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「仙台一高・仙台二高野球定期戦」を観戦し高校時代を思い出す

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昨日5月13日、

「第78回仙台一高・仙台二高野球定期戦」を観戦しました。

私の母校でもある仙台一高の学校行事であり、
OBOGはじめ仙台市民の間でもこの季節は話題になる、
伝統行事でもあります。

この試合は楽天モバイルパーク宮城、旧宮城球場で開催されましたが、
この数年はコロナの影響によりさまざまな制限がありました。

今年は数年ぶりに制限のない試合開催であり応援も大いに盛り上がりましたが、
試合結果は、

仙台一高1-0仙台二高

しかも仙台一の三瓶高広投手がノーヒット・ノーランを達成するという、
両校ともにレベルの高い野球の試合となりました。


思い出すと、私は仙台一高の応援団長を務めていましたので、
この一高二高定期戦は、高校時代最も力を入れていた行事であったといえます。

たまたま昨日は応援席に、
同級生であり、現在仙台一高の先生をしている友人がいたので、
昔話をしながら、いまの高校生の様子をうかがいましたが、

当時も今も、応援団長はカリスマを演出するために、
一年生の前には姿を現さないという不文律があり、

私も四月から定期戦のこの時期までは、授業に出席せず、
応援団室で勉強して過ごすということがありました。

いま思うとあまり合理性はないような気がしますが、
当時はそういうものだということで私も団室に籠っていたことを思い出します。

しかしながら、応援団幹部の朝練があるため、7時ごろには学校に登校、
みんなが帰った夜中に家に帰るということを繰り返していて、
受験勉強は早朝に早起きして集中してやったことを思い出します。


また定期戦という行事も応援に関しては学校ではなく応援団が仕切り、

一番町を練り歩くアピール行進や、
当日試合を開催する球場までの臨戦行進や帰りの凱旋行進について、
これがデモ行進扱いになるため、応援団幹部が警察署に出向いて書類提出など申請をし、

また試合に勝った場合はファイヤーストームということで校庭の真ん中に火を燃やしてストームを行うため、
これまた消防署に申請書類を提出するということも、応援団幹部である高校生がやっていました。

応援練習の計画はゴールデンウィークもすべてつぶして実施し、
新入生の応援練習、また応援につかうのぼりの製作や団旗を立てる竹を用意すること、
全員が購入する高下駄の準備を下駄屋さんと調整したり、
球場に設置するハリボテなどの製作や、
球場に運ぶ応援の機材をトラック会社に依頼して運んでもらうなどなど、
すべて高校生が自主的にスケジュールをつくり、予算も含め実施するというものでした。

当日の数時間はとても盛り上がる応援合戦ではありますが、
その当日までに数か月をかけて、学校の授業はそっちのけで、
さまざまな準備をするということをしてきましたので、

いま思うと貴重な経験をしたなと思いますし、
現在の自分につながっている、自らの原点でもあったなあと感じます。

仙台一高の応援団長というのは当時もそうでしたが、
いまでも結構なプレッシャーでもありますので、
それなりに自らを高める努力をせざるを得ない貴重な立ち位置でもありました。

いまの自分は過去の自分の積み重ねによって出来上がっている、
そう考えると、愛校心を涵養し、
何かのために、誰かのために、自らを投げ捨て全力で取り組む機会を、
10代のときに得られたというのは本当に貴重なことであったと思います。


当時は定期戦は三日間にわたり開催されていましたが、
高校三年生の時は初日に負けて、二日目に勝利し、
勝負をかけた三日目に雨で中止となり総合引き分けとなったことが今でも記憶に鮮明に残っています。

平成5年の初夏のことでした。
今からちょうど30年前です。

応援団は野球部が負ければ自らの応援が到らなかったととらえ、
野球部が勝利すれば、その実力を心から称える、という考え方でした。

どの学校の応援団もそうだったと思いますが、
近年は応援団的なものは「昭和の遺物」ととらえられがちですし、
私自身も昭和的になりがちですので、
時代にそぐわないととらえられないよういろいろと気を付けるようにしています。

