇒ http://cuccanet.blog72.fc2.com/blog-entry-2728.html

「震災から七年─震災後に生まれた小学一年生がまもなく入学」(H30.3.11)
⇒ http://cuccanet.blog72.fc2.com/blog-entry-2459.html

「震災から六年─小学一年生は卒業式」(H29.3.11)
⇒ http://cuccanet.blog72.fc2.com/blog-entry-2298.html

「震災から五年─「復興・創生期間」ここからが勝負!」(H28.3.11)
⇒ http://cuccanet.blog72.fc2.com/blog-entry-2121.html

「東日本大震災から四年─破壊から創造を」(H27.3.11)
⇒ http://cuccanet.blog72.fc2.com/blog-entry-1726.html

「つくるの原点─震災から三年になりました」(H26.3.11
⇒ http://cuccanet.blog72.fc2.com/blog-entry-1354.html

「東日本大震災から二年─平了のハチマキというバンド」(H25.3.11)
⇒ http://cuccanet.blog72.fc2.com/blog-entry-981.html

「東日本大震災から一年がたちました」(H24.3.11)
⇒ http://cuccanet.blog72.fc2.com/blog-entry-607.html



「岩手・宮城・福島の産業復興事例30 2019-2020」(復興庁)

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「岩手・宮城・福島の産業復興事例30 2019-2020」(復興庁 令和2年2月14日公表)
⇒ http://www.reconstruction.go.jp/topics/main-cat4/sub-cat4-1/jireishu2019.html


復興庁は、被災地の事業者による様々な挑戦を
「岩手・宮城・福島の産業復興事例集30 2019-2020」
(令和2年2月14日公表)としてまとめ、
テーマごとに事例を合計30社掲載して公表しました。

ぜひそれぞれの事業についてご覧いただければと思います。

それぞれの土地でそれぞれの復興が進んでいます。
まもなく震災から9年。

街並みやインフラが戻り、
ようやく再スタートを切ることができた時期であるといえるかもしれません。

30社のうちの一つに、
宮城県山元町の東日本復興芝生生産事業株式会社が取り上げられています。

詳細はこのレポートを読んでいただければと思いますが、
「復興芝生」を事業としていま拡大展開している企業です。

震災から約1年たったころ、
この会社の社長である大坪さんは
津波で塩が入ってしまった土地に、
芝生の苗を植えたそうです。

───────────────────────
【引用ここから】

「津波の影響で土地に塩が入ってしまったわけだけど、
芝生はその塩に強くて、砂地でもしっかり育つ。
これはいけるんじゃないか」

と、芝生栽培に興味を持った。

そして、本当にこの地が芝生の生育に適しているのか、実験を始める。
専門家をはじめ各方面に相談しながら、
芝生の成長の様子を確認。
確信を得て、2013年4月には賛同者5人と共に、
東日本復興芝生生産事業を立ち上げた。

