Category[ がんばっぺ東北(東日本大震災関連) ] - つくる!宮城県議会議員渡辺勝幸のブログ【仙台市若林区】
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渡辺勝幸について

【現職】
宮城県議会議員【仙台市若林区選出】
 宮城県議会 環境福祉委員会 委員長。
 宮城県議会 不登校・ひきこもり対策調査特別委員会委員。
 宮城県議会 政務活動費運用検討会議座長。

自由民主党・県民会議
 事務局長。
 環境・エネルギー議員連盟 事務局長。
 芸術文化議員連盟 副幹事長。
 防衛議員連盟 幹事長。
 防災議員連盟 事務局長。
 日越交流宮城県議会議員連盟 幹事長代理。
 みやぎの印刷産業振興を考える議員連盟 事務局長。
 宮城オルレ・トレイル推進議員連盟 事務局長。
 宮城県議会行政書士議員連盟 事務局長。
日韓親善宮城県議会議員連盟 事務局次長。
宮城県スポーツ議員連盟 幹事。
  宮城県議会国際リニアコライダーの誘致議員連盟 副幹事長。
宮城県議会全国和牛能力共進会宮城大会を支援する議員連盟 幹事長。
北朝鮮に拉致された日本人を救出し支援する宮城県議の会 事務局長。
神道政治連盟宮城県本部議員連絡協議会 幹事。
岩手県議会・宮城県議会国際リニアコライダー建設実現議員連盟 理事。

自由民主党青年局 中央常任委員(東北ブロック)。
自由民主党宮城県支部連合会
 青年局長。
 県民運動本部 副本部長。
 憲法改正推進本部 事務局長。
 女性活躍推進本部 副本部長。

仙石線整備促進期成同盟会 顧問。
全日本不動産政治連盟宮城県本部 顧問。
宮城県理容生活衛生同業組合 仙台若林支部 顧問。
宮城県私立幼稚園PTA連合会 副会長。
宮城県薬剤師連盟 政策強化委員。
宮城県ドッジボール協会 副会長。
宮城県柔道整復師会 顧問。

宮城県障害者スポーツ協会 常任理事。
宮城県障害者スポーツ指導者協議会 会長。
みやぎパラボウリング協会 会長。
仙台市南地区交通安全協会六郷支部 顧問。
社会福祉法人ウェル千寿会 評議員。

東北大学大学院情報科学研究科 非常勤講師(情報技術経営論)。
起業集団「株式会社つくる仙台」 代表取締役。
ミラサポ(中小企業庁委託中小企業支援事業)専門家。
仙台東倫理法人会 監査。

仙台市立沖野中学校父母教師会 会長。
 若林区PTA連合会理事。
 若林区まちづくり協議会会員。
 沖野中学校区青少年健全育成連絡協議会会長。沖野中学校区災害対策委員会委員。
 仙台市地域ぐるみ生活指導連絡協議会幹事。
沖野東学区民体育振興会顧問。
沖野東小おやじの会沖父ちゃん会顧問。
仙台沖野ソフトボールリーグ顧問。

仙台市南地区交通指導隊六郷分隊 隊員。







【経歴】 昭和50年5月10日生まれ。宮城県仙台市若林区出身。44歳。

昭和57年 沖野幼稚園(仙台市若林区)卒園
昭和63年 青森市立筒井小学校卒業
平成3年 仙台市立沖野中学校卒業
平成 6年 宮城県仙台第一高等学校卒業(高46回。二年間応援団長を務める)
平成11年 慶應義塾大学法学部政治学科卒業
     国会議員政策担当秘書資格試験合格

平成12年 参議院議員市川一朗(宮城県選挙区)政策担当秘書
平成13年 慶應義塾大学大学院法学研究科政治学専攻修士課程修了
平成19年 参議院自民党秘書会幹事(平成22年まで)
平成22年 参議院議員市川一朗政策担当秘書を退職

平成23年 経済産業省後援 起業支援ドリームゲートアドバイザー(平成24年まで)。
     宮城県議会議員選挙(若林選挙区)に無所属で出馬(5,042票で落選)。