変えてはいけないものもありますが、
変えられるものはしっかり変えてよりよいものにしていってほしいものです。

あれからちょうど30年がたち、
母校はバンカラな男子校から共学校へ変化し、
女子の応援団長も誕生したりするなどしていますが、

定期戦を通してまた応援を通して、
学べるものの根源的なものを、
次の時代の高校生たちにも継承していただきたいなと思うところです。


あれから30年が経過した、令和の時代の渡辺勝幸は、
宮城県をはじめ全国の有為な政治家の応援を続けながら、
今後とも頑張っていきたいと思います。


(第4625号 令和5年5月14日(日)発行)


代ゼミに通っていた自分の19歳を思い出す─英語富田、数学荻野など

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現在中学校のPTA会長をやって三年目ということもあり、
母校にしばしば行くことがあるわけですが、
懐かしの学び舎にも慣れてきて、
新たに中学生をやってもう一回思い出をつくっている感覚も出てくるものです。


また、私が卒業した高校も若林区内にありますので、
地元選挙区ということで身近にあり、
とてもありがたいなと思うところですが、

その後私は高校を卒業してから、
大学受験に失敗し浪人として一年間すごし、
代々木ゼミナール仙台校に通っていました。

履歴書に載らない一年間です。。。


場所は仙台駅東口、
今は東北福祉大学のキャンパスになってしまいましたが、
私の前後の世代は団塊ジュニアで人口ボリュームも大きかったこともあり、
たくさん予備校生がいました。
予備校全盛時代であったようにいまとなっては感じるところです。


時が過ぎ去り、私の上の子供も高3となりました。
早いものです。

自分が大学受験のときには、
高校時代応援団で熱中しすぎたことを取り返すべく、
高校3年、高校4年(代ゼミ)と、
受験勉強に多くの時間を費やしたことを思い出します。

今となってみれば、そのころ学んだことが
生きているものもあれば生きていないものもあるわけですが、

受験勉強に集中して取り組む姿勢というのは、
どんな仕事をするにあたっても大事なことではないかと、
40代になった今になって思うところです。


代ゼミ時代に教えていただいた講師陣には、
受験勉強だけでなくものの考え方の基礎のようなものを教わったなあと思います。

ただの予備校ではなく、受験テクニックを教わるだけではなく、
生き方の基本を、先生方の生き様を通じて、垣間見たんでしょう。


偶然、ネットでそのころ代ゼミ仙台校で数学を教わっていた、
荻野暢也先生の動画を見て、
「ああ、こんな感じだった!」となつかしく。


【代ゼミ講師】突然生徒をロックオンしてキレ散らかすww
これをどう感じるかは人それぞれww
⇒ http://jp.bogkbn.top/watch_d1FTaGhmcGthM3g5NktEV1V6OUFEdz09


いまは問題になってしまうので
このようなことはなかなかないのかもしれませんが、
約30年前は緊張感をもって予習して、
荻野先生の講義に出ていた記憶があります。


こうなってくると懐かしくなって、
ネットを探索すると現在の講義や先生のブログなども発見。

いまの荻野先生は還暦手前の御年齢ということで、
計算すればそりゃそうだとなるのですが、
あのときのパワーあふれる講義は今の私の年齢よりも十歳以上若いと知り、
当たり前ながら不思議な感覚に襲われました。


英語については、
木原太郎先生や西谷昇二先生の講義を受けていましたが、
その後の考え方に影響を受けたのは富田一彦先生の英語でした。

いまも講師をやっている先生方については、
代ゼミサテラインチャンネルで、講義の動画を見ることができます
久しぶりに富田先生の英語読解を学びました。

そして浪人生向けの毎年最終講義の話も録音していた方がいるようです。


富田一彦 最終講義での言葉:1年間よく頑張った!人生に意味はない
⇒ https://youtu.be/xPhN8zGn5Go


19歳のころを思い出しよく考えてみれば、
一年間の浪人生活で学んだことが基礎となり、
よく振り返ってみればこのおかげで、
30代になっての浪人生活も乗り越えられたのかもしれません。


荻野先生、富田先生はじめ代ゼミの講師の先生方は、
人生に影響を与えてくださった先生だと思いますし、
おかげで思考の土台を学び取ることができたことに感謝したいと思います。


もちろん大学にストレートで行けたら一番よかったのですが、
この浪人一年間は、私の人生の土台を組み立てる大きな一年であったと、
40代になってあらためて感じた次第です。