【引用ここまで】
───────────────────────


そして昨年令和元年10月に、
利府町にある宮城スタジアムにこの復興芝生が導入され、
約7600平米のピッチが張り替えられました。

県としても、宮城スタジアムは
オリンピックサッカー会場ともなっていますので、
「復興五輪」にふさわしいことだと思います。

復興庁の監修委員によれば、
「しっかりしたマーケティングと分かりやすいコンセプトの勝利」
「品質を維持して付加価値高い産業モデルに」

とのコメントがなされています。


本レポートでは、こうした山元町の事例だけではなく、
被災三県で30社の産業復興事例が掲載されています。

被災県に住む私たちのみならず、
全国でビジネスの参考になることがあるのではないかと思いますので、
ぜひご覧いただければと思います。


震災から八年─政治を志して八年


本日3月11日で、

東日本大からちょうどの月日が経ったことになります。

同じようにこの日は、
地元六郷地区の東日本大慰霊祭に参列います。
この地区では126名の方が犠牲となられまた。

は3月2日に、
六郷東部地区地域モニュメント完成式典・除幕式が開催され、
地元六郷地域で時に犠牲となった方々の鎮魂、
慰霊表象するモニュメントが完成た。


は、私も子供のころからよく遊びに行っいた、
深沼海岸、荒浜地区の慰霊の碑で14時46分迎えまた。


遺構荒浜小学校は、近多くの方が訪れる施設となり、
の観点からも全国、そ世界からいただきたい施設の一つです。


という月日は長かったような短かったような、
不思議な感覚ですが、

いまでもテレビや新聞等であのときの映像が目に入ると、
涙が出まいます

旅立っまったあの友人やこの友人など思い出ます。



というと四の倍数になりますので、
私にとっは選挙のとなります。

平成23、あのがあり、
その後の地域での様々な活動私は県議選に出馬、
「落選た」た。

そういう意味では、
東日本大で被たというだけではなく、
政治す大きなきっかけになったからの月日が経ったともいえます。


からが経過たが、
まだまだ復興が完遂たとは言い切れません。

ハードの面だけではなく、
ソフトの面でもまだまだということ
県政の様々な場面におい感じるところです。


先日の県議会でも取り上げまたが、
地域交流拠点施設の整備が仙台市東部地区でも予算計上されまたが、

集会所整備たり、ソフト面の支援進めるなかで、
た地域のコミュニティ再生いくための取組が、
ようやく始まりそうです。

そういう意味では公約の「つくる」
ようやく被地で実現できたということで、
私にとっもこれからが本番であるというように感じいます。


だいぶ避難者の数は減りまたが、
それでもまだ全国で約5万2千人の方が避難続けいます。


まもなく国の復興長期計画十迎えますので、
ここからが宮城県にとっ
東北にとっ本当の勝負になるように思います。

つらく厳い時代予感ながらも、
全国、世界の皆さんからのありがたい感謝の気持ちも
私の心には深く刻まれいます。


ーーーーーーーーーーー

あのとき。
直後の信号機が壊れた仙台港近く通ったとき、
車の誘導いるパトカーは、

「沖縄県警察」でた。

岩沼で見かけた給水車は、香川県の

「丸亀市」

の支援によるものだったこと目の当たりにた。


地元の沖野中学校の避難所には、
後すぐに「京都市」から支援いただきまた。


沖縄のパトカー仙台で見ることなどもうないでょう
水不足で有名な香川の給水車から
この宮城県で水いただけるシーン見ることも、
もうないことでょう。


からわずか数日で、
全国からこのような応援たくさんいただいたことに、
も驚きま

その後も全国、全世界から応援いただいたことは、
本当にありがたく、
力強い心の支えだったと思い起こされます。


避難所で新学期に文房具がないということ知り、
このメルマガなどで発信
全国、全世界からほんとうにたくさんの文房具送っいただきまた。


ありがたい気持ちが、
私たちの心にいまでも深く刻まれいます。


思い起こすと、
私自身もあの日、
あの日からいろいろなことが一変た。

この間の私の人生は、
振り幅が大きい間だったと思います。


流すことも、
い思いもたくさん
つらい思いもたくさんた。

どんな窮地に陥っも、

「いまここにこうやっ生きいる、
 命があることだけでありがたいことだな」

と必ず思えたことで、
この厳い時乗り越えることができたように思います。


これから訪れる人生の荒波に直面も、
きっとそう思えることでょう。

いま思うと、がなかったら、
宮城県のために力尽くそうと、
いまほど思っいなかったかもれません。


ーーーーーーーーーー

その昔、宮城谷昌光の小説『孟嘗君』読みまた。

孟嘗君は中国戦国時代の政治家です。

この小説『孟嘗君』の登場人物に、
伝説の商人と言われた
白圭が出きます。

白圭も、中国戦国時代の政治家で、
孟嘗君赤ん坊の時に拾い、
た人です。

私財民のために投じ、
黄河の治水工事自ら采配行ったと言われいます。

この白圭は死の直前、孟嘗君から

「私くれありがとうございます」

と礼言われた時、以下のように言っいます。

「それは違う。
 お礼いうのは私の方だ。」

「助ける者は、助けられる者によっ
 幸せになれるのだ」

この言葉が私のなかで印象に残っいまた。

もう何も前に読んだ本ですが、
いま実感とわきあがるものがあります。

助けることで、
ただそれだけで、