平成25年 公益社団法人仙台青年会議所地域共同開発委員会幹事。
     仙台東倫理法人会幹事(青年委員長)。
     沖野東小おやじの会沖父ちゃん会初代会長。
平成26年 東北大学大学院情報科学研究科講師(情報技術経営論・非常勤、現職)。
     公益社団法人仙台青年会議所会員開発委員会委員。公益社団法人日本青年会議所憲法論議推進委員会委員。公益社団法人日本青年会議所東北地区宮城ブロック協議会LOM協働委員会委員。
     仙台市立沖野東小学校父母教師会(PTA)会長(平成31年まで)。
平成27年 宮城県議会議員に初当選(若林選挙区。自民党公認。10,041票でトップ当選)。
     公益社団法人仙台青年会議所総務委員会副委員長。公益社団法人日本青年会議所日本の未来選択委員会委員。
     宮城県議会 経済商工観光委員会委員。宮城県議会 産業振興対策調査特別委員会委員。
平成28年 宮城県議会 議会改革推進会議委員。
宮城県議会 保健福祉委員会委員。宮城県議会 地域防災調査特別委員会委員。
宮城県議会 政務活動費運用検討会議 検討委員。
平成29年 宮城県議会 総務企画委員会 副委員長。
     宮城県議会 いじめ・不登校等調査特別委員会 委員。
平成30年 宮城県議会 スポーツ振興調査特別委員会 副委員長。
     宮城県議会 議会運営委員会 委員。宮城県議会 文教警察委員会 委員。
     宮城県議会 政務活動費運用検討会議 検討委員。
令和元年 宮城県議会議員に再選(若林選挙区。自民党公認。10,273票でトップ当選)。

【渡辺勝幸応援団から、平成30年政治活動についての講評】

【渡辺勝幸応援団から、平成29年政治活動についての講評】

【渡辺勝幸応援団から、平成28年政治活動についての講評】

【渡辺勝幸応援団から、平成27年政治活動についての講評】

【渡辺勝幸応援団から、平成26年政治活動についての講評】

【渡辺勝幸応援団から、平成25年政治活動についての講評】

【渡辺勝幸の東北大学での講義内容についてはこちらをクリック】

【渡辺勝幸メディア紹介履歴】

震災から九年─支えることと伝えること

2020年03月11日 17:12

R20311 東六郷小学校跡地 89079701_3370673569626512_6175083255524491264_n



本日3月11日で、

東日本大震災からちょうど九年の月日が経ったことになります。

毎年同じようにこの日は、
私の地元六郷地区の東日本大震災慰霊祭に参列しています。
この地区では私のご近所の方々含め132名の方が犠牲となられました。


昨年3月2日に、被災した旧東六郷小学校跡地において
六郷東部地区地域モニュメント完成式典・除幕式が開催され、
地元六郷地域で震災時に犠牲となった方々の鎮魂、
慰霊を表象するモニュメントが完成しました。