ありがとうございました。



※画像は平成7年3月2日の河北新報朝刊より

郡仙台市長の発言に抱いた私の疑問

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郡市長が不快感 村井知事の「保健所業務、仙台の能力超過」発言に
2021年04月17日 16:09
⇒ https://kahoku.news/articles/20210417khn000034.html

─────────────────────────────
【引用ここから】

仙台市内の新型コロナウイルス感染急拡大を巡り、
村井嘉浩知事が県市の連携が不十分で、
市保健所の業務が追い付かなかったと陳謝した発言に対し、
郡和子市長は16日の市議会臨時会で
「発言を容認したと受け止められるのは本意ではない」と不快感を示した。

市によると、新規感染者が3月中旬から急増し、
24日に検査待ち人数が最多の521人に達したが、
ドライブスルー方式の検査会場を設置するなどし、
31日には待機者が72人となった。

村井知事は今月5日の定例記者会見で
「政令市の保健所は独立していて、県は口を挟むことなくやってきたが、
結果として仙台の能力を超えてしまい、十分検査できなかった」と説明。

「一緒に対策を取らなかったことは非常に悪かったと反省する」と陳謝した。

これに対し、郡市長は臨時会の予算等審査特別委員会で
「知事発言は新規患者数、検査待機者数が最大となった一時点を強く捉えたもの」と指摘。

「保健所職員の頑張りがあってこそ、感染拡大防止の機能は引き続き保たれていると考えている」
と奮闘をたたえ、保健所の態勢に原因はないとの認識を強調した。

【引用ここまで】
─────────────────────────────


新型コロナウイルス感染症の「まん延防止等重点措置」が、
宮城県内においては5月5日まで実施されているところです。

この期間において、何としても感染防止を進めるために、
現在できることを政策として実施しています。

この状況で経済がストップしてしまうことも含め、
大きな影響を受けている方々の要望なども聞きながら、
なんとか乗り越えるべく、たくさんの方のお力を借りていることに
本当にありがたく思っているところです。

県議会の自民党会派においても、
まん延防止等重点措置の適用によって、
県内各市町村に様々な政策を実施できるようにすべきと動き、

また同時に大きな影響を受けた地域、業種にわたって、
自民会派所属の各議員がきめ細かく情報を収集し、
県執行部側と具体の議論をしているところです。


そんななか、昨日の河北新報において、
仙台市議会臨時会での郡仙台市長の発言が取り上げられていたので
少し思うところを書いてみたいと思います。


私としては、仙台市選出の県議会議員であり、
宮城県民であり仙台市民ですので、
県と市が対立するということはあってはならないことだと思っています。

自分自身も仙台市議会議員のみなさんに様々助けていただいたり、
いろいろなことを教えていただいたりして、
個人的にもとても感謝しているところです。


そして、普通に仙台市で暮らしていたら、
県と市が対立するということは想像しづらいものと思います。


ですので私は、村井知事の

「県市の連携が不十分で、市保健所の業務が追い付かなかったと陳謝した発言」

についてそれを聞いたときは、特に違和感を持ちませんでした。


もちろん政令市の持っている権限は尊重するべきですし、
県として市町村に対して上から命令するような時代は過去の話です

しかしこの緊急事態においては、
権限と権限のはざま、行政と行政のはざまがあるということは、
結果として住民にマイナスになりますので、
できる限り意思疎通をしっかりとし、連携をしていかなければならないと思うわけです。

これはトップ同士もそうですが、部署ごとにも、
日常の情報交換、連携がなければ、緊急事態にはうまくいかないでしょう。


そしてこの「県市連携」は、結局のところ、
行政どうしが「連携」できるかどうかは、
トップの政治姿勢に尽きるのではないかとも思うのです。


さらにいえば、逆説的ですが、
政治家も含め行政は、
こうした緊急事態の時こそ、

「ヒト」ではなく「コト」に焦点を当てるべきなのではないでしょうか。


「だれが問題か」ではなく「何が問題か」。


たとえば、私のところには、仙台市民の方で、
コロナに感染した方や関係者が濃厚接触になった方から
ご相談や現在進行形の生のお話をいただきます。

たとえば、この四月に入ってからも、

「濃厚接触者になった家族に保健所からは最初の連絡が来て以来連絡はなく、
 濃厚接触者解除になる日は●月●日ですので、その日になったら保健所に連絡をください」

という電話一本の対応だったという話や、

「陽性になって自宅療養をしていたが、2週間たってようやく療養解除という日に、
 仙台市がみやぎ生協に委託している自宅療養者向けの食料品を届けますという話がきて、
 もういりませんからこれからの人に渡してくださいという話をした