幸せになれる。

ーーーーーーーーーーーー


以後、多くの方にご支援いただきま
宮城県も国から多くの交付金、補助金いただき、

全国の自治体からいまなお、
多くの職員の方々に応援いただいいます。


本当にありがたい限りですが、

これからは、
私たちが多くの方に、
全国の方々の力になれるよう努力いきたいと思います。


まだまだ復興は道半ばではありますが、

私たち東北の人間が、
日本のために、世界のためにどこかで役立るよう、

役立つことで私たち自身が
幸せ感じられるように
なっいかなければならないと思っいます。


この間、
いつ死んでもいいという思いで、
あらゆることに取り組んできまたが、

ここからさらに、
宮城県政、復興の最前線で
全力尽くいきたいと思います。



東日本大から

●全国の避難者等の数は、約5万2千人(平成312月7日現在復興庁調べ)
⇒ http://www.reconstruction.go.jp/topics/main-cat2/sub-cat2-1/20190227_hinansha.pdf

●全国のの死者数は、15,897人(平成313月8日警察庁緊急害警備本部発表)

●全国のによる行方不明者は、2,533人(平成313月8日警察庁緊急害警備本部発表)
⇒ https://www.npa.go.jp/news/other/earthquake2011/pdf/higaijokyo.pdf

です。


まだまだ何も終わっいませんが、

「破壊されるものがあれば、
 そこには必ず創造されるものがある。」

そう信じながら同時に、

宮城県の政治家と
地域のみなさんの先頭に立っ
「つくる」活動続けいきます。

ともに、がんばりまょう!!






から後に生まれた小学一生がまもなく入学」(H30.3.11)
⇒ http://cuccanet.blog72.fc2.com/blog-entry-2459.html

から─小学一生は卒業式」(H29.3.11)
⇒ http://cuccanet.blog72.fc2.com/blog-entry-2298.html

から─「復興・創生期間」ここからが勝負!」(H28.3.11)
⇒ http://cuccanet.blog72.fc2.com/blog-entry-2121.html

「東日本大から─破壊から創造」(H27.3.11)
⇒ http://cuccanet.blog72.fc2.com/blog-entry-1726.html

「つくるの原点─からになりまた」(H26.3.11
⇒ http://cuccanet.blog72.fc2.com/blog-entry-1354.html

「東日本大から─平了のハチマキというバンド」(H25.3.11)
⇒ http://cuccanet.blog72.fc2.com/blog-entry-981.html

「東日本大からがたちまた」(H24.3.11)
⇒ http://cuccanet.blog72.fc2.com/blog-entry-607.html



ご支援御礼(令和元年10月)

渡辺勝幸は令和元年10月に行われた宮城県議選に若林選挙区から立候補し、10,273票という貴重な票をいただき、宮城県議会議員に二回目の当選を果たしました。今後ともふるさと宮城の復興完遂のために尽力してまいりますので、どうぞよろしくお願いいたします。

宮城県議選若林選挙区(令和元年10月27日執行・投票率28.18%)
当 渡辺勝幸    自民現  10,273
当 三浦奈名美   立民新 7,634
当 福島一恵    共産現 7,047
次 高橋克也    自民新 6,486

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ご支援御礼(平成27年10月)

渡辺勝幸は平成27年10月に行われた宮城県議選に若林選挙区から立候補し、10,041票という貴重な票をいただき、宮城県議会議員に初当選しました。今後ともふるさと宮城に強い経済をつくるために尽力してまいりますので、どうぞよろしくお願いいたします。

宮城県議選若林選挙区(平成27年10月25日執行・投票率31.28%)
当 渡辺勝幸    自民新  10,041
当 福島かずえ   共産新 9,433
当 細川雄一    自民現 7,490
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ご支援御礼

渡辺勝幸は平成23年11月に行われた宮城県議選に若林選挙区から立候補し、5,042票という貴重な票をいただきましたが、落選いたしました。残念な結果ではありましたが、今後ともふるさと宮城の復興のために尽力してまいりますので、どうぞよろしくお願いいたします。

宮城県議選若林選挙区(平成23年11月13日執行・投票率34.65%)
当 細川雄一    自民現 7,728
当 本多祐一朗   社民現 6,536
当 千葉達     自民現 6,031
  福島かずえ   共産新 6,000
  渡辺勝幸    無新  5,042
  菊地ゆきお   み新 2,903
  小野寺かずたか 無新 978


120216 gaitorokuchonomeAkXOfoVCMAAmJYo 早朝街頭を続けています。平成24年1月撮影。

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