九年という月日は長かったような短かったような、
不思議な感覚ですが、

いまでもテレビや新聞等であのときの映像が目に入ると、
涙が出てきてしまいますし、

旅立ってしまった同級生、
あの友人やこの友人などを思い出します。



平成23年、あの震災があり、
県政で復興を実現したいという思いから私は県議選に出馬、
そして「落選した」年でした。

そういう意味では、
私にとっては東日本大震災で被災したというだけではなく、
政治を志す大きなきっかけになった年から九年の月日が経ったともいえます。


震災から九年が経過しましたが、
まだまだ復興が完遂したとは言い切れません。

特に最近はソフト面での復興にどう取り組んでいくかということが課題だなと
県政の様々な場面において感じるところです。



令和2年度末で国の復興長期計画十年は終了となりますので、
ここからが宮城県にとって、
東北にとって本当の勝負になります。

宮城県政においては、
宿泊税の議論が今議会の大きなテーマとなり、
結果として新型コロナウイルス対策もあり、
知事による議案撤回となりました。

復興需要が急速に収束していくなかで、
例えば宮城県の観光予算は令和元年度で約24億円となっていますが、

国からの東北観光復興対策交付金で約6億円、
復興関係基金等繰入金で約9億円となっており、
もともと県単独の観光対策一般財源は約8億円。

つまり現在宮城県の観光を盛り上げる予算約24億円が、
一般財源を維持できたとしても来年度からは
約8億円、3分の1になる、これが現状です。

宿泊税は白紙になりましたので、
観光予算は来年度から大幅減ということになります。


観光政策のみならず、
令和3年度からの県予算運営はこれと同様に
大変厳しいものになっていくことが想定されます。


もちろん、この9年、
震災からの復興のために全国、全世界から多くの方々にご協力をいただき、
国からの支援があったことでここまで何とか来ることができたのですが、

今後さらに新型コロナウイルス感染症対策も
大きなテーマとなってくるでしょうし、
相次ぐ我が国の災害対策にも
全国的に注力していかなければなりません。


これからは、まだまだ途上である
東日本大震災からの復興を完遂することに加えて、

今後各地で頻発する災害対策に震災における知見を活かすこと、
そして同時に震災で経験した被災者の知見を被災地から発信し伝え続けること、

「支える側に回り、伝え続ける活動」

が、被災地の私たちに課された使命であると感じています。

全国、全世界に、これから少しずつ
恩返しをしていかなければなりません。


ーーーーーーーーーーー

あのとき。

震災直後の信号機が壊れた仙台港近くを通ったとき、
車の誘導をしているパトカーは、

「沖縄県警察」でした。

岩沼市で見かけた給水車は、香川県の

「丸亀市」

の支援によるものでした。


地元の沖野中学校の避難所には、
震災後すぐに「京都市」から支援をいただきました。


沖縄のパトカーを仙台で見ることなどもうないでしょうし、
水不足で有名な香川の給水車から
この宮城県で水をいただけるシーンを見ることも、
もうないことでしょう。


震災からわずか数日で、
全国からこのような応援をたくさんいただいたことに、
とても驚きましたし、

その後も全国、全世界から応援をいただいたことは、
本当にありがたく、
力強い心の支えだったと思い起こされます。


避難所で新学期に文房具がないということを知り、
このメルマガなどで発信し、
全国、全世界からほんとうにたくさんの文房具を万単位で
読者の皆さんから送っていただきました。


ありがたい気持ちが、
私たちの心にいまでも深く刻まれています。


ーーーーーーーーーーー


そして思い起こすと、
私自身もあの日、
そしてあの日からいろいろなことが一変しました。

平成22年、23年は私の人生のどん底で、
大転換期であったかなと今になってみると感じます。


あのときは涙を流すことも多く、
悲しい思いもたくさんしましたし、
つらい思いもたくさんしました。


しかしどんな窮地に陥っても、

「いまここにこうやって生きている、
 命があることだけでありがたいことだな」

と必ず思えたことで、
この厳しい時を乗り越えることができたように思います。


いま思うと、震災がなかったら、
宮城県のために力を尽くそうと、
いまほど思っていなかったかもしれません。


ーーーーーーーーーーーー

これからは、
私たちが多くの方に、少しでもいいので、
全国の方々の力になれるよう努力をしていかなければなりません。


まだまだ復興は道半ばではありますが、

私たち東北の人間が、
日本のために、世界のためにどこかで役立てるよう、

そして役立つことで私たち自身が
幸せを感じられるように
なっていかなければならないと思っています。


この九年間、
いつ死んでもいいという思いで、
あらゆることに取り組んできましたが、

ここからさらに、
宮城県政、復興の最前線で
全力を尽くしていきたいと思います。




東日本大震災から九年。

●全国の避難者等の数は、約4万8千人(令和2年2月28日現在復興庁調べ)
⇒ https://www.reconstruction.go.jp/topics/main-cat2/sub-cat2-1/20200228_hinansha.pdf

●全国の震災の死者数は、15,899人(令和2年3月10日警察庁緊急災害警備本部発表)

●全国の震災による行方不明者は、2,529人(令和2年3月10日警察庁緊急災害警備本部発表)
⇒ https://www.npa.go.jp/news/other/earthquake2011/pdf/higaijokyo.pdf

です。


まだまだ何も終わっていませんが、

「破壊されるものがあれば、
 そこには必ず創造されるものがある。」

そう信じながら同時に、

宮城県の政治家として
地域のみなさんの先頭に立って、

「つくる」

活動を続けていきます。


ともに、がんばりましょう。




「震災から八年─政治を志して八年」(H31.3.11)
⇒ http://cuccanet.blog72.fc2.com/blog-entry-2728.html

「震災から七年─震災後に生まれた小学一年生がまもなく入学」(H30.3.11)
⇒ http://cuccanet.blog72.fc2.com/blog-entry-2459.html

「震災から六年─小学一年生は卒業式」(H29.3.11)
⇒ http://cuccanet.blog72.fc2.com/blog-entry-2298.html

「震災から五年─「復興・創生期間」ここからが勝負!」(H28.3.11)
⇒ http://cuccanet.blog72.fc2.com/blog-entry-2121.html