という話も聞きました。


郡市長がお話しされた、

「保健所職員の頑張りがあってこそ、
 感染拡大防止の機能は引き続き保たれていると考えている」

というのはまさにその通りですが、
保健所も含めた体制が十分であったとはいえないのではないでしょうか。

これは行政の問題というよりは政治の問題であり、
トップの判断の問題でもあるといえます。


他自治体の応援もあり、
また保健所職員数も増やしているとの報道もあり、
体制はその後充実してきているものと思いますが、

だからこそ村井知事の発言に対して、

「発言を容認したと受け止められるのは本意ではない」

とわざわざ発言したことには、
連携することにそこまで距離を置くべきことなのかと疑問を持ったところです。
仲よくやって課題を解決するほうがよいのではないかと。


「だれが問題か」ではなく「何が問題か」。


「ヒト」にどうしても問題を見てしまうのが、
私自身も、そして政治家の悪いところなのですが、

「コト」に向き合う姿勢が、
本当は政治家こそ必要なのだと思うのです。




仙台市長選まで、あと106日となりました。

私が20代のころの三陸道要望の思い出

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昨日、令和3年3月6日に、
気仙沼港・唐桑半島IC間が開通し、
高速道路、三陸沿岸道路の宮城県内区間が全線開通となりました。

これにより仙台・宮古間が直線でつながったことになります。
仙台から気仙沼まで約2時間で行けることになります。

とてもうれしいことです。


これは東日本大震災以後、復興道路として驚異的なスピードで、
国から予算化、建設が進んだもので、

東日本大震災から十年の節目を前に
三陸道宮城県内全線開通したということは、本当に心からうれしいことです。


昨日はテレビや新聞でこのニュースを見ていて、
本当にうれしく思うとともに、
多くの方の汗と努力があったことを思い出していました。

私は20代から30代にかけて、
国会で秘書として働いていたのですが、
そのときに地元要望で最も力を入れていたのが、

「三陸道の早期開通」

でした。

平成12年から秘書として働き、そのころから、
三陸道の予算化、早期の全線開通を目指して、
地元の市町村と一体になって、市長さんや町長さんと、
様々な思いを共有しながら、
主として国土交通省と財務省を行き来したりしていました。

役場の方と三陸道の要望書の内容を調整したり、
事前に省庁側とも打ち合わせたり、けっこう大変でした。

霞が関回りを地元のリアスハイウェイ女性の会のみなさんと
黄色いスカーフを手に歩き回ったり、真夏の最中や秋に、
市長さんや町長さんと一日一万歩になるくらい、歩いたものです。

地元の熱意が全国でも話題になるほど、
たくさんの人が一生懸命、三陸道の全線開通を要望しました。


まだ石巻までしか三陸道が開通していなかったころでしたが、
当時から防災道路として、
国道45号線と三陸道が両方あることが重要であると、
地元の首長さんたちと訴えていましたが、
なかなか建設は進まず、少しずつ少しずつ道路が北上している感じでした。


震災があったことをいま思うと、
もう少し早かったらとも思うわけですが、
当時の国の全体予算からいえば、何十年スパンのレベルでしたので
とにかく少しずつでも地道に頑張る、
そんな思いを市長さんや町長さんたちと共有していたことを思い出します。


「渡辺君が俺らぐらいの年にならないと完成しないのか」

首長さんからそんなことをいわれたこともありましたが、
それぐらいのスパンの可能性であり、
何十年かけてでも三陸道を全線開通させようと、
みんなの期待は熱かった、そんな思い出があります。