「東日本大震災から四年─破壊から創造を」(H27.3.11)
⇒ http://cuccanet.blog72.fc2.com/blog-entry-1726.html

「つくるの原点─震災から三年になりました」(H26.3.11
⇒ http://cuccanet.blog72.fc2.com/blog-entry-1354.html

「東日本大震災から二年─平了のハチマキというバンド」(H25.3.11)
⇒ http://cuccanet.blog72.fc2.com/blog-entry-981.html

「東日本大震災から一年がたちました」(H24.3.11)
⇒ http://cuccanet.blog72.fc2.com/blog-entry-607.html



「岩手・宮城・福島の産業復興事例30 2019-2020」(復興庁)

2020年02月16日 21:17

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「岩手・宮城・福島の産業復興事例30 2019-2020」(復興庁 令和2年2月14日公表)
⇒ http://www.reconstruction.go.jp/topics/main-cat4/sub-cat4-1/jireishu2019.html


復興庁は、被災地の事業者による様々な挑戦を
「岩手・宮城・福島の産業復興事例集30 2019-2020」
(令和2年2月14日公表)としてまとめ、
テーマごとに事例を合計30社掲載して公表しました。

ぜひそれぞれの事業についてご覧いただければと思います。

それぞれの土地でそれぞれの復興が進んでいます。
まもなく震災から9年。

街並みやインフラが戻り、
ようやく再スタートを切ることができた時期であるといえるかもしれません。

30社のうちの一つに、
宮城県山元町の東日本復興芝生生産事業株式会社が取り上げられています。

詳細はこのレポートを読んでいただければと思いますが、
「復興芝生」を事業としていま拡大展開している企業です。

震災から約1年たったころ、
この会社の社長である大坪さんは
津波で塩が入ってしまった土地に、
芝生の苗を植えたそうです。

───────────────────────
【引用ここから】

「津波の影響で土地に塩が入ってしまったわけだけど、
芝生はその塩に強くて、砂地でもしっかり育つ。
これはいけるんじゃないか」

と、芝生栽培に興味を持った。

そして、本当にこの地が芝生の生育に適しているのか、実験を始める。
専門家をはじめ各方面に相談しながら、
芝生の成長の様子を確認。
確信を得て、2013年4月には賛同者5人と共に、
東日本復興芝生生産事業を立ち上げた。

【引用ここまで】
───────────────────────


そして昨年令和元年10月に、
利府町にある宮城スタジアムにこの復興芝生が導入され、
約7600平米のピッチが張り替えられました。

県としても、宮城スタジアムは
オリンピックサッカー会場ともなっていますので、
「復興五輪」にふさわしいことだと思います。

復興庁の監修委員によれば、
「しっかりしたマーケティングと分かりやすいコンセプトの勝利」
「品質を維持して付加価値高い産業モデルに」

とのコメントがなされています。


本レポートでは、こうした山元町の事例だけではなく、
被災三県で30社の産業復興事例が掲載されています。

被災県に住む私たちのみならず、
全国でビジネスの参考になることがあるのではないかと思いますので、
ぜひご覧いただければと思います。


震災から八年─政治を志して八年

2019年03月11日 23:59


本日3月11日で、

東日本大からちょうどの月日が経ったことになります。

同じようにこの日は、
地元六郷地区の東日本大慰霊祭に参列います。
この地区では126名の方が犠牲となられまた。

は3月2日に、
六郷東部地区地域モニュメント完成式典・除幕式が開催され、
地元六郷地域で時に犠牲となった方々の鎮魂、
慰霊表象するモニュメントが完成た。


は、私も子供のころからよく遊びに行っいた、
深沼海岸、荒浜地区の慰霊の碑で14時46分迎えまた。


遺構荒浜小学校は、近多くの方が訪れる施設となり、
の観点からも全国、そ世界からいただきたい施設の一つです。


という月日は長かったような短かったような、
不思議な感覚ですが、

いまでもテレビや新聞等であのときの映像が目に入ると、
涙が出まいます

旅立っまったあの友人やこの友人など思い出ます。



というと四の倍数になりますので、
私にとっは選挙のとなります。

平成23、あのがあり、
その後の地域での様々な活動私は県議選に出馬、
「落選た」た。

そういう意味では、
東日本大で被たというだけではなく、
政治す大きなきっかけになったからの月日が経ったともいえます。


からが経過たが、
まだまだ復興が完遂たとは言い切れません。

ハードの面だけではなく、
ソフトの面でもまだまだということ
県政の様々な場面におい感じるところです。


先日の県議会でも取り上げまたが、
地域交流拠点施設の整備が仙台市東部地区でも予算計上されまたが、

集会所整備たり、ソフト面の支援進めるなかで、
た地域のコミュニティ再生いくための取組が、
ようやく始まりそうです。

そういう意味では公約の「つくる」
ようやく被地で実現できたということで、
私にとっもこれからが本番であるというように感じいます。


だいぶ避難者の数は減りまたが、
それでもまだ全国で約5万2千人の方が避難続けいます。


まもなく国の復興長期計画十迎えますので、
ここからが宮城県にとっ
東北にとっ本当の勝負になるように思います。

つらく厳い時代予感ながらも、
全国、世界の皆さんからのありがたい感謝の気持ちも
私の心には深く刻まれいます。


ーーーーーーーーーーー

あのとき。
直後の信号機が壊れた仙台港近く通ったとき、
車の誘導いるパトカーは、

「沖縄県警察」でた。

岩沼で見かけた給水車は、香川県の

「丸亀市」

の支援によるものだったこと目の当たりにた。


地元の沖野中学校の避難所には、
後すぐに「京都市」から支援いただきまた。


沖縄のパトカー仙台で見ることなどもうないでょう
水不足で有名な香川の給水車から
この宮城県で水いただけるシーン見ることも、
もうないことでょう。


からわずか数日で、
全国からこのような応援たくさんいただいたことに、
も驚きま

その後も全国、全世界から応援いただいたことは、
本当にありがたく、
力強い心の支えだったと思い起こされます。


避難所で新学期に文房具がないということ知り、
このメルマガなどで発信
全国、全世界からほんとうにたくさんの文房具送っいただきまた。


ありがたい気持ちが、
私たちの心にいまでも深く刻まれいます。


思い起こすと、
私自身もあの日、
あの日からいろいろなことが一変た。

この間の私の人生は、
振り幅が大きい間だったと思います。


流すことも、
い思いもたくさん
つらい思いもたくさんた。

どんな窮地に陥っも、

「いまここにこうやっ生きいる、
 命があることだけでありがたいことだな」

と必ず思えたことで、
この厳い時乗り越えることができたように思います。


これから訪れる人生の荒波に直面も、
きっとそう思えることでょう。

いま思うと、がなかったら、
宮城県のために力尽くそうと、
いまほど思っいなかったかもれません。


ーーーーーーーーーー

その昔、宮城谷昌光の小説『孟嘗君』読みまた。

孟嘗君は中国戦国時代の政治家です。

この小説『孟嘗君』の登場人物に、
伝説の商人と言われた
白圭が出きます。

白圭も、中国戦国時代の政治家で、
孟嘗君赤ん坊の時に拾い、
た人です。

私財民のために投じ、
黄河の治水工事自ら采配行ったと言われいます。

この白圭は死の直前、孟嘗君から

「私くれありがとうございます」

と礼言われた時、以下のように言っいます。

「それは違う。
 お礼いうのは私の方だ。」

「助ける者は、助けられる者によっ
 幸せになれるのだ」

この言葉が私のなかで印象に残っいまた。

もう何も前に読んだ本ですが、
いま実感とわきあがるものがあります。

助けることで、
ただそれだけで、
幸せになれる。

ーーーーーーーーーーーー


以後、多くの方にご支援いただきま
宮城県も国から多くの交付金、補助金いただき、

全国の自治体からいまなお、
多くの職員の方々に応援いただいいます。


本当にありがたい限りですが、

これからは、
私たちが多くの方に、
全国の方々の力になれるよう努力いきたいと思います。


まだまだ復興は道半ばではありますが、

私たち東北の人間が、
日本のために、世界のためにどこかで役立るよう、

役立つことで私たち自身が
幸せ感じられるように
なっいかなければならないと思っいます。


この間、
いつ死んでもいいという思いで、
あらゆることに取り組んできまたが、

ここからさらに、
宮城県政、復興の最前線で
全力尽くいきたいと思います。



東日本大から

●全国の避難者等の数は、約5万2千人(平成312月7日現在復興庁調べ)
⇒ http://www.reconstruction.go.jp/topics/main-cat2/sub-cat2-1/20190227_hinansha.pdf

●全国のの死者数は、15,897人(平成313月8日警察庁緊急害警備本部発表)

●全国のによる行方不明者は、2,533人(平成313月8日警察庁緊急害警備本部発表)
⇒ https://www.npa.go.jp/news/other/earthquake2011/pdf/higaijokyo.pdf

です。


まだまだ何も終わっいませんが、

「破壊されるものがあれば、
 そこには必ず創造されるものがある。」

そう信じながら同時に、

宮城県の政治家と
地域のみなさんの先頭に立っ
「つくる」活動続けいきます。

ともに、がんばりまょう!!