思いもかけない平成23年の東日本大震災を経験し、
三陸の道路の脆弱性が、
避難・復興を阻害したということは否定できません。

その後の国の予算化は異例とも言うべきスピードで、
10年でここまできた、全線開通したということは、
私が20代のころにはとても想像できませんでしたが、

本当によかったなと思いながら、
震災があったことを思うと、複雑な思いでもあります。


当時、公共事業は悪であるという時代のなか、
汗を流して地域のために頑張っていた地元の方々のおかげであり、

また震災以後、復興に力を入れてきたなかで
国からも大きな推進力をいただいたものと、有難く受け止め、


ここからが本当の勝負であり、
この道路を生かすも殺すも私たち宮城県、地元の力次第であると思います。

道路はあくまで手段であり、
防災に活かす手段でもあり、
観光に活かす手段でもあり、
物流のために水産物を輸送する手段でもあります。

三陸道を生かすために何をするか、
ここからは宮城県民である私たちの力の見せ所であると思うところです。

明日の大河ドラマは「独眼竜政宗」

今年のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」は、
新型コロナウイルス感染症の影響により撮影がいったん中止、
先週の「桶狭間の戦い」で放映もストップとなりました。

撮影が再開され桶狭間以降もいずれ放映されるとは思いますが、
明日からは、戦国大河ドラマ名場面スペシャルがはじまるとのことで、
これはこれで楽しみですね。

しかも第1回は「独眼竜政宗」だそうです。


仙台藩在住の私としては見逃せないですが、
私の全国にいる友人の多くも、
けっこうこの「独眼竜政宗ファン」が多いと聞いています。

「独眼竜政宗」の平均視聴率39.7%は、
大河ドラマの歴代トップを誇っており、

主人公伊達政宗の最期を描いた最終回の最高視聴率47.8%は、
『赤穂浪士』(53%)、
『武田信玄』(49.2%)に次ぐ第3位の記録とのこと。


私も含め独眼竜政宗ファンは
全国に多いのではないかと思いますが、

昭和62年の大河ドラマですので、
平成世代のみなさんにも仙台藩在住でなくても、
ぜひ一度見ていただきたいなと思うところです。


伊達政宗は大河ドラマになるくらい波乱万丈な人生、
そして多くの名場面、名セリフを残しているのですが、
有名な「伊達政宗五常訓」というものがあります。

歴史学的にはその存在に諸説あるようですが、
言葉そのものを味わうという意味では、
なるほどと感じるいい言葉です。


――――――――――――――――――
伊達政宗五常訓

仁に過ぎれば弱くなる。
義に過ぎれば固くなる。
礼に過ぎれば諂へつらいとなる。
智に過ぎれば嘘をつく。
信に過ぎれば損をする。

気ながく心穏やかにして、よろずに倹約を用い金を備うべし。
倹約の仕方は不自由を忍ぶにあり、この世に客に来たと思えば何の苦もなし。
朝夕の食事は、うまからずとも誉めて食うべし。
元来、客の身なれば好き嫌いは申されまい。
今日の行くを送り、子孫兄弟によく挨拶して、娑婆の御暇申するがよし。
――――――――――――――――――


何事もやりすぎるとよくないわけで、
私も少しずつこの意味が分かるようになってきました。


人生は元来、客の身であって、
私自身も任期を与えられた四年間は「仮の身」であるという感覚があるので、
この部分に共感するところです。

仮の身でなく、
我が身であると強く考えてしまうと、

どうしても我が強くなって、
主観に過ぎてしまい、
結果として大事な判断を間違えてしまうもの。

バランスは大事だなとあらためて感じるところです。




―――――――――――――
馬上少年過
世平白髪多
残躯天所赦
不楽是如何

馬上少年過ぐ
世平らかにして白髪多し
残躯天の赦す所
楽しまずして是を如何にせん
―――――――――――――

これは晩年、政宗が詠んだ五言絶句です。

隠居した若林城(仙台市若林区)で詠んだといわれていますが、
人生を最後まで楽しんだ政宗を感じさせます。


いずれにしても、伊達政宗があって
今の仙台があり、宮城があるわけですので、
伊達政宗の大河ドラマ、伝記などまだ触れていないという方には、
ぜひオススメしたいところです。



⇒ 渡辺謙主演 大河ドラマ 独眼竜政宗 完全版 第壱集 DVD-BOX 全7枚【NHKスクエア限定商品】形式: DVD


⇒ 麒麟(きりん)がくるまでお待ちください 戦国大河ドラマ名場面スペシャル懐かしの名シーン、名ゼリフがよみがえる!(NHK)


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