から後に生まれた小学一生がまもなく入学」(H30.3.11)
⇒ http://cuccanet.blog72.fc2.com/blog-entry-2459.html

から─小学一生は卒業式」(H29.3.11)
⇒ http://cuccanet.blog72.fc2.com/blog-entry-2298.html

から─「復興・創生期間」ここからが勝負!」(H28.3.11)
⇒ http://cuccanet.blog72.fc2.com/blog-entry-2121.html

「東日本大から─破壊から創造」(H27.3.11)
⇒ http://cuccanet.blog72.fc2.com/blog-entry-1726.html

「つくるの原点─からになりまた」(H26.3.11
⇒ http://cuccanet.blog72.fc2.com/blog-entry-1354.html

「東日本大から─平了のハチマキというバンド」(H25.3.11)
⇒ http://cuccanet.blog72.fc2.com/blog-entry-981.html

「東日本大からがたちまた」(H24.3.11)
⇒ http://cuccanet.blog72.fc2.com/blog-entry-607.html



震災から七年─震災後に生まれた小学一年生がまもなく入学

2018年03月11日 22:22

本日3月11日で、

東日本大震災からちょうど七年の月日が経ったことになります。

毎年同じようにこの日は、
地元六郷地区の東日本大震災慰霊祭に参列しています。
この地区では126名の方が犠牲となられました。

津波で被災し、廃校になってしまった
東六郷小学校も更地になってしまい、
となりには津波避難タワーが建設されました。


七年という月日は長かったような短かったような、
不思議な感覚ですが、

いまでもテレビや新聞等であのときの映像が目に入ると、
涙が出てきてしまいますね。


先日、ひさしぶりに「花は咲く」を聞いたのですが、
聞きながらいろいろなことを思い出し涙を流すと同時に、

あれだけ震災一色だった生活だったのに、
震災を忘れていた自分に気が付きました。


今年の春に入学する小学一年生は、
平成23年4月2日以降に生まれる子供たちとなります。

「震災後世代」が小学生になるわけです。


しかし、まだまだ復興が完遂したとは言い切れません。
ハードの面だけではなく、
ソフトの面でもまだまだということを
県政の様々な場面において感じるところです。

だいぶ避難者の数は減りましたが、
それでもまだ全国で約7万3千人の方が避難を続けています。

まもなく国からの復興予算はなくなるということで、
被災地の事態も急速に変化しているように実感しています。

ここからが宮城県にとって、
東北にとって本当の勝負になるように思います。

つらく厳しい時代を予感しながらも、
しかしありがたい感謝の気持ちも
私の心には深く刻まれています。


ーーーーーーーーーーー
あのとき。
震災直後の信号機が壊れた仙台港近くを通ったとき、
車の誘導をしているパトカーは、

「沖縄県警察」でした。


岩沼で見かけた給水車は、香川県の

「丸亀市」

の支援によるものだったことを目の当たりにしました。


地元の沖野中学校の避難所には、
震災後すぐに「京都市」から支援をいただきました。


沖縄のパトカーを仙台で見ることなどもうないでしょうし、
水不足で有名な香川の給水車から
この宮城県で水をいただけるシーンを見ることも、
もうないことでしょう。

震災からわずか数日で、
全国からこのような応援をたくさんいただいたことに、
とても驚きましたし、

その後も全国、全世界から応援をいただいたことは、
本当にありがたく、
力強い心の支えだったと思い起こされます。

ありがたい気持ちが、
私たちの心に深く刻まれています。



そして思い起こすと、
私自身もあの日、
そしてあの日からいろいろなことが一変しました。

この七年間の私の人生は、
振り幅が大きい七年間だったと思います。

涙を流すことも、
悲しい思いもたくさんしましたし、
つらい思いもたくさんしました。


しかしどんな窮地に陥っても、

「いまここにこうやって生きている、
 命があることだけでありがたいことだな」

と必ず思えたことで、
この厳しい時を乗り越えることができたように思います。

これから訪れる人生の荒波に直面しても、
きっとそう思えることでしょう。

いま思うと、震災がなかったら、
宮城県のために力を尽くそうと、
いまほど思っていなかったかもしれません。



ーーーーーーーーーー


その昔、宮城谷昌光の小説『孟嘗君』を読みました。

孟嘗君は中国戦国時代の政治家です。


この小説『孟嘗君』の登場人物に、
伝説の商人と言われた
白圭が出てきます。

白圭も、中国戦国時代の政治家で、
孟嘗君を赤ん坊の時に拾い、
育てた人です。

私財を民のために投じ、
黄河の治水工事を自ら采配して行ったと言われています。

この白圭は死の直前、孟嘗君から、

「私を育ててくれてありがとうございます」

と礼を言われた時、以下のように言っています。

「それは違う。
 お礼をいうのは私の方だ。」

「助ける者は、助けられる者によって
 幸せになれるのだ」

この言葉が私のなかで印象に残っていました。

もう何年も前に読んだ本ですが、
いま実感としてわきあがるものがあります。

助けることで、
ただそれだけで、
幸せになれる。

ーーーーーーーーーーーー

震災以後、多くの方にご支援をいただきましたし、
宮城県も国から多くの交付金、補助金をいただき、
全国の自治体からいまなお、
多くの職員の方々に応援をいただいています。


本当にありがたい限りですが、

これからは、
私たちが多くの方に、
全国の方々の力になれるよう努力をしていきたいと思います。

まだまだ復興は道半ばで、
まだまだ仮設住宅に避難している方々も多いわけですが、

被災地だから助けてくれと
ただ要求するのではなく、

弱い立場だから助けてもらうのが
当然と思うこともなく、

私たち東北の人間が、
日本のために、
世界のためにどこかで役立てるよう、

そして役立つことで私たち自身が
幸せを感じられるように
なっていかなければならないと思っています。


平昌五輪で金メダルを取った、
羽生結弦選手の力強い笑顔は、
そんな思いが結果につながったのではないかとも感じられ、
とてもうれしく勇気づけられましたね。



ここからがまさに創造的復興の本番です。

この七年間、
いつ死んでもいいという思いで、
あらゆることに取り組んできましたが、

ここからさらに、
宮城県政、復興の最前線で
全力を尽くしていきたいと思います。


東日本大震災から七年。


●全国の避難者等の数は、約7万3千人(平成30年2月13日現在復興庁調べ)
⇒ http://www.reconstruction.go.jp/topics/main-cat2/sub-cat2-1/20180227_hinansha.pdf

●全国の震災の死者数は、15,895人(平成30年3月9日警察庁発表)

●全国の震災による行方不明者は、2,539人(平成30年3月9日警察庁発表)
⇒ https://www.npa.go.jp/archive/keibi/biki/higaijokyo.pdf


です。


まだまだ何も終わっていませんが、

「破壊されるものがあれば、
 そこには必ず創造されるものがある。」


そう信じながら同時に、

宮城県の政治家として
地域のみなさんの先頭に立って、
「つくる」活動を続けていきます。

ともに、がんばりましょう!!





「震災から六年─小学一年生は卒業式」(H29.3.11)
⇒ http://cuccanet.blog72.fc2.com/blog-entry-2298.html

「震災から五年─「復興・創生期間」ここからが勝負!」(H28.3.11)
⇒ http://cuccanet.blog72.fc2.com/blog-entry-2121.html

「東日本大震災から四年─破壊から創造を」(H27.3.11)
⇒ http://cuccanet.blog72.fc2.com/blog-entry-1726.html

「つくるの原点─震災から三年になりました」(H26.3.11)
⇒ http://cuccanet.blog72.fc2.com/blog-entry-1354.html

「東日本大震災から二年─平了のハチマキというバンド」(H25.3.11)
⇒ http://cuccanet.blog72.fc2.com/blog-entry-981.html

「東日本大震災から一年がたちました」(H24.3.11)
⇒ http://cuccanet.blog72.fc2.com/blog-entry-607.html






震災から六年─小学一年生は卒業式

2017年03月11日 23:07

本日3月11日で、

東日本大震災からちょうど六年の月日が経ったことになります。

震災で犠牲になった方々の「七回忌」になります。




六年という月日は長かったような短かったような、
不思議な感覚ですが、

いまでもテレビや新聞等であのときの映像が目に入ると、
涙が出てきてしまいますね。

震災直後混乱の中で小学校に入学した子供たちは、
この春、卒業式を迎えることとなりました。




しかし、
震災直後の信号機が壊れた仙台港近くで、
車の誘導をしているパトカーが、

「沖縄県警察」

でしたし、

岩沼で見かけた給水車が、香川の

「丸亀市」

の支援によるものだったりしたことを目の当たりにしました。


地元の沖野中学校の避難所には、
震災後すぐに「京都市」から支援をいただきました。


沖縄のパトカーを仙台で見ることなどもうないでしょうし、
水不足で有名な香川の給水車から
この宮城県で水をいただけるシーンを見ることも、
もうないことでしょう。

震災からわずか数日で、
全国からこのような応援をたくさんいただいたことに、
驚きましたし、

その後も全国、全世界から応援をいただいたことは、
本当にありがたく、
力強い心の支えだったと思い起こされます。



そして思い起こすと、
私自身もあの日、
そしてあの日からいろいろなことが一変しました。




この六年間の私の人生は、
振り幅が大きい六年間だったと思います。

涙を流すことも、
悲しい思いもたくさんしましたし、
つらい思いもたくさんしました。


しかしどんな窮地に陥っても、

「いまここにこうやって生きている、
 命があることだけでありがたいことだな」

と必ず思えたことで、
この厳しい時を乗り越えることができたように思います。


これから訪れる人生の荒波に直面しても、
きっとそう思えることでしょう。


いま思うと、震災がなかったら、
東京で働いていたかもしれませんね。

宮城県のために力を尽くそうと、
いまほど思っていなかったかもしれません。




ーーーーーーーーーー

その昔、宮城谷昌光の『孟嘗君』を読んだことを最近思い出しました。

孟嘗君は中国戦国時代の政治家です。

この小説『孟嘗君』の登場人物に、
伝説の商人と言われた
白圭が出てきます。

白圭も、中国戦国時代の政治家で、
孟嘗君を赤ん坊の時に拾い、
育てた人です。

私財を民のために投じ、
黄河の治水工事を自ら采配して行ったと言われています。


この白圭は死の直前、孟嘗君から、

「私を育ててくれてありがとうございます」

と礼を言われた時、以下のように言っています。


「それは違う。
 お礼をいうのは私の方だ。」

「助ける者は、助けられる者によって
 幸せになれるのだ」


この言葉が私のなかで印象に残っていました。

もう何年も前に読んだ本ですが、
いま実感としてわきあがるものがあります。



助けることで、
ただそれだけで、
幸せになれる。





ーーーーーーーーーーーー

震災以後、多くの方にご支援をいただきましたし、
宮城県も国から多くの交付金、補助金をいただき、
全国の自治体から多くの職員の方々に応援をいただいています。

本当にありがたい限りですが、

これからは、
私たちが多くの方に、
全国の方々の力になれるよう努力をしていきたいと思います。


まだまだ復興は道半ばで、
まだまだ仮設住宅に避難している方々も多いわけですが、

被災地だから助けてくれるべきと
ただ要求するのではなく、

弱い立場だから助けてもらうのが
当然と思うこともなく、

私たち東北の人間が、
日本のために、
世界のためにどこかで役立てるよう、

そして役立つことで私たち自身が
幸せを感じられるように
なっていかなければならないと思っています。



ここからがまさに創造的復興の本番です。



この六年間、
いつ死んでもいいという思いで、
あらゆることに取り組んできましたが、

ここからさらに、
宮城県政、復興の最前線で
全力を尽くしていきたいと思います。





東日本大震災から六年。


●全国の避難者等の数は、約12万3千人(平成29年2月28日復興庁調べ)

●全国の震災の死者数は、15,893人(平成29年3月10日警察庁発表)

●全国の震災による行方不明者は、2,553人(平成29年3月10日警察庁発表)

●全国の避難者数(住宅等/公営、応急仮設、民間賃貸等)は、104,690人(平成29年2月28日復興庁調べ)

です。

まだまだ何も終わっていませんが、


「破壊されるものがあれば、
 そこには必ず創造されるものがある。」


そう信じながら同時に、

宮城県の政治家として
地域のみなさんの先頭に立って、
「つくる」活動を続けていきます。


がんばりましょう!







「東日本大震災から四年─破壊から創造を」(H27.3.11)

「つくるの原点─震災から三年になりました」(H26.3.11)

「東日本大震災から二年─平了のハチマキというバンド」(H25.3.11)

「東日本大震災から一年がたちました」(H24.3.11)








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